1話 - Ⅳ
身体、オレの身体はどこにいった。
ここは――なんなんだ。
自分のことを、はっきりと自覚できる意識はあるのに、肉体の感覚が一切失われている。視覚がないのだから、目で見ているわけではないのに――なぜだろう、自分は何か、大いなる光に包み込まれているような、そんな気がする。
これは夢なのだろうか。いや、こんなこと、現実として受け入れられる方がどうかしているだろう。白昼夢を見ているか、あるいは無力化のストレスで気が触れてしまったと言われる方が、まだ納得がいく。
いよいよ意識さえも、煙のように揺らいできた。砂時計を滑り落ちていく砂みたいに、魂の濃度が薄れていくのが実感として理解できる。
仮にこの果てに待ち受けているのが〝死〟なのだとしたら、きっとオレは地獄に堕ちるに違いない。言い訳などしない。できるはずがない。オレは今まで、何人もの人間を不正な手段で裁いてきたのだから。
(地獄……か。天国にいるアイツらには、もう二度と会えないんだろうな)
だけど、仮にもう一度会えたとして、アイツらはちゃんと、オレを見てくれるのだろうか。
自分の犯してきたことを、それでも、許してくれるのだろうか。
彼らが死んでからずっと、心に罪を塗りたくってきたオレを、それでも、友達だと言ってくれるのだろうか。
分からない。あまりにも、歪な部分が増えすぎた。
(ならいっそのこと、このまま地獄でもどこへでもオレを連れって行って、霊魂もろとも、その業火で焼き殺してくれればいいのによ)
◇
激烈な轟音とともに、光は舞い戻った――そう、異世界からの来訪者を伴って。
視界一面を砂煙が覆い、あちこちで咳き込む声が聞こえる。
召喚の儀に立ち会った六人のうちの一人、【メディ・レファーナ】は、深くフードをかぶり、光の余韻が静まるのをじっと見守っていた。
やがて視界が晴れると、場の空気には重たく湿った静寂が満ちていった。
メディは胸の奥で鼓動を数えながら、隣人の無事を確かめる。誰も言葉を発せず、ただ沈黙が共有された。
全ての視線が、自然と一点に吸い寄せられていく。
ここにいる誰もが、息をすることすら忘れていた。
魔法陣の中央。光の余韻に包まれた中心に、何者かが立ち尽くしている。
その名も、来歴すらも、誰一人として知らない。
だが、異界の果てより招かれし一つの意志は、確かに世界の綻びを抜けて現れた。
霞んでは散りゆく、光の残滓の、揺らぎの奥から――
「げほっ、げほっ、ぁぇっ!――」
召喚された〝勇者〟は、どうやら砂を吸い込んだらしく、苦しげにむせながら、肩を震わせていた。
少し長い髪の毛は、かといって不潔な感じを覚えるわけでもなく、整いきらない自然な乱れ方をしていた。自分と大して年も変わらないように見えるその青年は、ごくごく普通の印象しか持てず、星の命運を背負う救世主にしては、 あまりに華奢だった。
そう感じ取ったのはメディだけではなかったようで、この場にいる全員が、あまりにも頼りなげなその姿に言葉を失っていた。
「はあっ、はあ!……n★´L?&’$k?」
耳慣れない音の連なりが、掠れた息と共に漏れた。
異国の言語でも、あんな発音は聞いたことがない。舌の動かし方からして、この世界の人間とは構造が違うのでは――と、メディは一瞬そんなことを思った。
それなりに学があると自負していた彼女だったが、〝異世界〟という概念が本当に存在するのだと、たった今、現実をもって突きつけられた気がした。
勇者として呼ばれたはずのその青年は、まるで見知らぬ街に放り出された異邦人 のように、困惑した目で周囲を見渡している。壁の装飾も、祭壇も、そこに集う人々の衣装も、彼にとってはすべて異質なものなのだろう。
青年は視線を泳がせながら、メディたちを拒絶するように空気をかき、後ずさりした。無理もない。気付けば、いつの間にか自分の世界から引き剝がされ、理解不能な光景の中心に立たされているのだから。
人見知りしがちなメディでさえ、初対面の彼を前に、すこし胸が痛んだ。
◇
状況をまるで掴めていない様子の〝勇者〟に向かって、老師エルゲドは、できる限り威圧感を与えぬよう、ゆっくりとフードを取って人相を明らかにし、その上で慎重に接近を試みた。長いこと魔道に携わってきた彼をしても、今回のような召喚例を目の当たりにするのは初めてのことだった。
「!◎※?」
突如、異音のような言葉が飛び出す。耳慣れぬ響きに、エルゲドは眉をひそめた。
「むぅ……これはいかんな。予想はしておったが、やはり言葉が通じぬか」
ふむ、と短く声を漏らし、彼はローブの内ポケットに手を入れると、そこから掌サイズの丸い石を取り出して、勇者にそっと差し出した。
エルゲドと石を交互に見つめた勇者は、警戒しつつも腕を伸ばし、それを受け取った。
「怖がることはない。少しばかり、魔力を通すだけじゃ」
エルゲドが手をかざし、低く詠唱を始めると、石の表面に淡い光が灯った。青白い燐光が静かに脈動し、まるで呼吸するように明滅を繰り返している。勇者は眼前で起きている光景に驚愕のあまり言葉を失っている様子だが、かといって暴れる気配もなく、ひとまず第一関門は突破できたと感じたエルゲドは、人知れず胸を撫でおろした。次第に光も弱まっていき、やがては勇者の手の中に溶け込むように消えていった。
彼が今使用したのは【記憶石】と呼ばれる、古代より伝わる遺物だった。用途は様々だが、主に人の記憶、言語、感情などの情報を石に封じ、また必要に応じて引き出すことができるため、他者の認識を直接共有することが可能な、ある種の『記憶媒体』とも言えよう。
今回、勇者に渡されたものには、この世界で生きる上での最低限の知識――地理、慣習、言語体系などが封じられていたのだが、記憶石も万能というわけではない。
一度に過剰な情報を流し込めば、人の脳は処理に耐えきれず、精神を焼き切られることさえある。それゆえエルゲドは、最も基本的で、最も使用頻度の高い言語のみを抽出し、慎重に注ぎ込むよう念じていたのだった。
エルゲドは深く息を吐き、ゆっくりと膝を折って勇者の視線に高さを合わせた。
その声音は、どこまでも穏やかだった。
「どうじゃ。ワシの言葉が、聞き取れるかの?」
「テ、テメェ! 今オレになにしやがっ――!?……って、あれ? なんだ、これ、急に……言葉が……?」
青年の顔に浮かぶ驚愕は、戸惑いと混乱が入り混じったものだった。
だが、彼がこちらの言葉を理解し、また応じたということは、術が確かに成功した証左でもある。
「うむ、どうやら上手くいったようじゃな」
エルゲドは安堵の息をつきながら微笑を浮かべた。
「さて……何から話したものか。お主も相当に困惑しておるだろうが――実のところ、わしらも、かなり切羽詰まっておるのじゃ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます