第二章『進化』
プロローグ『一億年目の約束』
「ハァハァ……」
京都の街から少し離れた山の中、
数時間前の事だった。久しぶりに里帰りした沙也加は家の周りを歩いてみようと思った。幼少の頃、彼女はあまり家の周りを歩いた事が無かったからだ。
辺りが茜色に染まり始めた頃だった。木々がざわめき、カラスの鳴き声が不気味に響いた。そろそろ帰ろう、そう思って帰路に着こうとした時、沙也加は愕然となった。
道が分からなかったのだ。周りは同じ様な木々に囲まれ、陽は徐々に傾いていく。外灯など無く、歩き回っているとすぐに暗くなってしまった。助けを求めて叫んでも誰も応えてはくれない。不安が募っていく。泣きそうになり、近くの木の下で蹲ると、突然巨大な地響きがした。驚いて立ち上がると、木々の合間に不気味な金色に輝く瞳が浮かんでいた。悲鳴を上げて逃げ出すと、地響きと共に瞳が追い掛けてきた。
沙也加は傷だらけの体で走り続け、小さな社を見つけた。
「ここに隠れれば……」
扉を閉めて息を潜める。ズシン、ズシンと巨大なナニカが地面を踏み鳴らす音が聞こえ、沙也加は怯えながら自分の体を抱き締める様にして震えた。
自分を探す怪物に怯え、沙也加はジッと怪物が去るのを待った。しばらくすると、音が止んだ。怪物が去ったのだろうと思い、彼女はゆっくりと社の扉を開いた。
「……ヒッ!」
そこには怪物がいた。鋼のような皮膚に覆われた恐竜のような姿をしている。特筆するべき事があるとすれば、それは躰の大きさだろう。まるで、動物園でみたキリンや象のよう……いや、それ以上の巨体だ。
沙也加は腰を抜かして悲鳴を上げた。恐怖で体が凍り付き、涙や涎が溢れ出た。死ぬ、そう確信した。これから自分は目の前の怪物に殺されるのだと。それも考えうる限り、最悪の殺され方をする。
怪物が鋭い爪を振り下ろしてくる。
―――― 誰か、助けて。
沙也加は瞼を閉じながら来る筈のない助けを求めた。すると、瞼の裏が眩しい赤色になった。
怪物の苦悶に満ちた叫び声が聞こえる。彼女がゆっくりと瞼を開くと、目の前に光を発するナニカが浮かんでいた。怪物が陽光の如き輝きを受けて苦しみ喘いでいる中で、彼女はその光に見惚れていた。
ドクンと心臓が跳ねた。心のどこかが、ソレを手に取れと言っている気がした。
怪物は光から逃げる様に遠ざかって行く。だが、沙也加にとって怪物は既にどうでもよかった。ゴクリと唾を飲み込み、目の前の光を放つナニカに手を伸ばす。
「あったかい……」
沙也加は知らず呟いていた。まるで、運命に導かれたかの様に、光を放つナニカに手を触れた。その瞬間、光は爆発する様に更に強く輝き、まるで真昼の如く辺りを照らした。そして、光の中から美しい少女が現れた。黄金の短髪を夜風で靡かせながら、ゆっくりと開かれた瞼の向こうには髪色と同じく黄金の瞳が現れる。
「……ここは、どこだ? わたしは、だれだ?」
「えっと……」
黄金の瞳が思わず尻餅をついてしまった沙也加を射抜く。
「おまえは、さやか……!」
驚いた表情を浮かべ、彼女は沙也加の名を口にした。
「そうだ……。わたしは、さやかをまっていたんだ」
その言葉に沙也加は目を丸くした。
「わたしを待ってた? あなたは一体……」
「ずっと、まっていた。ああ、それだけはおぼえている」
「待ってたって、どういう事なの? それに、どうしてわたしの名前を知ってるの?」
沙也加の問いに少女が答える前に、怪物の唸り声が響いた。
「じゃまをするな」
少女は不機嫌そうに怪物を睨みつけた。
「ようやくあえたんだ。ずっとまってた」
沙也加は少女の言葉に幾つもの疑問を抱いた。けれど、それを尋ねる前に少女は動いていた。
眩い光が少女の手から伸びる。バチバチと音を立てて、まるで雷のようだ。光を浴びた怪物から焼け焦げたような匂いが漂ってくる。痺れているのか、体の動きも鈍い。
唖然としている沙也加の前で、少女は更に怪物へ追撃を繰り出した。数十メートルの高さまで飛び上がり、その頭部に取り付いたかと思うと、再び掌から眩い光を迸らせた。怪物が苦悶の声を上げながらのたうち回る。
「さやか。だいじょうぶか?」
少女は沙也加の目の前に降り立つと手を伸ばしてきた。
「う、うん」
その手を取って立ち上がろうとしたけれど、腰が抜けてしまっていた。必死に立ち上がろうともがくが、僅かに腰を持ち上げる事しか出来ない。力が入らずに直ぐに座り込んでしまった。
そのやり取りの間に怪物が復活してしまった。沙也加と少女を睨みつけながら雄叫びを上げる。痛みで逆上しているのか、先程までよりもその姿が禍々しく見える。
「あなたは逃げて!」
沙也加が言った。
「いやだ!」
少女は首を振りながら叫んだ。
「ずっとまっていたんだ。さやかはわたしがまもる!」
少女が叫んだ瞬間、沙也加の手の中でナニカが暖かい光を放った。
