2 Not yet……

ステルスレーダー

 ――VSOP保護区 ナコラ森林公園――


 太陽が昇り、森に朝靄あさもやが立ち込める頃。周囲からは鳥や動物の声が聞こえ始め、まぶたの裏には微かな陽の光が感じられる。それと同時に辺りからは湿った土や木々の匂いがより一層強く香り、遠くで流れる小川の音が耳へと伝わって来るようだった。


 ここはジャンブルポールから北西へ約二百三十キロに位置する山の中。私、雨衣咲雫ういさきしずくは今この場所で、高い木に背中を預けて目を閉じていた。


 眠っているのではなく、これはいわゆる瞑想めいそうしている状態とでも言えば良いのだろうか。ゆっくりと呼吸を整えて、体の中心を意識する。するとそこから滲み出すものが内部を巡り、やがて体の周囲に薄い陽炎かげろうのような揺らめきが立ち昇り始めた。


 そうして立ち昇らせた陽炎を、広く、遠くへと伸ばすように意識して、自分を中心に広げて行く。


 遠くに広げたそれが森の中の動物たちに触れると、一瞬だけ私の方を意識を向ける。その後、私に敵意が無いことを知るとすぐに元の活動へと戻って行く。


 ナコラ森林公園は、VSOPの管理する自然保護区画に指定されている場所。ここは様々な動植物の保護が行われている自然公園で、申請さえすれば誰でも訪れることができるようになっているのだそうだ。


 森の周囲はドーム状のプラスチックフィルムで広々と覆われていて、今は十二月の上旬であるにも関わらず、この場所には一切の雪が無い。それどころかドーム内は温度や天気までもが人の手で管理されているらしく、真冬である今時期でも春夏のような暖かさを感じられる程に快適だった。


 今から約一か月前のこと。Dクラスリベレーターの試験を終えたばかりの私は、バレルさんとシャロの二人にこの場所へ連れて来られると、最低限の野営道具と剣、それに大量の水と食料を渡されて、レイジスの修行をするように言われて放り出されてしまった。


 『えっ、期間は?』と聞けば『できるまでやれ』と言う無情な返答をされ、『できたと判断されるには?』と尋ねてみては『できたと思ったら迎えに行きますわ』という、道のりの見えない絶望的な回答をされたのだった。


 与えられた水と食料の量から察するに、ざっと見積もって半年くらいは生活できるのではないかと思う程も用意されていた。この量は流石に脅しだろうと高を括っていたのだけれど、今日までの一か月間、二人が迎えに来てくれる気配は無い。


 あまりの絶望感に何度も脱走を考えはしたけれど、地図もコンパスも無いこんな森の奥では、いくら環境が整備されているとはいえ遭難しかねない。そう察した私は早々に脱走を諦めて、苦しみ、葛藤しながらも修行を続けることにしたのだった。


 ちなみに今行っているこれは、体外に放出したレイジスを遠くまで広げ、触れた物の状態を知覚するレイジスサーチ、もしくはソナーと言われる技である。


 ジニアンの修行としてポピュラーなこの技法は、体に大きな負担をかけることなく危険感知のトレーニングを行えるのと同時に、体内のレイジスサーキットを成長させることのできるものであるらしい。


 しかし、レイジスの修行は想像よりも遥かに過酷なものだった。


 “ハングオーバー”。体内のレイジスが枯渇した際に起こる症状の総称そうしょう。人によって生じる症状は様々で、私の場合、全身に抗いがたい倦怠感けんたいかんと脱力感に見舞われるというもの。


 最初の内は五分もしない内にハングオーバーになってしまったし、修行を始めてから一週間の内は、まともに食事をすることもできない程に衰弱してしまった。


 だというのにあの二人は、私のこの症状はハングオーバーの中でも比較的軽度な部類であると言う。指一本たりとも動かすことができなくなり、呼吸もままならなくなるほど疲弊ひへいするこの状態で、だ。


 WEフォース時代には毎日のように上官や先輩隊員たちにしごかれたけれど、たった五分間レイジスを使ったときの方が苦しいと感じたときには、リベレーターを選んだのは間違いだったとさえ思った。


