四章

あれきり化け物が来ることもなく、手形はそのままで増えることもない。今日もあと数時間で意識が途切れるだろう。

最近僅かに変化が訪れるようになっていた。目覚めた際に夢の一部を覚えているのだ。初めは動かないただの景色だったが、眠りにつく度に少しずつそれが更新されていく。

灰色の景色。どこかの学校の校庭だ。誰もいない、どこにでもあるような普通の校舎。

今日は人が出てきた。顔はぼんやりとして見えないが、赤白帽子を被った子供が数人鉄棒の辺りで遊んでいる。必ず同じ場面から始まり、何もない空や校舎を移動してから、子供達が現れるところまで進んだ。

これが私の記憶なのだろうか。頭の中には何の引っかかりもない。懐かしいとも思わない。

ネチネチと見せつけるようにそれが刻まれていく。もうその場面は見たと思っても、強制的に見せられるので腹が立ってきた。

そんな時は気が狂ったように走り回り、障子に体をぶつけたりするが、そんな変化は次に目を開けた時には消えている。

頭の中を映像が支配し始めた。こんな風に自覚できるだけまだマシかもしれない。いずれ何も考えられず、頭の中で映像を再生し続けるだけの機械になるかもしれない。

白いポロシャツを着て帽子を被っている女性が、首から下げた笛を吹いた。子供達が彼女の周りに集まってきて、楽しそうに囲んでいる。これから遊び始めるのだろうか、それとも体育の授業だろうか。子供はそれぞればらばらに散って、追いかける側と逃げる側に分かれた。

それを彼女は満足そうに見つめた後その場を去って、使われていない体育館の裏側へと歩き出した。太陽で染められた眩しい校庭と違って、ここはひんやりとしている。夢のはずなのに温度まで伝わってきた。

彼女はポケットから鍵を出すと、体育館についていた小さな扉を開けた。非常扉だろうか、こんなものを見た記憶はない。

そこは用具入れになっていた。体育倉庫とはまた別の小さな置き場のようだ。その中心に小さな体が横たわっていた。なぜか縄を巻き付けられ、口には白い布が噛ませられている。

彼女はにやりと笑うと、近くにあったほうきを戸惑いなく男児に振り上げた。少年は顔を背けたが、衝撃が来ることはない。彼がこちらを見た瞬間にそれで小さな体を叩いた。

彼女は何度かそれを続けた後、気味悪い程優しく彼を起こした。服を捲ると、そこは赤く染まっている。

彼女は再び笑顔を浮かべて彼に告げた。

「生贄らしくなってきたわね」

縄を解いて、外へ出るように指示する。少年は弾かれたようにそこから逃げ出した。

目覚めたときに脂汗が浮かんでいた。彼女が恐ろしかったのもあるが、それ以上に嫌な予感がした。いや、彼女が出てきた時からそうなのではと思っていた。でも何度見ても、それをそうなのだとは理解できなかった。したくなかったのかもしれない。

映像の中の女性は短い髪だったが、今の私は長かった。黒い髪は胸下まで伸びている。

この家で唯一自分を映す鏡、水面まで走った。突撃したことにより水が少し溢れる。揺れて見えないのがもどかしかった。

「あっ……」

あれより老けている。底の見えない黒い水面に映った顔など正確ではないかもしれない。しかし、ここまできたら恐らくそうなのだ。あの女教師は私なのだ。

敵の正体に気がついた。あの小さな手形は生徒だ。私が関わってきた彼らなのだろう。

ああ、嫌だ。もう見たくない。しかし今日も逃げられない。


夢の中で何度も傷付けた。抵抗のできない相手を殴り、暴言を吐き、他の子から孤立するように仕向けた。目撃証言が出ないように、告げ口したら貴方を生贄にすると言って脅した。

子供達に相談された優しそうな先生を、他の先生と組んで追い詰めて口を閉じさせた。若く逞しい先生が味方になるように媚びを売っていた。

私はあの頃どうしてもストレスが溜まって溜まって仕方なくて、誰かの優位に立てる瞬間だけが、楽になれる時間だった。

何人か学校に来なくなった。何人か学校を辞めた。一人死んだ。

遺書はあったが証拠不十分だった。その頃には教師も飽き飽きしていたので、それ以上面倒になる前に辞めた気がする。

記憶を思い出したという感覚はないが、彼女の気持ちは恐ろしいほどに理解できた。僅かな感情の機微さえ感じ取れるほどに。ここまで一致するなら当人なのではないのか。

それで、どうする。どうするのだ、子供達よ。私を恨んでいるのだろう。このまま寝かせたきりか。復讐はそれだけか。

頭で考えているのか、実際声に出ているのか分からない。ぐるりぐるりとうねる木目が眼球に張り付いて、笑みを浮かべる。

気を狂わせることが目的か。発狂させたいのか。残念ながらそれは叶いそうにない。私は冷静だ、どこまでも。こんな映像を見せられてもなお反省の気は起きない。他人事なのだ全て。質の悪い白黒映画を見せられただけとしか思えない。

ほら、現れろ。現れてお前が悪いのだと叫べ。非難しろ。復讐に同じ事をしろ。叩いて、蹴って、髪を切るのも好きにしろ。出てこい。出てこい。弱虫め。結局死んだところで変わらないじゃないか。せっかく化け物の類になれたのに、子供の呪いなど所詮この程度か。

くだらない。どこまでもくだらない。呪うほどの思いを持ちながらも、こんなものか。大したことなどない。やはり私は強いのだ。こんな奇怪な場所に来ても、記憶を失っても、強い。

惚れ惚れするほどだ、自分の強さに。こんな人間は探してもなかなかいない。お前らは弱者だっただけなのだ。私の一瞬に関われただけでも喜ぶべきではないのか。

ほら直接言ってこい。呪いの言葉を言ってやりたいんだろ。

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