第四話『未知の法則』
『――――
ジョン・タイターと名乗る男の問いかけに、ジェイコブ・アンダーソンは苦々しい表情を浮かべた。大学時代、その手の話題は諍いの源となる事が多かった。
生命の起源。その命題に数多くの研究者達がアプローチを試みた。だが、結果は惨憺たるものだ。現在に至るまで、無生物質から生物が発生する現象は確認されていない。
ダーウィンの進化論も始まりの生命を説明する事は出来ず、だからこそ、そこに神の存在を視る者が後を絶たない。
「私は科学者として、化学進化の結果だと考えていた。要するに偶然だ」
神がアダムとイヴを生み出しただの、宇宙から生命の種子が飛来しただの、実にバカバカしい。そう、学生時代のジェイコブは宗教家やSF作家を軽蔑していた。
『考えていた……、ね。今は?』
「……神の存在を否定出来ない」
大学時代とは違う。今のジェイコブは人智の及ばぬ存在が実在する事を知っている。それこそ、物理法則を超越し、無形である筈の『心』や『魂』に干渉するものもいる。魔術や妖術はお伽噺ではなく、神話や伝説は史実だった。
『ジェイコブ。神は存在しないんだ』
「……は?」
至極当たり前の話。けれど、ジェイコブは逆の解答を予想していた。あの日、襲いかかってきたミュトス、アルヴァ、ウルガ、ヒヒオウ、オルガ、メギド。どれも、神の如き力を持っている。
『生命の起源は
「宇宙から生命の種子が飛来したと? しかし、それは……」
『神の御業以上に信じ難い?』
「……宇宙空間は生命活動に不向きだ。高温、低温、宇宙線。他にも生命を脅かす要素が多過ぎる。この惑星はまさに奇跡の地なんだ。それに、パンスペルミア説では根本的な解答にならない。結局、生命の種子の発生原因を特定出来ていないのだから」
『順番に答えてあげよう。まず、生命の種子が宇宙空間に存在し続ける事が出来た理由。簡単な話さ。この星の生命体が放射線や温度に影響を受けるようになったのは、この星に適応した結果なんだ。酸素っていう毒素をエネルギー源として取り入れられるようにしたようにね』
「……馬鹿馬鹿しい。宇宙線や太陽熱に耐えうる生命などあり得ない」
『あり得るさ。君はその一例を目撃している筈だよ』
「一例……、まさか!」
ジェイコブの脳裏に東京湾で暴れまわったアルヴァの姿が浮かび上がった。あの怪物の熱戦の正体、それは体内で生成するエネルギー体だ。それは小型の太陽とも言うべきもの。そう、アルヴァは太陽に匹敵するエネルギーを支配下に置いている上、その超高エネルギーが発する高熱に耐えうる肉体を有している。
『第二の疑問にも答えよう。そもそも、生命の種子はいつ、どこで発生したのか』
ジョン・タイターは言った。
『創世の瞬間。無から有が生み出された時、生命の種子も放出されたのさ』
「……無から有。ビッグバン理論はあくまで仮説の一つだ。時が0に近づけば、あらゆる数式が破綻する。そもそも、無を説明出来ない。どういう状況なのか、どうして無から有が産み落とされるのか」
『無の先にあるもの。それは別の有さ』
「サイクリック宇宙論の事を言っているのか?」
『その通り。宇宙は
「仮に宇宙が膨張と収縮を繰り返しているとして、その仕組にも始まりがあった筈だ! それこそ、真なる無! その無を説明出来ない限り、神を否定する事も出来ない筈だ!」
反論しながら、いつからこんなにも自分は信心深くなったのかとジェイコブは驚いた。大学時代は遠巻きに見ていた議論に対して際限なく熱くなる自分の心を押さえつけていられない。
『はじまりと終わりは同義だよ、ジェイコブ。実数時間のはじまりと終わりを虚数時間が結びつけている。真なるはじまりがあるとすれば、それは虚数時間の事だ。それこそが確定要素で満たされた世界の唯一の揺らぎ、特異点だ』
尚も納得いかな気なジェイコブに対して、ジョンはクスリと微笑んだ。
『ジェイコブは神の存在を望んでいるようだね』
「……別に、望んでいるわけじゃない。だが、ミュトスやアルヴァを見ていると……、神の存在を感じずにはいられない。翼もなく、あの質量の生命体が空を舞うなど……、生命体が自らの内に太陽を宿すなど……!」
『君は……、神というよりも、物理法則に対する信仰心が厚いようだね』
「……どういう意味だ?」
『そのままの意味さ。君の識る物理法則というものは、あくまでも現代の人間が観測出来た法則でしかないのさ。万有引力も、相対性理論も、質量保存の法則も、世界を構成する要素の一部を解明しただけの事なんだよ。ミュトスやアルヴァは君達の知らない法則を味方につけているのさ』
ジェイコブも既知の物理法則が世界のすべてなどと思った事はない。それらを解明する為に科学者達は日夜研究を重ねているのだから。けれど、SDOが未知の法則を支配しているというジョンの言葉を素直に呑み込むことは出来なかった。
「未知の法則だと? それでは、我々は銃を相手に棍棒で挑むようなものではないか!」
『……驚いたな。神という不確かな概念よりもよっぽど現実的だろう。それなのに、どうして恐れるんだい? むしろ、未知を既知に変える事が出来れば、人類は新たな夜明けを迎える事も可能なんだよ?』
