『真実の罠』②

 二〇二一年・一月七日。

 正月明け営業を始めた喫茶・薔薇園。

 アフタヌーンティーセットを仲良く分け合う母娘の姿は、一座席にあった。


 三段のスタンドに重ねられた薔薇柄のケーキ皿に乗るのは、宝石みたいな洋菓子と軽食。

 鮮やかな赤い果実と純白生クリームを、ふんだんに飾ったケーキ。

 きつね色に焼けた香ばしいスコーンに、濃厚なクロテッドクリームと甘酸っぱい木苺ジャム。

 塩気のきいたサーモンと卵に新鮮なトマト、ハーブレタス、きゅうりのミニサンドイッチ。

 芳しい甘さが濃厚なキャラメルティーを添えて。

 土日祝限定で昼食時間から提供してもらえるこのセットは、値段も量も共に、満足度が高くて好評だ。


 「本当に素敵なお店ね。洋菓子もサンドも可愛くて美味しいし、お店のインテリアも中世欧州ヨーロッパみたい! お母さんも気に入っちゃった。いつも晴斗君と来ているの?」


 娘が紹介してくれた恋人との行きつけ喫茶店の虜になった母は、上機嫌に訊いてきた。

 母親の意図を直ぐに察した娘の方は、観念した様子で答える。

 照れ隠しに紅茶を一口含ませてから。


 「うん、よく一緒に行くよ。晴斗は、この店のケーキを制覇するほど気に入っているから」

 「そうなのね……でも、運命みたいで素敵。美天と晴斗君が約束したわけでもなく、偶然同じ喫茶店の常連同士で逢えるなんて。晴斗君と付き合い始めたのも、このお店がきっかけなのよね?」

 「そうなるのかな……って、お母さん。運命って、言っていてちょっと恥ずかしいよ」

 「またまた、心にもないこと言っちゃって。晴斗君との出逢いも結ばれたことも、なんだって……美天ちゃんだって思っているんじゃないかしら? お母さんとお父さんは信じる」

 「お父さんまで? そこまで言われちゃうと、本当にそんな気がしてきたかも……晴斗は私にとって一番特別で、初めてだし……」


 晴斗とのなれそめや惚気話を聞きたいとばかりに、茶化してくる母。

 娘の美天は呆れと照れを隠せないが、緩んだ口元からは満更でもない様子だ。

 恋人から公認の婚約者となった晴斗の名前を奏でるだけで、美天は既に優しい微笑みを咲かせていた。


 「でも、近くに二人を繋いだこんな素敵なお店があったって知ると……するのは、寂しくない?」


 この場所を初めて訪れたはずの母が、一番名残惜しそうに呟くため、美天の双眸は軽く揺れる。

 青百合市は、都心の田舎にひっそり咲く百合の花が美しい、晴斗との思い出が詰まった場所だ。


 しかし明日、美天と晴斗は


 突然の引っ越しは、二人の両親の勧めで決めた事だ。

 とはいえ、街を出た娘と理想の婚約者の行く末は当然、引っ越しのきっかけとなったのことも、母親は気がかりのようだ。

 母親の心配は美天も同じく、痛いほど理解る。


 「ほんの少しだけ、そうかも。でも、晴斗と一緒なら、どこでも嬉しいよ」


 直ぐに納得した微笑みを曖昧に浮かべた美天は、穏やかに答えた。

 心から満たされた眼差しの娘に、母親も嬉しそうに微笑んでから、瞳に薄らと涙を浮かべていた。


 大切な娘は、現在いま一番「幸せ」なのだ、と思い知って。


 「美天……どうか、晴斗さんと一緒に幸せになってね」

 「うん……ありがとう、お母さん」


 母親の流す涙に込められた感情と祈りの意味を、一番痛いほど理解している美天の微笑みにも、涙が浮かんだ。

 によって、両親も自分と同じくらい傷つき、たくさん心配かけてきた。

 母親は同じ女、娘の母親として身を切るような痛みで、たくさん泣かせてしまった。

 父親は同じ男、娘の父親として血が滲むような恥と無力感で、たくさん苦しめてしまった。


 心から笑って生きる日は、もう二度とないと思い込んでいた。

 誰かと愛し合える未来なんて、少し前までは想像つかなかった。

 過去の苦痛と悔恨の跡を、拭い去ることはできない。

 それでも、こうして現在を迎えられてよかった、と家族と一緒に喜び合える日が来てくれるとは。


 「晴斗さんは本当に良い人よ。晴斗さんとその家族なら大丈夫だって、私もパパも信じられるわ」

 「うん……」

 「恥ずかしいから内緒にしてほしいって、晴斗さんに頼まれたけど……ここだけの話」


 久しく見ていなかった茶目っ気な微笑みと共に耳打ちする母に、美天は不思議そうに耳を傾けた。

 母の口から晴斗の名前と自分の知らない話があることを聞かされて胸が高鳴る。


 「実は晴斗さん、に親同士で食事をするより前に、一度家にあいさつに来てくれたのよ……」

 「晴斗が……?」

 「あなたのことを心から愛しているから、結婚を誓い合ったから、許してほしいって」


 母から初めて聞いた話に、美天は瞳を瞬かせる。

 まさか、晴斗が予め美天の両親を尋ねていたとは。

 わざわざ、美天への真剣な想いと結婚の意志を報告するために。

 それも、美天に黙って。

 晴斗は美天の憂いや両親の懸念、過去の負い目を全て取り払ったうえで、結婚に踏み出したかったのかもしれない。

 誰よりも優しくて誠実な晴斗らしい図らいに、美天は胸が熱くなるのも束の間。


 「大丈夫? 美天……」

 「あ、うん。大丈夫だよ……初めて聞いた話だから、ちょっと驚いて……」


 美天の表情が一瞬だけ曇ったのを見逃さなかった母親は、不安げに窺う。

 一方、美天はせっかく安心しつつある母親を、これ以上心配かけたくないため直ぐ笑顔で応じた。


 「その様子じゃ、やっぱり晴斗さんは黙っていたのね、ふふふ。それじゃあ、これは美天とお母さんの二人だけの秘密にしましょう?」

 「うん……」


 美天の台詞に母親は気のせいだった、と安堵の息を零した。


 「どうか、晴斗さんと幸せになってね……お母さんもお父さんも、あなたをずっと愛しているわ……」


 そのまま母は、目の前の娘をぎゅっと抱きしめ、心から祈るように優しく囁いた。

 儚く震える母の背中へ両手を回した美天も、強く抱きしめ返した。