 正直何度も挫けそうになった。この場所に置き去りにされる直前にシャロが言った『大丈夫ですわ、雫にはレイジスの才能がありますから』という言葉が無ければ、とっくに諦めていたことだろう。


 それでも、修行を始めてからもう一ヵ月。流石にその言葉だけで自分を鼓舞するのも限界と言わざるを得ない。


 いったいこの修行はいつまで続くのだろう。


 キャンプの近くには川があるから一応体は洗えるけれど、それでもなんだか常に体がベタベタしているような気がする。それに食料は十分にあるとは言ったものの、その大半が味気の無い保存食。こんな娯楽とは無縁の環境に置かれ続けた私は、この瞬間にも拒絶反応を起こしてしまいそうだった。


 あぁもう‼ お風呂に入りたいし、美味しいものが食べたいッ‼


 ……。…………。


 いけない、集中しなくちゃ。集中を乱すと消費を抑えられた筈のレイジスを過剰に使ってしまって、効率は格段に悪くなってしまう。まずは頭の中を空に。しかし集中は切らさず、体の中心を意識して――。


 すると、体の奥底から沸いてくるそれ・・、形の無いそれが、ゆっくりと、全身を巡るように意識して。


 全身にレイジスが行き渡った頃、今度はそれを体の外を覆い、続いてそれを遠くへ広げて伸ばすような。イメージとしては、物を取ろうと手を伸ばすように。


 体の外へ滲み出した靄は、ゆっくりと外へ、外へと伸びて行き、木々を、岩肌を、そこに住む生物たちに触れるように広がって行く。


 遠く、遠くへ、もっと先へと伸びるように――。


 今の私のレイジスを広げられる範囲は、距離にしてざっと半径二十メートルくらいだろうか。この時期はオフシーズンということもあって、少なくとも、私の範囲の内側には誰もいないことが確認できる。


 …………、いや、張り巡らせたレイジスのギリギリ外側に、一人、誰かが、居る?


 対象が私のレイジスに触れていないから正確なことは分からないけれど、このギリギリの所で距離をとっている感じ、きっと向こうには私の張り巡らせたレイジスが見えている。


 範囲の内側からではこれ以上の情報が拾えない。それなら――。


 意識を集中して、さらに範囲を広げようと試みる。手の長さの先にある物を掴もうとするような、そんな突っ張るような感覚を覚えながらも、私はレイジスを先へ延ばすようにと試みる。


 体の奥底で許容範囲を超えるレイジスの使用をいさめるように、微かに警告音が鳴っていた。だけど、今の私なら、できる。


 そうして少しずつ伸ばしたレイジスが目標まであと少しのところに迫ると、突如、範囲の外側に立っていた誰かが急加速して、私のレイジスの内側へと飛び込んで来た。


 はやい⁉


 範囲の内側に飛び込んで来た何かは、高速かつ方向を変えながら、私の方へと向かって来る。そのあまりの速さと不規則な挙動に、私は集中を乱されて、標的の正確な情報を拾うことができなかった。


 違う、駄目だ、落ち着け。頭で情報を処理するのではなく、全身で感じ取るんだ。目と目の間、額の中心に意識を向けて、遠くを見定められる第三の目があるようなイメージで。


 改めて標的に集中して見定めようとすると、それは木々を渡り、岩場を蹴って、水上を滑るように、蛇行だこうしながら私の方へと向かって来ていた。


 位置はここから約十メートル地点。音もなく近づいて来るそれは、小柄で軽い。もっと近くへ来たなら、よりはっきりと、目を開ける必要も無く分かる。


 腰に差した剣の柄に手をやって、鞘から抜き放つ。相変わらず扱いに慣れないそれに、私は片側に寄った重さでバランスを崩しつつも、なんとか剣を構えた。


 目を瞑ったままで、腰を落とす。


 標的との距離、残り、八メートル。……七……六……五……――…………えっ?


 研ぎ澄ましていた私の範囲の中から、感覚の内側から、標的が、消えた。立ち止まっただとかそういうことではなく、完全に消えたのだ。


 見落とした? いや、そんな筈は……。


 私はついに耐えかねて、閉じていた目を開ける。


 すると、木々の間から降り注ぐ太陽光や、土と水、それに動植物たちのむせ返る匂いが、より一層リアルな形で全身に飛び込んで来た。


 外界からの膨大な情報量に、私は一瞬強い眩暈めまいを覚える。頭を振ってそれを払拭すると、視界を頼りに、見当を付けていた方へと視線を向けた。


 けれど、そこには誰の姿も無かった。


 勘違い、だったのかな。外の感覚を知覚するのを随分と長い時間レイジスに頼っていたから、体の感覚がおかしくなってしまったのだろうか。


 改めて周囲に誰もいないことを確認すると、フゥと、一つため息をついて、剣を鞘に戻す。


 次の瞬間、背後から私の体に絡みつくように二本の腕が伸びてきた。その腕は私の体を拘束すると、そのままの状態で私のお腹と鎖骨の辺りを撫で回し始めた。


「ぅいひゃぁ⁉ な、なに⁉ 誰⁉ 一体なんなの⁉」

「久しぶりですね、雫」

「ひ、ひぇ⁉ シャ、シャロ⁉ どうし……ど、どうやったの⁉ っていうか、その触り方ぁ‼」

「そんなことは些細なことですわ。スゥー、ハァー……んッ……あぁ、土や草花の香りに交じって、雫の濃ゆくて香しい匂いが……」

「――ッ⁉ いやッ、いやぁッ‼ やめ、やめてよぉ‼ もうずっと森の中にいて、今日までまともに体も洗えてないんだからぁ‼」

「でもそれで良い……いや、それだからこそ良い……」


 暴れて振りほどこうと試みたものの、一体どんな力が掛かっているのか、私はピクリとも体を動かすことができなかった。しかもその間、シャロは私の体臭を全て吸い込むかのような勢いで嗅いでいる。


 本ッッ当に止めて‼ 同性の、しかもこんな可愛い顔をした年下の女の子に、汗臭い体臭を嗅がれるのは色々とキツイんだってば‼


「おいシャロ、その辺にしておけよ」

「えっ、バ、バレルさん⁉」


 唯一僅かに動く首で声の方を向くと、そこには呆れ顔のバレルさんが立っていた。すると次第に、私を拘束していたシャロの腕が緩んでいくのを感じる。


「ちっ、無粋な……。私のお楽しみを邪魔しないでくれませんか?」

「お前は何をしに来たんだよ。それで雫、長いこと森の中にいて参っているかと思ったが、随分と元気そうじゃないか」

「えっ、あ、はい……それはまぁ、慣れたと言いますか……。ハングオーバーも、最近はあまり苦に感じなくなりましたし……」

「フィジカルとメンタルは合格だな。それでシャロ、サーチの方はどうだった?」

「雫のサーチ範囲は距離にして半径二十メートル強。感度、精度はこれからの課題としても、不規則に時速八十キロで移動する私の位置を捉えることができたのです。現状の満点を差し上げますわ」

「レイジスの使い方も及第点ってことで良いだろう。よし、それじゃあ帰るか」

「……えっ、……えっ?」

「なんだよ、帰りたくないのか?」

「いえ、その……帰りたいです……。帰りたいです、けど……。でも、もう良いんですか? だって、まだ食料はこんなに残っていて……」

「おいおい、こいつを全部消費するつもりでいたのか? なかなかガッツがあるじゃないか。でもまぁ、とりあえずは一旦終わりにしよう。雫は随分と早くケリがついた方だよ」

「それじゃあ、私は、これで……?」

「あぁ、特別講師バレル・プランダー第一の課題はこれにて終了だ」

「おめでとうございます。これでようやく街へ帰れますね」

「……う、うぇ……えふぅ……」


 溢れんばかりの涙が出てくるのと同時に、私の脳裏には修行による苦痛や、様々な葛藤と、今から一か月前のある出来事が想起そうきされていた。


 それは語るにはあまりにも恥ずかしくて、できることなら一生忘れていたいと思うような出来事。


 そう、それは第二百五十四期Dクラスリベレーター習得試験。つまり、私の受けたリベレーター試験での出来事だった――。

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