【青天白雪、紅の君。2072】 〜2072年夏、僕は無口な少女と出会った〜

凜 Oケイ

第一部

@1 七月十三日

 教室の巨大なスクリーンに映し出されているのはユーラシア大陸の東部。”旧”中華人民共和国の領土が赤く塗られていた。香港も西蔵も新疆も一つの国に支配されていた時代だ。台湾島までが斜線で表されている。しかしこれは過去の地図だ。いまの”新”中華人民共和国は一回りも二回りも小さい。

 授業科目は現代中華史だった。日本史よりは興味が持てるかなと選択したものだった。

 端末機と呼ばれる機械が目の前にある。型落ちのコンピュータを机と一体化させたものだ。僕たち生徒はこの机とスタイラスを使用して授業を受ける。二枚の画面のうち一枚はそれ自体が机に埋め込まれており、もう片方は机の奥辺から斜めに伸びている。そして今は上下二枚の画面にそれぞれ授業の詳細が表示されていた。

 歴史の授業ほど退屈なものはない。僕は画面の角をスタイラスで叩きながらそう心の中で呟いた。あとたったの五分だ。それで今日は終わりだ、耐えろ仁山(にやま)コズ。

 僕は白く濁った半透明の窓の方を向きながら教師の話を聞き流した。

「それで、旧中華人民共和国が中華連邦共和国(FRC)といくつかの国に分裂したのは西暦何年かね、今日は…七月の、十三日か。おい、仁山 コズ。学籍番号の下二桁が13だ。答えろ」

 金縁の丸眼鏡をかけた歴史教師が手に携えていたリモコンを操作すると僕の端末機に表示が出た。発言の要請だ。面倒極まりない。しかしこれだって成績に関わる。くたびれた足に指令を出して立ち上がる。

「はい、西暦2056年です。55年の大陸民主化条約に則り、中華人民共和国は解体され米国政府主導の下、中華連邦共和国(FRC)になりました」

 香港や台湾、マカオ、西藏、新疆などは念願の独立を果たした。

「そうだ。よく知っているな。だが皆も知っている通り、62年にFRC大統領が殺害されクーデターが起こり、いま北京は新中華人民共和国の支配下にある───」

 スクリーンが変化し、現在の地図が表示された。赤い領域(中華人民共和国)は随分と小さくなり、南に大きな青い領域ができた。ここがFRCだ。”一つの中国”の時代はそう長くは続かなかったのだ。歴史的に見ればあの広大な領域が一つにまとまっていた時代の方がずっと少数派だ。

「よし、今日はここまでだ。2030年から56年までの中華の歴史を自分の言葉でまとめて次回までに提出しておきなさい。書式は指定されたものを使用すること。質問は?」

 静寂のなかタイミングよく終礼の鐘が鳴り響く。窓の濁りが晴れ、壁も半透明になり隣の教室や廊下を見渡せるようになった。簡単な仕掛けだ、液晶の挟まれたガラスに電圧を加えることで透明度を調節できるようになっている。生徒によそ見をさせないためだけのシステムだ。

 生徒たちはため息を吐きながら端末機のスキャナーに腕輪をかざし、それぞれに教室を後にした。

「よく年号なんて覚えていやがるな、俺ぁ大陸民主化条約は40年代かと」

 背後から聞き慣れた声が話しかける。学生寮のルームメイトの経馬(へりま)シンだ。僕は振り向かずに返す。

「予習しておいただけだ。君こそ大丈夫なのかい、たしか来週に考査だろう」

「大丈夫なわけないだろ。かぁ〜予習か、やっぱ才能のある奴は言うことが違ぇや」

 そんな才能って言葉で片付けないでくれ、努力を否定されているみたいじゃないか。

「褒め言葉として受け取っておくよ」

 返事はなかった。彼はポケットの中を漁るのにご執心らしかった。

「経馬、君はいつも楽そうで羨ましいよ」

 経馬はポケットから取り出したベリーガムを口に放り込みながら「そいつぁイヤミか?」とボヤいた。僕たちはもはや誰もいない教室を出て長い廊下を進み、階段を下り地下に降りた。こもった空気がいやな暑さをたたえている。

