セ・ラヴィ ~C'est la vie~

篝 帆桜

序章

[序の門]

 [始⇒前]


 それは特に驚くようなことではなくて、ごくごく普通で、ありきたりな出来事だった。


 中学時代、オレの友人がクラスでいじめの標的になってしまったんだ。

 オレはそれをどうにかしたくて、友人を庇った。

 なのに、たったそれだけのことだったのに――

 気付けば、オレもいじめられる側に立たされていた。


 よくある話だろう。


 オレも、きっとどこかの誰かも、そんなありふれた結末の中に埋もれた一人にすぎない。


 集団というのは、どうしたって異物を排除したがるものだ。


 人類がその長い長い歴史の中で培ってきた、集団意識における不文律に則るとすれば、コミュニティに不和をもたらす存在を除外するのは『正常』なことであり、ともすれば『いじめ』というのは、ある集団の秩序を守るために実行される、〝コミュニティの自浄作用〟なのだと言い換えることもできる。


 確かに、その正常な自浄作用・・・・・・・によって、秩序の恩恵にあやかれる者であれば、その排斥行為は、むしろ推奨されて然るべき、社会の必然なんだろう。


 空気のため。クラスのため。大層ご立派な大義名分だ。

 だが、その理不尽に押しつぶされた者の気持ちはどうなる?


 〝秩序の贄に選ばれた者〟はどうなる。


 やった側の人間に、やられた側の無念なんて分かるはずがない。オレはそれが許せなかった。


 だからオレは、『正常』に怒りを覚え、『異常』に魅入られた。


 初めて被害者側に追いやられたあの瞬間、オレの中にあった何かが変わってしまった――いや、或いは、壊れてしまった、と言った方が適切なのかもしれない。


 だが、そんなことはどうでもいい。いずれにせよ、結果としてオレは、いじめグループ全員に大怪我を負わせたのだから。酷い奴は後遺症も残ったと聞いたが、自業自得だ。情の欠片も湧きやしなかった。


 念のため付け加えておくが、先に手を出してきたのは向こうだ。おかげでオレの右の二の腕には、ナイフで抉られた傷が、未だに癒えず残っている。


 もっとも、正当防衛を主張したいがために、敢えて挑発した面もある。だが、それでも殴る方が悪い。重ねていうが、自業自得だ。怪我をしたくないなら、いじめなんて愚行、そそくさ辞めてしまえばよかったんだ。


 そうさ。嫌な思いをさせるから、仕返しを喰らうのだ。


 高校に進学しても、そういったオレの気質は変わることを知らず、法の網の目を潜るようにしながら、オレは学校にこびりついた卑怯者共を駆逐していった。


 自分のやっていることが、正しい行いとは微塵も思っていない。犯罪行為と言われれば確かにそうだろう。だが、少なくともオレは、自分の中にある正義感を裏切った覚えは、ただの一度もない。


 オレの行動には、オレなりに築き上げたモラルがある。もちろん、そのモラルを世間の大多数が否定することくらい分かっている。それでもオレは、自分の正義が良しとしない行為を働いたことは一切ないんだ。人を殺したこともなければ、知能犯よろしく自殺に見せかけたことだってない。


 オレはただ、日常生活に支障をきたす程度に、連中の肉体や精神のステータスを、ほんの少し下方修正してやっただけだ。


 これらの行為を、オレは『無力化』とネーミングした。


 ある奴は失明。ある奴は全身麻痺。ある奴は精神崩壊。どうせ人間的に問題のある連中ばかりだ。少しばかしお灸をすえるくらい、どうってことないだろう。むしろああいった輩が社会で野放しにされた挙句、身勝手な犯罪に手を出すことの方が、よほど問題だと思えるのだが、どういうわけか、慈愛とモラルに満ちた社会の『正常』と、オレの目指す『異常な正義』は、水と油よろしく相性が最悪らしい。


 被害者になった加害者のことを可哀想と思う優しい人間もいるだろうが、それはオレという歪すぎる悪がいるせいで、錯覚を起こしているか、価値観が麻痺しているだけだ。試しに彼らの被害者になってみればいい。倫理もくそもない純な世界が、心を空っぽに満たしてくれるだろうさ。


 時の流れは早いもので、気付けば、もう高校生活も終わりを迎えようとしていた。


 進学予定の大学の入試も、特に問題がなければ合格できるはずだ。高卒後の日常に溶け込む下準備は、すでに完了している。


 無力化の活動範囲と、標的の数は、年々拡大する一方で、今は市内全域までに及んでいる。だが、どれだけ繰り返しても、次から次へと、ふざけた心の持ち主は出てくる。浜の真砂は尽つきるとも世に盗人の種は尽つきまじ、ということなのか。オレは一体、何を滅ぼすまで頑張り続ければいいんだ――。


 乱暴な人間が支配する環境が許せないだけなのに。

 それでも、ああいった連中が出現し続けるのは、なんでなんだ?

 オレはただ、ただ純粋に、優しい世界であってほしいだけなのに――。


 やつれたように息を吐くと、自然と苦笑いのようになってしまった。

 いつもこうだ。この繰り返しなんだ。

 憎しみが、どこからともなく襲い掛かってくる。

 壊してやりたい、消してしまいたい。全てを。何もかもを。

 究極の〝無〟に帰して、もう誰も、二度と、悲しまないように。


 堂々巡りの考えが、地獄の釜茹での如く血を沸騰させる。

 これも初めてのことじゃない。対処する方法なら心得ている。

 オレはいつも通り、いつもと同じように、口癖を重ねて、自分を納得させるんだ。


「C'est la vie」


 ――人生なんて、そんなもんさ。

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