黄色のパンツ、金棒?
非常階段から上がっていき、五階から見下ろしても蓮はまだそこにいた。暗くてここからは顔が良く見えない。わたしが家の中に入るまで、蓮は帰らないだろうから、もう一度手を振って家に入った。
「ただいま~」
電気はついているけど、ママの声がしない。
洗面所に行ってみると、お風呂場からシャワーの音がする。
わたしの気配に気がついたのか、帰ったの、とママの声。
「今、帰ってきた」
ちょうど良かった。今日は顔を合わす自信がない。いつも通りにできない気がする。ママは能天気なくせに意外に勘が鋭いからばれてしまいそう。
今日、わたしに何かあったことが。胃も驚いたせいか、食欲も全くない。
だって二つのあり得ないことが、一度起こったんだもの。
蓮が人間ではなく鬼であったこと。
そして──間違いなく、こっちの方がわたしにとって重大事件だけど──人生で初めてのキス。
制服を脱いで、ハンガーにかけ部屋着に着替える。ゴムできつく縛っていた髪をほどいてゆるくまとめる。クラスルームのメールをチェックして、明日の準備をする。
こういう時は頭を使わないルーティンワークが一番いい。だんだん気持ちが落ち着いてくる。
一応、英語の課題を広げてみたけど、衝撃を受けた脳のダメージは大きかったようで、全く頭に入ってこない。
椅子に座って脱力しているとコンコンとノックする音。
わたしが返事をする前にママが部屋に入ってきた。
「冬桜の分作ってあるけど、夕飯食べないの?」
「友達とコンビニで適当に買って食べちゃった。連絡すれば良かったね。ごめん」
いつも食いしん坊のわたしが食べないって言ったら、どこか具合が悪いのかとあれこれ聞かれそうだから嘘をついた。
「それはいいけど、なんだか疲れたか顔してるわね」
やっぱり勘が鋭い。
「ちょっと疲れてるだけ」
無難な答えで切り返す。
「そう。じゃ、夜更かししないで今日は早めに寝たら」
「そうする」
ママが部屋から出て行った後、ベッドに寝転がる。
体はくたくたで、手足は冷えて力が入らないのに、神経だけが高ぶって眠れそうにない。蓮は何も考えずにって言ったけど、そんなの不可能に決まってる。
眼をつぶって、人差し指でそっと自分の唇を触ってみた。
蓮の家を出てから、時間がかなり経っているのにまだ蓮の唇の感触が残ってる。優しく押しつけられた唇は燃えるように熱かった。
唇が溶けてしまうんじゃないかと思うほどに。
ファーストキスがまさか鬼とのキスになるなんて。
鏡を見なくても顔が赤くなっているのが分かる。誰も見てる訳じゃないのに、なんだか恥ずかしくなって、顔を両手に埋めた。
蓮とのキス・・・・・・!
ママの前では我慢していたのに、堪えきれず顔がほころんでくる。
布団をかぶり思わず叫んで、子供みたいに手足をばたばたさせた。
ガチャっとドアが開く音がしたから、慌てて動きを止めた。
「なんか声が聞こえたけど、どうかした?」
甲羅から首を伸ばす亀のように布団から顔だけ出す。
「え、いや何でもない。もう寝ようと思って・・・・・・」
「電気をつけたまま?」
「そう、つけたまま。じゃ、おやすみ」
怪訝そうな表情をして、ママは部屋から出ていく。
それから一通り、にやけたり、笑ったり、照れたり、暴れたりした後、ふと我に返った。
──鬼。
信じられない程のスピードと力。
実際に見ていなければ、現実とは思えないようなことだった。眼の前で見たって、にわかには信じられないのだから。
思いついてかぶってた布団を足で蹴り飛ばす。頭が冴えて眠るどころじゃない。
スマホで鬼、と入力し検索してみる。
鬼は一般的に、日本の妖怪と考えられている、伝説上の存在。
一般的に描かれる鬼は、頭に二本、もしくは一本の角が生え、頭髪は細かくちぢれ、口に牙が生え、鋭い爪があり、虎の皮のふんどしや腰布をつけていて、表面に突起のある金棒を持った大男の姿である──。
説明の下に鬼の絵や像の写真があった。今じゃ滅多にお目にかかれないくるくるのパンチパーマみたいな髪、虎の模様の黄色いパンツ、金棒。
蓮が黄色のパンツをはいて金棒?
どれも想像するとあまりにも蓮に似合わなくてひとりで吹き出した。確かに、髪はちょっとくせっ毛ではあるけれど。
蓮の顔と画面にある鬼の絵の顔では、地球と遥か遠くの海王星ほどの差がある。
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