 長い通路がある、いわゆる動く歩道だ。僕たちはそれに乗って学生寮C棟との表示が書かれている方向に進んでいった。すると反対側の通路に作業着を着た男たちが流れていった。第二体育館の建設だろうか。ずっと前からやっている気がする。

 通路は途切れ、今度は地上に出る階段を登った。陽の眩しさが目に入り、さきほどとはまた違った暑さが皮膚を焼く。

「あちぃなぁ。でも数十年前はもっと暑かったらしいぜコズ。温暖化っていう…」

 僕は彼の話を聞き流しながら青い空を眺めた。陽光が磨き上げられた真っ白な校舎の壁面に反射して眩しい。表面にガラス質の特殊素材を吹き付けてあるのだ。この前経馬が外壁を撫でながら自慢げに言っていた。冷暖房費用がどうとか耐久性がどうとかでメリットがあるらしいのだが、彼はこの真っ白さが嫌いらしい。

 僕たちは日陰となる渡り廊下を歩いて寮にたどり着いた。緩慢なエレベーターで五階に昇り、経馬はC509号室の前で立ち止まって鍵をドアノブにかざして解錠した。

「そうだ、お前今夜暇か?」

 椅子に座り彼は言った。僕は二段ベッドの下段に座った。

「ゲームの相手か? わざわざ聞かれないでもいつも付き合ってやってるじゃないか」

「たしかにゲームもいいが…ここはひとつ夜遊びといかねぇか」

 彼は白い歯を見せびらかすようにニヤリと笑った。

「…消灯後の無断外出は反省文800字だぞ」

 経馬 シン、僕のルームメイトであり数少ない友人。彼とは入学当初からルームメイトだ。外向的で活発なスポーツ青年だが、勉強はからっきし。180cm近い背丈と、自信に満ちた顔立ちが相まって中継で見るアメフト選手のような風格を出している。

 彼は棚を漁って一台の透明なタブレット端末を取り出した。彼は埃を服で拭い電源を入れる。充電はもちろん100%。空間充電規格に対応している電子機器なら寮内どこでもケーブルいらずだ。

「ここが俺らの高校、んでここが目的地」

 経馬がタブレット上の地図に指差したのは学校の敷地から遠く離れた森だった。学校は森に囲まれているのだが、その森のかなり奥の方に見えた。

「ただの森じゃないか。こんなところが目的地?」

「そう、旧校舎跡地がここだろ? その一・五キロ先、つまりここに教会があるんだよ」

 経馬がいくつかの座標を入力すると小さな光点がディスプレイに浮かび上がった。教会とやらの位置らしい。地図では森を示す緑色の斜線がかかっているだけだった。教会、それも森の奥になんて聞き覚えもない。

「教会って…宗教施設の?」

「ああ、我らが私立綜栄(そうえい)高等学校、ひと昔前は名前に聖がついてキリスト教系の女子校だったんだ。ここまでは知ってるだろ? それでだ、当時はこの教会で礼拝なんかしてたらしいんだが…新校舎になって学校もようやく宗教色を捨てて共学になった。それでこの教会は破棄されたってワケだ」

「地図にすら載ってないじゃないか。確かなのか? そもそも誰から聞いたんだ」

 彼は大げさにもったいぶって話を続けた。彼は手を耳に当て電話の仕草をする。

「この前先輩から通話をもらったんだよ。そん時に座標を、これは秘密だぞってな教えてくれたんだ。先輩たちもここに一回だけ寄ったらしいんだが、そしてだ…」

 僕の反応を見るようにあえてここで彼は話を切った。僕に続きは続きはと聞いてほしいというこれ以上ない合図だ。

「それでどうしたっていうんだ。ああ、気になるな」

「出たらしいんだ」

「何が」

「ユーレイが」

「はぁ?」

 思わず自分のベッドに仰向けに倒れ込む。使い込まれたスプリングがぎしぎしと鳴った。ようやく彼の目的が摑めてきたぞ。

「それで真偽を確かめに行こうって?」

 彼は”物分りがいいじゃないか”と嬉しそうに頷いた。そうだ、こいつはこういった奴なのだ。子供ですらやらない事を喜々としてやる。それもとびっきりに嬉しそうに。大型犬が人の皮を被っているような人間なのだ。