 「ありがとう、お母さん。私も、お母さんとお父さんのこと、ずっと愛してる……晴斗と一緒に幸せになる……っ」


 互いに歓喜と愛しさに涙する中、母親の肩に顎を乗せた美天は、逡巡顔を浮かべていた。

 先程の話から、美天の胸にはが引っかかる。

 母の話曰く、「十一月」に晴斗は「美天の事情や過去を知ったうえで」、真剣な交際と結婚の話を、彼女の両親へ報告していた。


 しかし、晴斗が美天に婚姻届を渡したのも、美天が求婚を承諾したのも……何より美天の過去の全てを知ったのも、全て――だ。


 美天が婚姻届に名前を書いてくれるのか、分からない段階だ。

 そのうえで、晴斗には彼女の答えも現在の結末が見えていたというのか。

 もしそうであれば、晴斗は余程の自信家か超能力者エスパーだったのか。

 もしくは、やはり晴斗は相手の心と願いすら見透かす「慧眼」の持ち主だったのか。

 いずれにしろ、今となってはそんな違和感すら美天にとって、些細でどうでもいい問題のように思えた。


 「ありがとう、ごめんねお母さん。わざわざ遠くから来てくれたのに、手伝ってもらっちゃって」


 薔薇園での支払いを済ませた美天は、母を連れて店を出た。


 「そんなこと気にしなくていいのよ! 晴斗さんから話を聞いて、最初からそのつもりで来たんだから。今日は初めてあんな素敵なお店に連れて行ってもらったし」


 本来は引っ越しの準備と荷造りを、晴斗と共同で行うつもりだった。

 しかし、今日は白百合病院へのあいさつ、と親の知り合いの青年の紹介の用事で、晴斗は忙しかった。

 そしたら、美天の母は軽い観光ついでに引っ越しの手伝いに行きたい、と申し出てくれたのだ。

 正直何か起こるとは思えないが、最近一人でいるのが嫌だった美天には、母の助けは非常に心強かった。


 「あら? 何かしら。あなた引っ越すの?」

 「あ、こんにちは。お久しぶりです、佐々木さん」


 片付けの際に出たゴミを詰めた袋を、アパートのゴミ捨て場に運んでいた美天は、左の隣人女性・佐々木と鉢合わせた。

 いつもよく見かける、オフィスカジュアルな服装ではなかった。

 シンプルながらも大人っぽいファー付きの黒いジャケットに、体型の良さを強調したセーターワンピースにブーツの装いから、デート帰りかもしれない。


 「ふぅん、そう。もしかして男できたの?」

 「え! その、そうなりますかね……その、近い内に結婚することになったので」


 佐々木の鋭い指摘に図星と言える美天は、狼狽ながらも肯定した。


 「そう、おめでとう」


 佐々木は興味あるのかないのか淡々とした声で、簡潔な祝福の言葉を贈ってくれた。 

 佐々木とはお隣さんという関係だけで、派手な職業柄や冷淡な態度は、一種の警戒心を起こした。

 反面、同じ一人暮らしの女性でクールなお姉さんの雰囲気に、内心親近感も少し抱いていた。

 互いに名前とちょっとした近況程度しか知らない間柄だったが、佐々木との別れにも、ほんの少し名残惜しさを覚えた。


 「暫く隣がまた静かになるわね。引っ越しブームかしら。し」

 「そうなんですか? いつのまに」

 「さあね。少なくとも、あなたが旅行へ出かける前には、もう姿を見なかったわ」


 佐々木の口から何気なく知った右の隣人の新事実に、美天は目を丸くした。

 言われてみれば、旅行前から帰国直後の今まで、まったく姿を見ていなかった。

 右隣から度々、壁越しに微かに響いてきたAemirの曲も、聞こえなくなった。


 「今まで、ありがとうございました。佐々木さんもお元気で」

 「ええ。あなたもね」


 佐々木は普段通りの淡々とした口調ながら、初めてかもしれない微笑みを向けてくれた。

 夜の出勤準備のために自室へ帰っていく佐々木へ、美天は微笑み返した。



 「お疲れ様、美天」

 「晴斗もお疲れ様」


 美天と晴斗の二人で彼女のアパートに帰ってきた頃、時刻は既に午後八時を回っていた。

 夕方に引っ越しの準備と片付けを済ませた美天と母親は、病院での仕事を済ませた晴斗と合流した。

 青百合市駅付近にある人気の中華料理店で、早めの夕飯を三人で食べた。

 美味しい中華料理に娘と婚約者の話、青百合園の観光。

 さらには、お土産の名物の百合焼酎と百合饅頭をもらった母親は、ご満悦な様子で電車に乗って帰った。


