ケイ-3

 はるか夜空を見上げて、ケイは思う。僕、よく生きてたよなあ。空中で剣を抜いて星辰装甲を展開し、一緒に落ちる真科田先生を引っ掴んだ。やってる最中は始終、冷汗のかきどおしだった。ややもすればこの大陸の地霊の妨害によって、通話は途切れがちになる。そんな状態でウルスラの罵声を浴びながら、〈夜明けの風ドーンウィンド〉の滑空翼を展開した。この滑空翼は、新トウキョウ湾でのウェンディゴとの戦いの反省から、ウルスラが組み込んだ新機構だ。これまでシミュレーションでしか動かしたことがなかったけれど。訓練なしのぶっつけ本番で上手く降着できたのは、ひとえにウルスラのサポートのお蔭だ。

 アリゾナの荒野に着陸後、数分間は、なんとか上空のウルスラたちと話すことができた。


『ケイ、とにかく東に向かうんだ』〈夜明けの風〉越しに話すウルスラの背後が何かと騒がしい。切羽詰まった口調でもないので、飛箒艇内の混乱は治まりつつあるようだった。『エーテルリンクの通信状態が最悪だ。星図チャートの更新も覚束ないから、〈夜明けの風〉も恐らく残り2日程度しか動かせない』

「メイハは無事?」何はなくとも、ケイはそれを訊ねた。飛箒艇から落下する直前に見たのは、長い節足を生やした怪物から後退するメイハの姿だったから。「怪我してないよね!? 大丈夫だよね?」

『あー……』いかにも面倒くさそうにウルスラは答えた。『キミの乳兄妹の姉の方なら、無事も無事だよ。ボクが着いたらあの被招体、供物化で顕現した下等神話生物だけど、あれの何でもぶった斬る鉤爪をものともせずにズタズタのギタギタのグチャグチャに千切って叩いて潰してて。セイレムの護衛魔女戦士ガードウィッチ連中が見てどん引きして「どちらが制圧対象ですか?」とか訊いてきたよ』

「よかった……」ケイはほっと安堵の溜息をつく。「わかった。真科田先生を担いで、東に向かえばいいんだね?」

『そう。ボクらは航路を変更してヒューストンに着陸の予定。その後、捜索隊を組んでケイたちを探しに行く。次の通―は、地霊の妨――解析を進めて―けど、たぶん夜に―――『ケイ!怪我は――!』あーもううるさ―!』

 段々と通信障害の度合いが強くなってきた。途切れがちの通話音声にメイハの声が混じり、少し離れて言い争う声が続く。元気そうでよかった。本当に。荒野に不時着し取り残された自分たちのことは一時棚上げして、ケイは思った。

『とにか―東に―――、インディ―、先住民国家群FNの勢力圏を抜けて……』気を取り直して話し始めたウルスラは、そこでほんの少し、通信障害に関係なく間を空けて。『―――でくだばるキミじゃない―――けど。無事でいて』

「ああ!」

 返事だけは元気よく。


 照りつける西部の太陽の元、ケイは真科田医官の無事を確かめると〈夜明けの風〉に積んだ非常用キットを引っ張り出した。コンパス、携帯食プロテインバー、防寒シートにランタン、飲料水の濾過器……内容物をひと通り確認した後、〈夜明けの風〉で東へ向かって駆け出す。

 乗り物酔いする真科田医官のために、幾度ととなく休憩を挟んでアリゾナの荒野を進んだ。そうして夜も更けた今

『ケイ、マカダ、無事でいるかい?』スピーカーをオンにした〈夜明けの風〉の騎体が、ウルスラの声で話し出した。『地霊の妨害パターンの解析に手間取った。今から5分程度は問題なく話せると思う』

「僕も真科田先生も無事だよ」

『それは何より。こっちの飛箒艇も機関の損傷はないから、無事に飛んでる。もうすぐヒューストン。今、ケイたちがいる位置をできる限り特定したい。そこに着くまで、気づいたことは何でも言って』

