第2話 視線 《sideミシェル》
ミシェルはいつもこの『ブラッドリー公園』の中を走る。家から公園まで走り、公園内をぐるっと回って家に向かうルートが体力的にも距離的にもちょうどよく、ミシェルの中では黄金比となっている。それに、この公園内にはミシェルの好きな花がたくさん植えられていて魅力的だ。
四ブロック先に出来た公園が人気で、人々はそちらへと行くのだ。こちらは以前は荒れ放題で人気がなかった。日本から来た庭師が公園を一新し、手入れするようになってからは、よく人が歩いているのを見るようになったけど、それでも少ない方。伸び放題だったマグノリアの街路樹も手入れされてキレイに咲き誇り、独特な甘い香りを放っている。このマグノリアは香水の原料にも使われるほどいい香りがする。公園の中心には今でも噴水があって、そこを大きく取り囲むようにして、今ミシェルが走っている舗装路が円形状に敷かれている。
この公園内の花も庭師が世話をしている。ミシェルは花が好き。花の匂いを嗅ぎながら走るのはもっと大好き。ミシェルはイヤホンから耳へと流れる軽快な音楽を聴きながら息を弾ませる。
ルークは元々本ばかり読んでいて、書斎に篭ってばかりいる。運動不足のせいかよく身体のあちこちの不調を訴えているし、時々、外に出ると言っても買い物に無理やり付き合わせた時ぐらいのものだ。不健康そのもの。同じ時間にベッドへと潜り込み、同じ時間に起きているというのに、ルークの目の下にはずっと
ミシェルは不意に足を止めた。後ろを振り返りうなじを摩る。誰かの視線を感じる。
ミシェルの視線の先には、先程すれ違ったランニング中の男女がずっと遠くにいるだけだった。そのふたりを眺めながら不自然に荒くなっていた息を整える。前に向き直ると、束ねた髪を馬の尻尾のように振ってペースを上げて走った。
ミシェルが家に駆け込む頃には全力疾走になっていて、滑り込むように入り、玄関のドアを閉め、四つの鍵とチェーンロックを掛けた。
玄関に隣接する窓のカーテンを少しだけめくり、カーテンの隙間から片目だけを覗かせて外を端から端まで見ると、安心したようにイヤホンを外し、裏口の鍵が掛かっているかも確認しに行った。
裏口にも四つの鍵とチェーンロックがかかっている。念の為覗いた裏庭にも誰もいない。花々が平和そうに可愛らしく風にそよいでいる。
家の中をひとしきり見て周り、胸をぎゅっと握りしめていた手を緩め、息を整える。ようやく落ち着いたミシェルはバスルームへと向かった。
シャワーヘッドから出る温かい雨を顔いっぱいに受け止め、疲労感と共に汗を流した。
その後ろから影がそろりそろりと迫っていて、ミシェルの首に影から伸びた手がかかる。ミシェルは身体を強ばらせ、一瞬で恐怖に囚われた。声すら出せないまま、慌てて後ろを振り返る。
ルークがそこに立ち、ミシェルを包み込むように抱きしめていた。安堵のため息を漏らしたミシェルは微笑み、笑いあい、キスをした。
温かい雨の降りしきる中で、ふたりはお互いの温もりに酔いしれた。
***
ミシェルはキッチンに立って料理を作り始めた。ミシェルお得意のチキン料理だ。母アルマ直伝のレシピ通りに作った料理で、ルークの大好物。
香ばしいセージの匂いがキッチン中に広がった頃、ルークは小説がはかどった事と、今日の夕飯が大好物のチキン料理だと分かった事、そしてシャワーを浴びながら愛し合った事とで上機嫌だった。ソファに座り、片手にはビールを持って、お気に入りのアニメDVDを見ている。
画面の中で黄色いキャラクターが踊ればルークも肩を揺らして共に踊っている。そんな微笑ましい後ろ姿を肩越しに見て料理をしていると、ミシェルは突然言い知れぬ不安を感じた。首筋がちくりと痛む。窓から外を伺ったが、窓の外には闇が広がり、少し離れた近所の明かりと消え入りそうな街灯が見えているだけだった。
誰かが自分を見ている気がする。公園で感じたのと同じ視線。悪寒が背筋を走り抜けた。
窓を閉め、白いカーテンも勢いよく閉めてキッチンへと戻る。それでも不安感は拭えず、助けを求めるようにルークの方を振り返った。
ルークは相変わらずテレビを見ていた。酒が回り、ほろ酔いになって一段と楽しそうに笑っている。
ミシェルは頭を振って料理の仕上げに戻ることにした。
アニメがエンドクレジットを流し始めると、テレビから吐き出されたDVDをルークが受け取って大事そうにケースにしまう。画面が自動的に切り替わり、ニュース番組の緊迫した声が流れ始める。
テレビ番組上では、未だに捕まっていない連続殺人鬼について語り合っていた。
この番組内の企画では歴代の連続殺人鬼がランキング形式になっていて、毎週、誰かひとりに焦点を当てて再現VTR付きで放送される。よりリアリティを出すためだろう。話は現在の連続殺人鬼の話題へと移っていく。
ミシェルが包丁を握る手を止め、耳だけがテレビ番組の音を拾っていた。
ルークはふっと気がついたように慌てて番組を変えた。気まずい雰囲気が辺りを漂う。恐る恐るソファーから顔を覗かせ、キッチンで料理を作るミシェルの背中を見る。いつも通り包丁が小気味よく人参を刻んでいるのを見て、ほっと胸を撫で下ろした。
ルークはテレビの音を小さくして、番組を元に戻した。ソファーのクッションを抱いて、画面の前でニュースの続きを食い入るように見つめた。
続々と連続殺人鬼の紹介がなされる中で、ひと際目を引く名前を見つけた。この町の殺人鬼が名前を連ねていたのだ。
そう、“血染め花のマリー”だ。
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