隠れ家に咲く花Ⅰ

登坂けだま

第一章『種子』

 葉団扇絆はうちわきずな。12歳。底抜けに明るく、笑顔の絶えない少年。しかし笑顔を向ける相手はごく限られている.

 彼は小学校に通っていない。対人関係や成績の面で問題があったわけではなく、彼は現実世界そのものに嫌気が差し狭い自室に引き篭もっている。

 彼が家で繰り返すのは、宇宙に関する未解決の謎について知ることである。これだけ物理学が発達しても世界には未知がある。絆にとっては謎こそが希望であり、理解の及ばない場所を愛している。

 原理の分からない現象は全て魔法と変わらない。これは数多の物語の中で何度も語られてきた真実である。絆の願いは本来そこにあった。そして究極的には、その謎に包まれた箱を幾ら取り去った所で現実の正体など見えてこない。そんな世界観が彼の理想だったのだ。だからこそ彼には知識欲があった。

 彼は悲しいくらい頭が良かった。そうして教育を受けている内に現実の狭隘さを知ることとなる。

 世界は数式で記述できる。そしてそれを突き詰めた先にあるのは、無であるのか有であるのかという究極の問い。彼はその疑問に興味を惹かれなかった。考えても答えを出しようがないという謎の終着点に辿り着いてしまった以上、彼の知識への探求はそこで終わってしまう。終わりを知ってしまったから、そこに至る過程さえ知りたくないと考えた。

 そうしてある時に限界が来て、引き篭もるようになった。これ以上現実を知りたくない。蓋をする事で、そこに僅かな希望が存在すると信じ込み続けているのだ。

 だから、自分の知識では到底理解の及ばない科学の未解決問題についての概略を知ることが彼の生きがいであるのだ。ただ、そうしたことを独学で勉強し続けた先にはやはり逃れようのない現実が待っていることも理解し始めていた。

 だから願っていた。この世が全て論理で記述出来るとしても。その上の世界には得体の知れない神のような何かが座していて、この世界を形作っているのだと。その願いを他でもない神に対して捧げていたのだった。

『東京都渋谷区で9日に起きた大規模な爆破テロ容疑で逮捕、勾留されていた、随筆家で人気コメンテーターのベロニカ・リベット容疑者が、15日正午過ぎに留置所から逃走していたことが分かりました。最後に目撃証言があったのは……』

 テレビから引っ切りなしに流れて来る暗いニュースも極めて現実的で、そこに幻想や希望が入り込む余地はない。大人は子供に、汚い世界を隠そうとする。その事実が余計に、現実という場所が如何に暗く絶望の淵にあるのかを強く意識してしまう。

『容疑者の特徴はこちらの映像のように紫の長髪、鼻筋が長く左右の目の色が違います』

 その画はまるでファンタジー世界の住人のように奇抜な色彩をしていた。爆破テロ事件の容疑者という抗い得ない現実とのギャップが、絆を更に絶望の中へと陥れる。

 彼の心境が徐々に落ち込んでいることに気付いたのは歳の離れた姉だった。数年前から世界中を飛び回って仕事をしており、一年に数回しか帰ってこない。しかしながら、共に過ごす時間が短いからこそ変化に気づけたのだ。

 だから彼女はその日、絆に提案した。

「絆。知らない世界を学び続けられる世界の隠れ家があるの」

「隠れ家?」

「私が学生時代から家にほとんどいられなかったのは、その隠れ家に住んでいたから。現実の世界から切り離された楽園」

 現実からの隠れ家で、楽園。絆にとってこれほど興味を唆られる言葉はない。

「本当に……現実から隠れられるの?」

「うん。この部屋だって、絆にとっては隠れ家のつもりかも知れないけど……社会の一員である以上、現実は絆と常に繋がり続けている。あなたがいるのは紛れもなく現実世界。でもあの隠れ家は少なくとも、そういう社会から隔離されている楽園なんだ」

 多くの疑問が湧いて出た。しかしその答えを姉に求めようとは、一切思わなかった。



 世間一般にはその存在が知られていない、人間の秘められた能力を育てることを目的とした学園『エルミタージュ』。その場所には人知を超えた能力を育む為の教育が備えられている。

 絆はその門を叩く。姉が隠れ家や楽園と表現したこの場所。それが一体どんな場所か、この目で確かめたい。

 エルミタージュの制服は配色としてある程度派手であるとも言えるが、絆の偏見の中にある特段奇抜な魔法使いらしい風貌には見えない。新たな環境に目を光らせる百人の子供たちの行き交う光景それだけを見れば、この学園が「隠れ家」であるとは感じられない。

 しかし、何千本もの桜が立ち並んでいた。並大抵の大学のキャンパスの敷地面積の比ではない。絆は、絆の知らない超自然的な法則がこの広大な規模の領域を作り出しているに違いないと感じていた。

