第七章『真実の罠』①
十二月十七日・午後七時頃。
若者向けの新築マンション・グロリオサの一室で、一人の男は友人を待っていた。
「はあ? マジかよ。仕方のねー奴だな。まあ、こんないい部屋を使わせてもらっている俺が、文句言う筋合いはねーけど」
男の携帯端末に、友人から着信が入った。
友人は、男のいる部屋の合鍵を忘れたから解錠してほしい、部屋の前に来たら合図する、という連絡を寄越した。
友人の抜けた行動に、男は面倒そうに溜息を吐きながらも、玄関口へ向かう。
通話を繋げた友人と軽口を交わしながら、安全装置の解除ボタンを押してやる。
「まあ、とにかく入れよ」
グロリオサの正面玄関の扉が開き、友人が入ってきたのを
居間に戻ると、高機能薄型テレビに再生していた映画を、名残惜しそうに閉じた。
代わりに、最近密かに人気を博している歌手による
男が待ち遠しそうに口ずさむこと数分、友人の来訪を知らせる呼び鈴の電子音は鳴った。
「よぉ、前夜パーティの準備は、とっくにできてるぜ?」
扉を開けると、気さくな笑顔を貼り付けた友人は、そこに立っていた。
「遅れてごめん。お礼とお詫びにこれ、買ってきたよ」
「お! マジ? 最高! サンキューな」
友人は、両手の手提げ袋をかかげて見せる。
袋の隙間から漂う濃厚なチーズの香り、グラスのぶつかり合う耳触りの良い音。
上機嫌な足取りで友人を招いた男は、さっそくピザと酒瓶をガラステーブルに広げていく。
男が開封している間、勝手知る友人は手際良くワイングラスと皿、ナフキンを用意してくれた。
我先にと好物のピザに舌を鳴らす男を他所に、友人は赤い百合ワインをグラスへ注いだ。
残りは、美味しく冷やすために、最近新調した冷蔵庫へ入れた。
友人は、本当によく気が利いて助かる。
こいつは、命令される前から今相手が何を求めているかを察して動いてくれる。
他のダチ連中といい、奴隷の
「はい、これ。約束の三十万円も、事の後で払うから」
「お! マジで? いいのか?」
「お礼金だと思って受け取って」
ピザに未だ一度も手をつけていない友人から、一枚の封筒を受け取った。
ピザに触れた手をナフキンで拭ってから、逸る思いで封筒の中身を覗いた。
何と、友人は前金で五万円も贈ってくれた。
思いがけぬ幸運に、男の心は有頂天へ昇っていく。
「ありがとうなあ。マイ・ベスト・フレンド!」
「いいよ、このくらい……それより……」
最近親密になったばかりの元・同級生である友人が、ここまで尽くしてくれる意図を既に知っている男は、邪悪に笑って見せた。
「ああ。ちゃーんと分かっているよ。今日はコレが見たくて、わざわざ打ち合わせに来たんだろ? ピザに酒に金まで持って」
約束の夜よりも早く訪れた友人の目当てを知っている男は、グラスを片手にノートパソコンを操作した。
予め開いたファイルに保存された一つの動画データを、ダブルクリックした。
男は自分にヘッドホンを装着してから、相手にはイヤホンを手渡した。
開いた動画をパソコンの画面全体に拡大してから、再生を始めた。
「どうだ? 中々にそそられるだろう?」
「ああ……すごい、すごいよ……やっぱり、怖がっている表情も悲鳴も可愛いね……」
鮮明な画面で繰り広げられるのは、男とっての愉悦の宴、女にとっての生き地獄の一部始終。
数年前の夏祭りの残滓を、喰い入るように鑑賞する友人。
「ああ……素晴らしい……ようやく僕も、彼女の全てを舐め回すことができるんだね……っ」
画面の中で蹂躙されている涙顔の女を前に、積年の獣欲を
男から見れば彼女は地味だが、顔はそこそこ端正で、染めたことのない艶やかな黒髪が綺麗なくらいだ。
正直、友人がここまで彼女に惚れ込んでいる理由に苦しむが、モテない醜男の恋心は単純なものだろう。
「そういえば、この動画と写真を撮ったのも、計画を考えついたのも、君なんだよね?」
「その通りだせ? 彼女、本当は俺に口説かれて満更じゃなかったクセに、もったいぶった態度でコケにしやがった。だから、俺は親切にも彼女に抑制されてきた欲望を解放してやったんだよ」
友人の気前の良さと高級酒の酔いも手伝ってか、男は高揚していくにつれて饒舌になる。
武勇伝を語るがごとき男の言葉に、友人は快く相槌を打つ。
「ふぅん……そうなんだ。良いことをしたんだね」
「ああ。お前も女を見る目はともかく、雌を嗅ぎ分ける力は確かだな」
「照れるなあ、ははは。あ、もっと飲むかい?」
「おうよ。サンキュー。ほんと気が利くぜ!」
丁度、新たな酒をあおりたかった理想の時期に、友人は冷蔵庫から追加の酒を取り出した。
友人が注いでくれた酒はよく冷えており、熱くなった喉を爽快に潤す。
今夜も本当に気分が良くてたまらない。
全身を湯船に浸からせているような熱く心地良い浮遊感、夜空に浮くような甘い陶酔感に、男は満たされていく……。
「……!?」
突如、全身が急激に冷え渡るような悪寒と衝撃に、男の意識は軽い覚醒状態へ戻った。
しかし未だ霞のかかった視界と頭では、自分の置かれた現状をはっきり認識できていない。
視界を埋め尽くす虚白の空間から辛うじて理解したのは、自分が浴槽に入っていること。
首から足首にかけて巻きついた凄まじい圧迫感に、皮膚は軋む。