「ここは……」現況を知らせるため、ケイは現在位置に至るまでの記憶を辿った。「日没、18時くらいかな。北に川が見えた」

『特徴的に大きな岩山とかは見当たらない?』

「あっちもこっちも岩山だらけだよ」

「落下地点を出発したのが、8時25分」真科田先生が会話に参加した。「そこから1時間毎におおよそ10分の休憩を挟んで、可能な限り真東へ進んだ。途中、舗装された道や標識、人工物は見当たらなかったね」

『フム。マカダを抱えてるから〈夜明けの風〉の走行速度も速歩トロットから駈歩キャンターがせいぜい。しかも悪路か……』何やらブツブツ呟きながら、ウルスラは考え込んで『マピ族の保留地内か。先住民国家群(FN:First Nations)でも穏健派だから、さほどの危険は……危険、あっ!?』

「どうし」

 たのさ?、と素っ頓狂なウルスラの声に訊ねようとして、ケイは僅かにふらついた。同じく足元をぐらつかせた真科田医官と目を見合わせる。揺れているのは自分だけではない。ランタンも、その光りに照らされた〈夜明けの風〉の大きな影もかすかに揺れている。

 地震か? ニホンで暮らすケイたちには馴染み深い感覚ではあった。しかし、少しずつ揺れの度合いが増すこの揺れは、果たして地震と呼べるのか。戸惑うケイと真科田医官の耳を

『今すぐ逃げて!』ウルスラの叫びが貫いた。ケイたちが疑問を抱く間も惜しいとばかりに、続けざまにまくし立てる。『〈夜明けの風〉で全速力で!早く!!』

 一際大きい揺れにランタンが転がる。回転する照明が、ケイと真科田医官の目前に、荒れ地を割って現れたそれの姿をぼんやりと浮かび上がらせた。曲がりくねった巨大で長い胴体は、ぬらぬらと粘液を滴らせている。頭部と思しき先端からは無数の触手が生え伸び蠢き、地中の泥土をバラバラと雨粒のように落としてきた。。

『そこは特定神話生物Sh類幼生体、〈地底を蠢くものクトーニアン〉の群生地だ!』

「そういうことは早く言ってよっ!」

 不可抗力は理解しつつも、ウルスラにそんな言葉を返してしまう。ケイは〈夜明けの風〉の騎体に飛びつき、乗り込んだ。暗視モードをオンにして、即座にクトーニアンと対峙する。その触手の先端が、地面に手を着く真科田医官に差し向けられたのがわかる。

「先生、下がって!」

 背の大剣を引き抜いて、ケイはクトーニアンに躍りかかった。対立神性を帯びた赤い刃がぬめる長い胴を喰い破り、致命の傷を負わせた。

 奇怪な呻きを絞り出して、クトーニアンがのたうち、地に伏す。これで少しは時間が稼げた……とケイが思うも、大地の揺れは未だ止まず。騎体内の――翅翔妖精ピクシーの支援がないので普段より範囲の小さな――俯瞰映像に、接近する動体を示す小さな白い光球が一つ、二つ、五つ……瞬く間に増えていく。この場で白い光球の示すものはただ一つ、ウルスラの言った〈地底を蠢くものクトーニアン〉の個体に他ならない。

『ああもうだから群生地なんだってば!!』通信状態が良いのか。こちらの状況を捉えてウルスラが叫んだ。『一匹や二匹ならともかく、何百何千いるかわからない。さっさとその場から離れて!』

「わかった!」

 たとえ〈夜明けの風〉が完調でも、そんな数を相手にしてたら、こっちが疲弊しきって潰れてしまう。ケイは大剣を〈夜明けの風〉の背の鞘に納めると、真科田医官を腕から肩に載せ、ランタンを摘まみ上げて一目散に駆け出した。

 とにかく、東へ。

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