膕館啻

一章

一歩進めば嘘になり

二歩下がれば真実に

貴方の罪と この罪を

足し合わせたら 何になる

ここから出ようものなら 地獄也

夢の中で足掻く 不自由

それこそが 罰 也



どこかで嗅いだ匂いだ。遠く懐かしい記憶を蘇らせるような。

好きとは言えない。だが不快という訳でもない。しかしそれを思い出したくはないと考えている。それは私なのか。それとも別の誰かなのか。

そもそも私は誰なのか。私は何なのか。

体は同じでも別人の記憶を入れてしまえば、もうそれは別人なのではないだろうか。

だから私に記憶がないということは、今の私は私ではないということだ。


体を動かせない不自由に息苦しくなり、目が覚めた。初めに見えたものは木の天井だった。うねうねとした木目はまるで蠢いているようにこちらを睨んでいる。

そこから目を逸らして、ぼんやりとこの部屋を照らしていた存在を見つけた。蝋燭だ。それが一つ、ポツンと部屋の端に置かれている。

自分の状況はというと、まず口に布が噛ませてあった。キツく結んでいるらしく、頭の後ろまで引っ張られているような感じがする。

目線を下げて体を確認すると、自分は着物を身につけていた。そこへ白い縄が這うように全身を締め上げている。

体の自由は奪われている為、僅かに捻るような動作しかできない。後ろに縛られた腕は、自分の体重も乗って痛みを感じる。

焦りながら暴れているうちに、少しだけ縄が緩んできた。それにより、足元が先程よりも動くようになっている。手首は頑丈なのに、なぜ足首には巻かなかったのだろう。そう疑問には思ったが、それよりも動くことの方が優先だった。

どうにか膝下までの縄を緩め、壁に寄りかかりながらふらふらと立ち上がる。白い足袋が畳を踏んだ。

どう見ても和室だ。それも時代劇の撮影でもできそうな古いやつ。

見覚えがないから恐らくは自分の家ではないはずだが、そう言い切れる自信もない。しかしこんな風に縛られているということは、攫われたと考える方が自然なのではないか。

着物を着る習慣なんてなかったはずだが、不思議としっくりくるような心地がしていた。ならここは私の家なのか。

しばらくその場に立ち尽くしていたが、風の吹く音一つ聞こえなかった。この家、いやこの広さなら屋敷だろうか。ここには誰もいないのか。

自分の体を縛ろうと思ったら、一人では不可能だ。他の人間が関与しているはず。ならその人物はどこへ行ったのか。何が目的か。私をここへ連れてきて、縛って放置する意味とは。

よたよたと一歩ずつ倒れないように慎重に進んで、障子まで辿り着いた。静かすぎるこの場所で、誘拐犯でもいいから姿を見たかった。あまりにも音が聞こえないので、自分一人しかいない世界に来てしまったような気になってしまう。

体を反転させて、指先で障子の一部を掴んだ。横に体ごと移動させてそれを開く。

振り返ると、その先に庭が見えた。

――月だ。初めに自分の目を捉えたのは銀色に輝く大きな月。真っ黒な空にただ一つだけ浮かぶ三日月は、更に現実感を失わせた。あまりにも強い光はそのまま世界を消してしまいそうだ。

一度目を逸らしてから、周りに目を向ける。あまり広くはないが、一応この建物に似合った風情のある日本庭園があった。

丸い大きな壺の中には並々と水が溜まっている。そこに三日月が反射しているので、電気がなくても明るい。半分ほど苔が生え、周りは雑草が伸び放題だが、月のおかげかそこだけは綺麗に見える。

少し落ち着き、よたよた歩きのまま更に外へと向かっていった。

竹で作られた大きな塀が家を囲っているらしい。縄を解き、そこら辺にある道具を使えばなんとか登れるかもしれない。体一つでは難しそうだ。塀の向こうには何も見えない。音も聞こえないので、近隣住民も存在していないかもしれない。助けを求めるのは無理そうだ。

足袋が汚れてしまうが、それに構わず庭に出てみた。ヒヤリとした土が湿って少々不快だ。この上で体を倒すのはもっと面倒なことになりそうだったので、気をつけながら足を進めた。

庭を回っていけば、そのうち正面に着くだろう。何も言ってこないのであれば、このまま黙って出て行ってしまうぞ。

外へ出たことにより少し余裕が生まれたのか、妙な自信が芽生え始めていた。縄だって本気で足掻けば、もっと緩めることができるかもしれない。

やってみろ誘拐犯め。私を甘くみたな。

角を曲がると、突然石畳を踏んだ。冷たくて硬い感触が伝わってくる。ここは家の正面部分だ。玄関から入り口の門までの距離が遠い。何の為のスペースなのだろう。とにかく広い敷地にあることだけは分かった。

捕まるところはなかったので、気をつけながら門へと進んだ。ここで転んだら起き上がるのが面倒なだけでなく、怪我をしそうだ。

真っ黒い重そうな門。ここからでも自分の身長より高いことが分かる。でも、外は見える。

それだけを希望にして一歩一歩近づいていった。細い鉄が縦に並んでいるデザインで、向こう側は僅かにしか見えない。その先には民家の一つもなく、遠くの方に山があり、近くには畑だろうか平坦な道が続いている。歩くような道でもないのか、雑草が荒れ放題だった。

もしや私はどこかの崩壊した村の跡地にでも連れてこられたのだろうか。今は既に無人の場所となっているのかもしれない。

ここから出たとして、それから数日歩いたとして、何かが見つかるだろうか。想像以上の光景に思わず閉口した。

何者だ。何者がこんなところまで私を連れてきた。一体どれほどの恨みがあればこのようなことができる。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る