「もう少し眠っていたほうが、ずっと幸せだったのに……運が悪いね」
ぼやけた視界に浮かぶ、見覚えのある人影は、弾んだ声で何か呟いた。
残念そうな声とは裏腹に、相手の声は男を嘲笑するような響きに満ちていた。
ソレが何なのかを理解するよりも先に、男の喉奥に溜まった酸素は迫り上がろうとして、入り口で堰き止められた。
そこで初めて男は、自分が口を塞がれていることに気付いた。
「感謝してもしきれないよ」
逆光に遮られた人影の顔が嗤う気配を感じた。
しかし声を聞いた瞬間、記憶の片隅に置かれた相手の素顔に、男は愕然と目を見開いた。
動揺で震える双眸に映る世界は、一瞬鮮明になる。
「さようなら――」
世界は真っ赤な雪に輝き満ちた。
*
十二月二十五日・和国――百合の花にまつわる商業生産の盛んな、百合島の中央都市・王百合市にて。
史上最も島民を震撼させる、凄惨な事件は発覚した。
元・某有名食品メーカー大企業の社員である『田辺・孝雄』は、変死体として発見された。
今事件の調査のきっかけは、「十二月二十四日」に田辺の実姉が、警察へ届けた捜索願である。
今月の「十九日から二十四日まで」は、友人と二人で当選したハワイ旅行に行く予定だった事。
SNSウィスパーでも、大々的に自慢していたことから、姉も知っていた。
しかし、ハワイにいるはずの田辺へかけた国際電話は通じなかったこと、帰国日に自宅にいなかったのを、姉は不審に思った。
念のため、ハワイの宿泊先にも問い合わせてみた所、田辺・孝雄らしき人物が宿泊した記録はなかった。
田辺はハワイ旅行に行く寸前、「十九日の時点で」既に行方不明になっていたことを裏付ける事実に、姉は衝撃を覚えた。
会社へ問い合わせた際も、そこで初めて弟が自主退職に伴い、社員寮を追い出されていた事実を知った。
弟が事件に巻き込まれたかもしれない、と案じた姉は警察に行った。
非常に限られた手がかりのみで、警察による捜索は難航すると思われたのも束の間。
捜査開始からたった一日で、田辺の行方は判明した。
『すぐに見つかってよかった、と思ったのに……まさか弟があんな、ひどいことに……っ』
王百合市内の河川に沈んでいた黒い鞄の中から、田辺孝雄は発見された。
鞄には田辺孝雄の手首や足、頭部が収められていた。
犯人は田辺孝雄の遺体をバラバラに切断し、幾つかの鞄に分割した後、河川に投げ捨てたと推定されている。
遺体の一部が未だ全て揃っていないことから、残りの部分は、警察によって捜索中だ。
相手を殺して解体した後に投げ捨てる。
あまりに惨たらしい殺人事件に、百合島全土は戦慄した。
しかし、島民と警察すら肝を冷やす中、事件の真相は、呆気ないほど直ぐに明らかになった。
『僕は人を殺しました――』
事件の幕引きを担ったのは、「二十四日の夜」に自宅アパートで服毒自殺を遂げた『太山・庵土竜』だった。
街外れの最貧アパートの一室で発見された、遺体の側にあった空の酒瓶から、毒物反応は検出された。
さらに、自殺した庵土竜のノートパソコンに保存されていた「遺書」の内容は、事件の全貌を綴っていた。
『僕の人生を狂わせた田辺孝雄にやっと”復讐”をした。
しかし、奴を殺しても何も変わらない、未来なき人生から解放されたい。
人殺しの罪、田辺と一緒に多くの人を傷つけた罪は、僕自身の命をもって償います。
もう、疲れた。
ごめんなさい。
さよなら――』
罪と懺悔の告白、贖罪と解放の自死を綴った遺書。
二
高校時代から同級生だった田辺は、友達の生徒を率いて、庵土竜の名前と体型を揶揄ういじめを行なっていた。
最初は抵抗を示し、親と先生にも報告するなど、庵土竜なりに対処した。
しかし、告げ口された怒りに燃えた田辺は、庵土竜に非道な報復を実行した。
体育館倉庫に閉じ込めた庵土竜を全裸に剥き、彼の顔や在籍校が分かるように撮影する辱めを強いた。
田辺に逆らえば、自分の恥ずかしい動画と写真をインターネットで拡散すると脅された庵土竜は、従うしかなかった。
『この世に田辺が生きている限り、一生涯解放されないと悟りました』
高校を卒業し、大学生を経て社会人になってからも、庵土竜は変わらず田辺の奴隷だった。
少ない金銭を要求され、田辺の悪事の片棒を担がされたことも数知れない。
三頁目には、これまで隠蔽されてきた田辺首謀の様々な悪事について、震えた字で暴露されていた。
恐喝から万引きの強要、さらには女性に対する集団的な性的暴行まで、多岐に渡る。
『僕は僕自身だけてなく、奴によって人生を狂わされた多くの被害者の救済のために奴を殺し、奴が置いていった悪しき遺産を海の底へ葬りました』
田辺が撮影してきたいじめや強姦、暴力、犯罪強要等の悪事の動画や写真を保存していたという「ノートパソコン」は、海に捨てたと記述されていた。
恐らく、庵土竜自身を含む被害者を苦しめてきた脅迫のネタを、この世から完全に抹消したかったのだ、と思われた。
百合島周辺の海岸にも警察は調査しに行ったが、田辺のノートパソコンは未だ見つかっていない――。
*
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