「人類は……、ピタゴラスが否定するまで、地球を平らだと信じていた! パラダイムシフトはそうそう起こるものではない! 奴らの支配する法則の発見に、一体どれだけの時間がかかるか……、想像もつかない」
ジェイコブははじめてSDOという存在に恐怖を覚えた。それまでは人智を超越した神秘的存在として捉えていた為に正しく脅威を理解出来ていなかったのだ。お伽噺の存在だからこそ、いずれ人類の科学が勝利を収めると確信出来ていた。
けれど、彼の得意とする科学の領域に踏み込まれた途端、彼は真の意味での脅威を悟ってしまったのだ。
局長の言葉が蘇る。
―――― 安心しろ、ジェイコブ。どんなに頑張っても、我々が生きている間にSDOが全滅する事はありえない。たとえ、GKS以上の兵器が生まれたとしても。
あの言葉の意味が分かった。未知なる法則を支配している以上、SDOに対して真の意味での特攻兵器の開発など不可能だ。
地球が球体だと知っている者に対して、地球が平面だと信じている者は無力だ。地球をグルリと反対方向に回り込まれたら、防ぐ手立てなどない。
「我々は……、勝てない戦をしているのか?」
『……その答えはオレにも分からないよ』
耐えきれなくなり、ジェイコブは十三区画から飛び出した。その後姿を見送りながら、ジョンは微笑む。
『……そろそろかな』
◆
東京湾を襲ったアルヴァ。そして、京都の上空に現れたメギド。
二体の巨大生物の出現によって、日本中が大パニックに陥った。在日外国人は即座に自国へ退去を始め、都市部では物資の買い占めを行う人々がスーパーやデパートに殺到している。
ニュースでは連日巨大生物に関する報道が行われ、有識者達があれこれと意見を交わしている。
政府は自衛隊の軍備の強化を実施する為の法案を国会に提出し、首相が国外に助力を求める為に各国の首脳と緊急の会談を行っている。それまで、自衛隊の軍拡に反対していた勢力も勢いを失い、中には率先して軍拡を支持する声明を発する者もいた。
それほど、二体の巨大生物が人々に与えた影響は大きかった。
「うちの従兄弟、お台場にいたんだよね……」
クラスメイトの山岸茜は教室の隅で暗い表情を浮かべながら親友の館林美樹にそう零していた。
山岸だけではない。アルヴァの出現時、親戚や友人がお台場に行ってしまった者がオレの学校にもたくさんいた。スマートフォンを開けば、今でも当時の光景を映した動画がアップロードされ続けていた。動画には撮影者や周囲の人間の断末魔の叫びが録音されている。
「不思議だよね」
放課後になり、下校しながら健吾が呟いた。
「なにが?」
「これ」
健吾はスマートフォンを掲げてみせた。そこには京都の上空に現れたメギドの画像が開かれている。
「文献を読む限り、アルヴァやメギドは昔から存在していた筈なんだ。だけど、今までは人目につく事がなかった。それなのに、どうして急に人前に現れだしたんだろう」
「たしかに……」
人工衛星が飛び回り、今では密林の奥地や絶海の孤島の様子さえ自宅のパソコンから調べる事が出来る時代だ。あんな巨大な生き物がこれまで発見されて来なかった事がまず異常だ。
その癖、一体現れたかと思えば、立て続けに二体目が姿を見せた。それも、明らかに種族の異なる生物が。
「特定災害対策局……、覚えてる?」
「ああ、桜井とか言う野郎の言っていた組織だっけ?」
康平は苛立たしげに舌を打った。
「他にも陰陽連っていう組織が日本にあるって言ってたよね。もしかして、彼らが隠してきたのかな?」
「隠してきたって……、隠せるものなのか?」
「詳しい事は分からないけど、実際に僕たちはウルガやアルヴァが実在する事をあの時まで知らなかった。もしかしたら、魔法を使ったのかもしれない」
「魔法……?」
急に話が胡散臭くなった。
「いや……、君の祈りも魔法みたいなものじゃないか」
言われてみると、たしかにレオに力を与えたり、長距離をワープしたり、幽体離脱をしたりと、結構な超常現象を巻き起こしている。
「そっか……。魔法は実在するんだもんな」
小説やアニメならともかく、現実では手品師やペテン師、あるいは深夜の通販番組の常套句である筈の魔法という言葉。それが実在している事実をうっかり忘れていた。
「僕も魔法が使えないかな」
「使いたいの?」
「もちろん! だって、魔法だよ?」
「……そうだよな。魔法だもんな」
むしろ、実在するなら使いたいと思わない人間の方が稀だろう。
「……じゃあ、健吾も祈りを覚えてみるか?」
「いいの!? やるやる!」
「康平もどうだ?」
「あー……、俺は観てるだけでいいや」
ノリの悪い男だ。
「あっそ。だったら、康平は家に帰れよ。いい加減、そろそろおじさん達に顔を見せて来い!」
「やだね、面倒くさい」
「面倒くさいって、お前……」
相変わらず、康平は家族に対してドライ過ぎる。
「康平……」
親のいないオレには、親のいる人間の気持ちなんて分からない。もしかしたら、オレの思いは単なるお節介でしかないのかもしれない。だけど、康平にはもっと家族と仲良くして欲しいな……。
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