 僕たちは夕食の時間まで計画を練り、荷物をまとめた。懐中電灯にスポーツドリンク、ちょっとした菓子も。

 計画自体は僕も真剣に案を出した。そして彼には奥の手とやらがあるらしく、それを使えば移動時間を大幅に節約できると豪語した。

 今回の計画は失敗でもすれば僕の成績にまで影響が出かねない。教員たちは心が狭い、そしていま彼らから得ている信頼を失いたくはない、信頼というやつは理不尽だ。そいつを得るには心がすり減るような忍耐を要するが、失うときは一瞬だ。

 いつの間にか夕食の時間になり、僕たちは食堂へと向かった。

 今回の提案には乗るべきじゃなかったのかもしれない。僕は遅すぎる後悔を食堂の烏龍茶で飲み込んだ。

「よかったな。今夜はハンバーグじゃないか」

 青くライトハンバーグと印字がされたホイルを剥がす。小ぶりで丸っこい培養肉の塊が姿を現す。栄養価や部位、その味すらも遺伝子レベルで設計された究極に安全で賢い食用肉だ。人類は食に起因する疫病や水不足、栄養不足すら克服しようとしている。

 肉はもはや動物を殺すという原罪の上に成り立つ食材ではなくなったのだ。”肉畑”から穫れた肉は何よりもまず安い、そして美味しいのだ。その気になればビタミンや食物繊維などを不足する事なく肉のみを食べて健康的に暮らすことだってできる。

「昔の映画にさ、豪快にステーキを食うシーンがあったんだよ」

 左前に座った経馬が独り言のように呟く。彼はサラダの中から丁寧に人参だけを取り除く作業をこなしていた。

「俺も単純だったからさ、それに憧れたんだよ。そんで親に生きてた肉をどうしても食いたいってせがんだんだ」

「親も困っただろう、動物食なんてリスク要因でしかないからね」

 僕はプラスティック製のナイフで肉を小さく切りながらそれを口に運んだ。いやらしさのない、健全な美味しさだ。

「当時はまだツアーみたいのがあってさ、生態保護で飼われている動物を殺して食べる体験ができたんだよ。文化の保全っていう建前だったけど、俺みたいな興味本位の奴しかいなかったのは覚えてる」

「懐古主義者の集いってわけか」

 僕は少しだけ軽蔑の語気を含んだ言葉を選んだ。

「そうそう、子供は俺だけだったよ。気を取り直していざ実食、食べる前に宣誓書に親がサインしてたかな、メニューは今日と同じハンバーグだった。外から牛の鳴き声が聞こえてる中での食事だった」

「肝心の味はどうだったんだ、まさか身近に牛の肉を食ったことのある奴がいたなんて」

 僕は純粋な興味からそれを尋ねた。彼は少し淀んだ声だった。

「味は劣るさ。ウキウキしながら口に入れたが、脂っぽさと獣臭さが印象に残ってる。もちろん食えねぇわけじゃないし、腹が減ってたらそれなりに美味いとも感じただろうよ、でも…あの映画の俳優のようにはガツガツと食えなかった」

「何というか…予想通りといった感だな、しかし笑い話じゃないのか、ならばもうちょっと明るい表情をしたらどうだ」

 僕は生物学の授業で見た、牛の腹が割かれ、その臓物がくっきりと映った画像が頭によぎり、思わず顔をしかめた。

「その前までは俺も一種の懐古主義者だったんだ。懐古とは違うかもな、ともかく自分の産まれてすらない時代に憧れてた。現金や紙の本を買いあさり、腕時計といったかな、そういったオモチャも集めてた」

「腕時計、聞いたことがある。時間しか見れなかったらしいが」

 僕は自分の左腕に嵌められた腕環を撫でた。学校から支給されたもので、校内での決済や残高や予定の確認も完璧、学校からの通知を切れないのが唯一の欠点だ。

「まあそれっきりさ、ツアーから家に着く頃にはそういった熱も多少は冷めてた。そうこうしねぇうちにコレクションもほとんど小遣いに変えたさ」

 興味というのはそういったものなのだろうか。いくら熱中してても冷めるときには冷める。不思議な感覚だ。僕には趣味らしい趣味がないのでどうも共感することができなかった。

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