 「引っ越し前で忙しいのに、色々とありがとうね、晴斗」

 「いいんだよ。美天のお母さんも喜んでくれて、僕も嬉しかったし」

 「なら、いいのだけれど……・病院はどうだった?」


 晴斗へ感謝を述べた後に、美天は何気なく質問した。

 晴斗は美天の密かな気がかりを察しながらも、自然な微笑みで答えた。


 「やっぱり事務所の皆は、名残惜しそうにしていたかな。僕と美天が、二人同時に転勤するのには」

 「そっか。やっぱり、そうだよね……皆には、迷惑をかけてしまうことになって」

 「それなら、心配いらないさ。幸い、父さんの紹介で来た柳原さんと美濃さんの二人は、仕事と事務所に直ぐ馴染んでいたから」


引っ越しと同時に、二人は白百合病院を退職する話も決まった。

 PSW精神保健福祉士のさらなる需要が求められる中、突然専門職員が二人も同時に去る。

 人手不足も相まって過酷な医療現場には、痛手となる。

 しかし、事務所に迷惑と負担がかかることを見据えていた晴斗は、精神科医である父親から二人に替わる職員を紹介してもらった。

 今日が勤務最終日だった晴斗の仕事は、雑務の整理と担当患者への面談とお別れ、そして新たな職員二人の紹介と仕事の引き継ぎへ忙殺されていた。

 前日は勤務最終日だった美天も、最後の激務に疲労困憊になったため、晴斗と新人を心配していた。

 しかし、晴斗の表情と台詞から、感触は良好だと知って安堵を零した。


 「そうなのね。よかった……所で、やっぱり皆、のせいじゃないかって気付いてた……?」

 「うん……小倉先輩と筒井師長だけ、密かに心配はしてくれたよ。二人は口が固いし、事情を打ち明けたら理解もしてくれた。大丈夫だと思う」

 「そう……」


 美天にとって、本当に最も気がかりである問いかけに、晴斗はありのまま答えた。

 ドイツ旅行から帰国し、急遽の引っ越しと転勤を決めたについて。

 美天が周囲の反応を心配していることを、晴斗も気にしていた。

 ありのままの事実を聞いた美天は、安堵の溜息を漏らすが、逡巡する瞳に映る憂いは拭えていない。


 「美天……大丈夫、大丈夫だから」

 「晴斗……私」


 不安と憂いに沈む美天を見かねた晴斗は彼女を抱擁する。

 陽光に温められた青葉のような優しい香り、とぬくもりに満たされる。

 晴斗の甘い声、髪を撫でる手の優しさに心地よさのあまり、美天は双眸を閉じて身を委ねる。


 今回の引っ越しと転勤を提案したのは美天の母親で、彼女の希望を後押ししたのは晴斗の父親だった。

 理由は、十二月二十四日――丁度美天と晴斗がドイツで楽しいクリスマスを満喫していたあの日に発覚した「例の事件」にあった。


 美天の大学時代の同級生だった田辺孝雄は、

 犯人は、田辺とは高校時代からの同級生で、彼に脅迫され続けていた

 しかし、庵土竜も田辺を殺害後に遺書を残し、で亡くなった。

 ドイツのシュタイナー家のテレビで、偶然放送されていた日本ニュースで、美天達は今回の事件を知った。


 「美天は何も悪くない……美天にはだから」


 美天の複雑な心境を知る晴斗は、優しく言い聞かせるように囁く。

 両者ともに美天の大学時代の同級生であり、近くの王百合市で起きた凄惨な殺人事件を聞いた美天の母親は、娘の心と安否を心配した。

 案の定、事件を知った直後の美天は、激しく動揺した。

 幸い、晴斗の献身的な声かけとシュタイナー夫妻の配慮のおかげで、回復した。

 それでも三日間は、無反応な過緊張状態に陥っていた。

 同級生が自分の近所の街で、痛ましい死を遂げた事実すら、心への衝撃は強い。

 しかも、殺されたのが、自分を苦しめてきた最も恐ろしい脅威相手となれば尚更だ。


 素直な気持ちとしては、田辺がいなくなって、心から安堵している。

 反面、彼がバラバラ死体で発見されたという、おぞましい事実。

 罪深き本心への後ろめたさに、恐怖とめまいすら覚えた。


 せっかく立ち直ろうとしていた娘が、再び精神不安定になるのを心配した美天の母は、引っ越しを推し進めた。

 娘の過去の事件に深く関与していると思しき大学の同級生が変死した、縁起悪い土地を離れるべき。

 婚約者と共に、新たな地で心機一転させた方がいい、と考えた。

