第25話 死出への階段 《sideミシェル》
ミシェルはルークと連れ立って、父ニコラスが入院している『セント・ドミニク病院』へと面会に来ていた。
父ニコラスが倒れたのは三日前、『ドラッグストア』の店内で突然倒れたのだと、古参従業員のティム・プライスから連絡があったのだ。
ミシェルが見上げた病院は、白い外観で何層にも連なっている。まるで神聖な死出への階段のようだと、ミシェルは思った。
三階へとエレベーターで移動し、いくつも並ぶ病室の前を通り過ぎた。妙に静かなのに合点がいく。数ある病室にほとんど人が居ないのだ。ちらほらと人気は見えるがそれだけ。こんな所に父がいると思うと、胸が痛むし、なぜか不安になる。まるでもう時間がないように思える。
「ここだ。入ろう」
ルークが先導して入った病室は個室で、不要なものを徹底して排除した部屋のように思える。部屋の奥には大きな機材のようなものが三段重なっていて、今は使われていないのか白いシートカバーをかけられている。その部屋のほぼ中央にニコラスが眠っているベッドがある。口を開けたまま眠っていて、その瞼の下では魚が二匹いるかのように絶え間なく動き続けている。
ミシェルが寝顔を見つめ、額に口づけをすると、身体をビクンと震わせて目を覚ました。まるで悪夢の中から目覚めたかのように蒼白だ。ニコラスがまだ眠気でぼんやりとする頭を擦り、身体を起こそうとするが、支える腕に力が入らない様子でぶるぶると震わせている。
「寝たままでいいのよ」
ミシェルは背中と頭を支えて枕へと着地させた。背中の手が痩せ細った肉体と、軽くなっている体重を感じ取る。
ルークが背後からかけられた看護師の声に呼ばれ、その場から離れていく。ドアを閉めて出ていくと、担当医と廊下で話しながら離れていく足音に耳を澄ます。
部屋から充分に離れて行くのを感じ取ると、ミシェルは頭の中のスイッチを切り替えた。ミシェルからはついさっきまでの空虚な表情が嘘のように消えていた。その眼に光を滾らせ、父のいるベッドにしがみついた。父の耳に顔を近付けて、まるで壊れた無線に祈るように語りかける。
「父さん、父さん? 聴こえてる? お願いよ。本当のことを教えて。私はおかしくなってなんていない。信じて。私は母さんの死の真相が知りたいの。どうしてあんな所で電車に轢かれたのかを。お願いよ。父さんならなにか知っているでしょ?」
ニコラスは目を瞑り、なにかから逃げるように顔を覆った。
ミシェルはドアの隙間から、廊下で担当医と話すルークの様子を伺った。眉間に皺を寄せて担当医の話しに耳を傾けているようだった。時間がもうあまりないかもしれないとミシェルは焦りを募らせた。ニコラスの耳元でもう一度囁く。
「お願いよ、父さん。いくら母さんでも、あんな死に方をするなんて考えられないの。母さんが死んだのは、あのストーカー男が原因?」
ニコラスが苦しそうに呻きながらベッドから上体を起こすと、ミシェルは腰の辺りに枕を挟んでやった。
「……いいや、あいつはな、アルマは末期の癌だったんだ。脳に巣食う病魔だ。脳が圧迫されて、気が狂ったんだろう。よりにもよって線路のど真ん中なんぞで止まった。馬鹿なやつだ」
ミシェルは目を細めて呻くように言った。
「母さんが……癌?」
ミシェルは父が嘘を言っていると思った。信じられなかった。そんな話しは今まで一度も聞いた事がなかったのだ。何度も会っていた。それこそ毎週のように。アルマは変わらず元気に笑っていたのだから。
だが確かに、今思えば、手の震えでお気に入りの皿を割られたこともあった。目眩を起こし、よろめいて壁に手をついていた事もあったかもしれない。それらが津波のようにミシェルの記憶の波となって押し寄せる。
それでも、とても受け入れられる内容ではなかったのだ。頭では理解していた。だが、心と、“直感”と呼ばれる超自然的な力がどくんどくんと脈動し、それは嘘だと物語る。
ミシェルにはどうしても受け入れられなかった。
「嘘よ!」
ミシェルはそう叫び、ベッド横のサイドテーブルにある花瓶を地面に叩き落とした。母が好きだった百合の花の茎が折れて横たわってしまった。
ニコラスは動かなかった。娘の怒りを一身に受けるだろうと分かっていて、あえてそう言ったように思える。ミシェルは父の頬を叩いた。胸を殴りつけ、もう一度頬を叩いて胸ぐらを掴んだまま、その胸に頭を擦り付けて泣いた。乱れた髪の毛が涙を吸って頬に張り付いた。
ミシェルは泣き続け、ニコラスはベッドに腰掛けたままされるがままになっていた。力なく揺すられ、力なく叩かれている間も。
ニコラスが腕を伸ばしてミシェルの肩を抱き寄せようとしたが、その手がミシェルの肩に降ろされることはなかった。
「アルマはなぁ、ミシェルには内緒にしてくれと、言わないでくれと言っていたんだ。ミシェル、お前を追いかけている殺人鬼なんていないんだ。そいつがアルマを殺してなんていないんだよ」
それだけ言うと、ミシェルの手を優しく払い、ニコラスは腰に挟んだ枕を押しのけた。壁の方を向いて避けるように寝転ぶ。泣きじゃくる娘のそばで背を向け、決して見せないように歯を食いしばり瞼をギュッと閉めて涙を押し止めていたが、それでも一筋の涙がこぼれ落ちたのには、ミシェルは気付くことが出来ずじまいだった。
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