「あったかい……」
光に包まれて、沙也加は心が穏やかになるのを感じた。気が付くと、全身に力が入るようになっていた。立ち上がると、沙也加は少女に向かって頷いた。
「逃げよう!」
「ああ!」
沙也加は少女の手を取って駆け出した。
木々の合間を縫って走り、後ろから迫る怪物から必死に距離を取る。どこに逃げればいいのかも分からず、沙也加は少女と共に必死に逃げ回った。
「このままじゃ追いつかれちゃう……」
沙也加は後ろに迫る怪物の姿を見て絶望の表情を浮かべた。
「さやか。わたしがやつをひきつける。そのあいだににげろ!」
少女は沙也加の手を振り解くと言った。
「ダメ! あなたが殺されちゃう!」
沙也加は自分の為に誰かを犠牲にする事など出来なかった。それに、出会ったばかりだというのに、何故か名も知らなぬ目の前の少女と別れるのが嫌だった。彼女が『ずっと待ってた』と言ったように、沙也加も彼女を心の何処かで待っていた気がした。
走っていると、突然森を抜けた。沙也加は何処かの道に出られたのだと思わず笑みを浮かべた。だが、そこは崖だった。下の方では流れの早い川が見える。
「そんな……」
沙也加は膝を折った。
「さやか、たつんだ! やつがくる!」
少女が必死に叫ぶが、沙也加は立ち上がれなかった。長い間走り回っていて、最早疲労と恐怖で限界だったのだ。
「もう、無理だよ……」
「あきらめるな、さやか! かならずたすけるから!」
少女が言うと、沙也加は疲れた様に首を振った。諦めた様な表情を浮かべ、迫り来る怪物に体を震わせた。
少女は森を抜けて来た怪物から沙也加を護る様に立ちはだかった。
怪物の雄叫びに沙也加は身を竦ませる。少女が再び光を放つが、怪物はその光ごと少女を引き裂こうと爪を伸ばしてくる。
「さやかはわたしがまもる……っ!」
その時だった。沙也加の手の中で再び光が溢れた。沙也加の心に温かいものが流れ込んで来る。
「ウアアアアアアアッ」
不意に、少女の悲鳴が沙也加の耳に届いた。ハッとなり顔を上げると、彼女は苦悶に顔を歪めながら両手を前に突き出して、怪物の爪を受け止めていた。その向こうでは、怪物がもう片方の腕を振り上げている。
「あっ……、あぁ……」
沙也加は自分が情けなくなって涙が溢れた。彼女は必死になって自分を守ろうとしてくれているのに、自分は諦めて座り込んでしまった。
「だめ……、■■■」
知らない筈なのに、自然と口から溢れた。それは、少女の名前だった。女の子の名前にしてはずいぶんと無骨な名前だけど、それはたしかに彼女の名前だった。
沙也加は何度も少女の名前を呼んだ。その度に、いつの間にか握っていた小さな果実が鼓動する。涙がポロポロと頬を伝って流れ落ち、沙也加は立ち上がった。
「メギド!」
沙也加がメギドの名前を叫んだ瞬間、沙也加の手の果実がそれまでで一番の輝きを放った。光を身に受けたメギドは全身に力が漲るのを感じた。
「さやかぁぁぁぁぁ!」
光に包まれたメギドが叫ぶ。すると、光は一層強さを増すと一気に四散し、そこにメギドの姿は無かった。変わりに、怪物すら小さく見える程の巨大な龍が姿を現した。
「メギド……」
その姿に、沙也加は不思議な感情を覚えた。
普通なら恐怖を覚える。けれど、彼女が感じたものは懐かしさだった。
「メギド!」
メギドは怪物に噛み付いた。その姿に沙也加は首を傾げる。
「あれ……?」
沙也加はメギドの姿に、何かが足りないと感じた。けれど、その疑問が晴れる間もなく戦いは終わっていた。メギドの牙から発せられた雷が怪物の体内を焼き尽くし、灰の塊にしてしまった。
その光景を見てさえ、沙也加は恐れるどころか、頼もしいとさえ感じた。
「メギド!」
沙也加が駆け寄っていくと、メギドは雄叫びを上げた。
◆
懐かしい夢から目を覚ました沙也加は頬をポリポリと掻きながら呟いた。
「……いよいよ、始まっちゃうんだね」
欠伸を噛み殺しながら、沙也加は隣で眠っている龍に声を掛けた。
「起きてよ、メギド」
起き上がった金髪の女性は欠伸を噛み殺しながら沙也加を見つめる。
「おはよう、沙也加」
「おはよう、メギド」
テレビをつける。ニュースは昨夜東京湾に現れた巨大生物の話でもちきりとなっていた。
「行くよ、メギド」
階下に降りると、父と母が待ち構えていた。
「沙也加……」
父は唇を噛み締めて、沙也加を見つめた。
「本当に行くの……?」
母は涙を零した。
「行くよ。それがメギドとの約束だもの」
二人はメギドを睨みつけた。
「……沙也加はわたしが守る」
それだけを告げると、メギドは沙也加の手を握った。
「我が仇敵にして、盟友の拓いた道。今度こそ……」
「うん。今度こそ、終わらせるよ。全部!」
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