 それに、事件は幕を閉じて犯人も亡くなったとはいえ、美天の安否も気になる母は夜も眠れないのだ。


 「もう、何も怖がる必要はない。これからも、僕がずっとついているから……大丈夫だから」


 今となっては美天の過去も痛みも、罪の意識すら知る唯一の存在である晴斗は、心の拠り所だ。

 美天の全てを把握している晴斗が大丈夫と言うのなら本当だ、と信じられた。

 事件も過去も、綺麗に忘れて引っ越すことを許してくれた双方の親に、美天も晴斗も心から感謝していた。


 「ねぇ、美天。引っ越しと転勤が落ち着いたら、ドレスを一緒に選びに行こうよ」

 「ドレスって?」

 「決まっているじゃないか。僕達のの衣装だよ」


 空気を入れ替えようとしてくれたのか否か。

 突拍子のないことを爽やかに零した晴斗に、美天は状況を忘れて双眸を丸くした。


 「結婚式って、少し気が早くない?」

 「だって僕達、結婚するだろう? 」


 あどけない瞳を甘く揺らめかせて、囁く晴斗の言葉が真剣だと分かると、美天の顔に甘い炎が灯る。

 晴斗の狙い通り、美天の表情と二人を包む空気は一変した。

 頬を仄かに紅潮させてまごつく美天に、晴斗は彼女を不安げに覗き込む。


 「僕としては、早く君と夫婦になりたいんだ……だめかな?」

 「そんなこと……! もう分かっているくせに。ずるいよ、晴斗」

 「ごめんね。でも、美天の口から聞きたいな」


 晴斗は、全部見透かしていながらも惚けた口調で、問いかけてくる。

 晴斗のさりげない意地悪を少し憎らしく思った美天だが、恥じらいよりも愛しさの方が勝ってしまう。


 「もう……その、私だって……早く、胸を張って晴斗の隣にいられるようになりたい……だから、今はこうして二人で」


 引っ越しまでの手続きや片付けを済ませるまでの間。

 美天を心配した晴斗は、彼女のアパートへ一緒に住み着いた。

 美天の親も、自分の代わりに晴斗が傍についている方が安心できる。

 結婚するのだから、と早めの同棲を許してくれた。


 「正直ね……引っ越すまでの間すら、何だか一人でいるのが怖かった。そんな時は、晴斗と一緒にいたいって思っていたから、来てくれて嬉しい。ありがとう」

 「気にしなくていいのに。丁度、元々住んでいたアパートは既に出払っていたし。むしろ、引っ越しまでの間、僕を美天のアパートに住まわせてくれて感謝しているんだ。それに……僕も美天ともっと一緒にいたかったし」


 晴斗の言う通り、美天との引っ越しと転勤の話が出た時点で、彼は住んでいたアパートとの契約を解く準備ができていた。

 次の契約と家賃支払いの更新期限日は、大晦日の前日になっていた。

 しかし引っ越すとなれば、アパートの契約更新は不要になる。

 突然決めた引っ越しの準備が終わるまでの間、契約を切ったアパートを出なければならなかった晴斗が、美天のアパートに住めたのは好都合だった。


 「それに、明日はようやくだ。このアパートを一緒に出た後は、新しい生活が始まる。僕は楽しみだよ」


 明日は、百合病院に別れのあいさつを済ませてから電車に乗り、山百合駅で新幹線に乗り換える。

 新たな地は、新幹線で二時間かかる隣の桔梗島ききょうじまにある一軒家……晴斗の両親が所有する別荘だ。

 少し気が早いかもしれないが、近いうちに結婚する二人へ、晴斗の両親からの贈り物らしい。

 新しい転勤場所も、晴斗の両親が斡旋してくれた。

 本当に至れり尽くせりだ。


 「うん……私も楽しみよ、晴斗」


 百合の花咲く小さくて平和な都会街で起きた事件は、惨憺たるものだった。

 それでも、美天は幸せだった。

 皮肉な話だが、奴の死によって、美天は罪と痛みの過去から解放された。

 全ては順風満帆に戻った。

 全ては完璧だった。

 

 幸せすぎて、怖いくらいに――。


 「それじゃあ、明日に備えて眠ろうか」


 けれど、そんなささいな不安や恐怖も明日で、終わるのだ。


 「おやすみ……美天」


 母の子守唄さながら柔らかな慈愛に澄んだ晴斗の囁きに、美天は安らかな睡魔へゆっくり沈んでいった。



***続く***

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