「うわーっ! 凄い!」

 独りで大騒ぎしていたが、絆を好奇の目で見る人間はいなかった。なぜなら、周りの子供たちも同様の反応を示していたからだ。

 だが、そんな子供たちの群れの中に一人落ち着き払って立ち尽くしている新入生がいた。目線を落として溜息まで吐いている少女を見て、絆は声を掛けた。

「ねえねえ、もっと笑おうよ! こんなにすごいんだよ!」

 絆はこの夢見た世界で一刻も早く友人を見つけようと考えていた。あえてこの女子生徒を選んで話しかけようと思ったわけでもない。強いて理由を挙げるとするならば、自分と同じように騒いでいる人間とは真逆の人間の方がバランスが取れるような、そんな気がしたからだった。

「凄いのは当たり前だよ」

「えぇ!? すごいものは、すごいじゃん!」

「……私の勝手でしょ」

 そう言って彼女は背を向けて先に進んでいく。その後ろ姿は絆の脳裏に強く残った。

 彼の少女を追うことは得策ではないと絆も感じ、緊張しつつも前へ前へと歩を進めた。


 豪華絢爛なシャンデリア。眩く鮮やかな光に包まれた大ホール。この場に百人近い新入生が集合していた。

「入学、おめでとう」

校長と思しき初老の男性が第一声を発した。

「貴方達があえてこのエルミタージュを学び舎として選んだこと。それぞれ、十人十色の理由があるでしょう。未知なる物への挑戦、夢を叶える為の手段、もしくは現実からの逃避かも知れない。ただ、それは始まったキッカケに過ぎません。辿り着く場所は皆さんがこれから決めること。成し遂げようと思うことへ、精一杯向かって行って下さい。この学校で過ごす六年間を大いに楽しみ、利用し、糧として頂きたい。今日の私から言えることはそれだけです。入学、おめでとう」

 シンプルな言葉。それだけに、この場に同席した誰しもの心にも多少なりとも響くものだった。

「続いて、理事長からの挨拶です」

 どんな大魔女が出てくるかと絆は想像していたのだが、登壇したのは子供だった。新入生の絆たちより更に二、三は歳下に見える容姿で、四方八方に向かう色彩豊かな髪の少女である。

「諸君、おめでとう!」

 不遜な態度が強く見て取れる少女の声が響き渡る。生徒たちは騒めいていた。

「理事長の鈴懸早春すずかけさはるだ! 私の学生時代はそれは大変な時代で、超自然的な世界が排斥されようとしていた。その為酷い扱いも受けたし、エルミタージュの中でも真力と超心理学の派閥争いが強くて、戦いの毎日だったことをよく覚えている。君達は平和な時代に生まれたのだ」

 ヒソヒソ声が聞こえると、早春は一瞬眉を顰めてから声にならない程度に微笑んだ。

「……やはりまだ、表面上の姿に強い偏見を抱く子供が多いと見た。しかしそれも仕方のないことだ。それがまかり通る社会の中で生きてきたのだからな。今は大いに戸惑いながら生きて行くが良い。ここで暮らしていけば、じきに想像力が育まれるはずだ」

 早春の姿は、絆にとって未知の象徴であった。年端のいかない少女が理事長として登壇していることも、彼女の語る世界も。どんな理屈で重力に逆らっているのか分からない虹色の髪の毛やだらしない着こなしのスーツも、絆の常識と掛け離れていた。

 ふと今朝話しかけた件の少女を思い出す。彼女は今何を思っているだろう。新入生のバッジを付けていた為、彼女も必ずここに来ているはずだ。

 呆気に取られてたり件の少女を探すことに意識を向けていた内に気づけば理事長の話が終わってしまっていた。

それからしばらく祝辞や来賓の挨拶が続き、代表者による宣誓の時間となった。

「新入生代表、ロズ・シドウェルさん」

「はい」

 赤毛でセミロングの女子生徒が階段を上っていく。既に完成されたかのような超然的な雰囲気を漂わせながら、校長へ向けて一礼をする。

「私たちは本日、私立エルミタージュ学園中学校へ入学すると共に、現実世界の理から隔離される人生のスタートを切りました。私は代々魔術師の家系の出ですが、その事実を隠されて十年間を過ごしました。ある日、現実とは異なる新たな世界を示されたことで、私の心は大きく揺らぎました。これまで当然のように享受してきた現実と決して相容れない世界が存在することは、容易に受け入れられる事実ではありませんでした。ですが、だからこそ挑戦したいと私は考えています。未知なる物への畏れと希望を探求の精神に活かし、新たな世界へ向かう糧とすることをここに誓います。新入生代表、ロズ・シドウェル」

 盛大な拍手が湧き起こる。彼女の言葉に皆感銘を受けたのだ。

「すごいな……」

 聞こえて来たのは背後に立つ男子生徒の声だ。

 周囲に安心感を与える落ち着きを備えた才知溢れる男性と言った印象を受ける。幼気で可憐な容姿の絆は女子に間違われることも多い為、対照的な彼に少しだけ惹かれた。

 式典の時間はいつの間にやら終了が近いようだった。

 出口に近い生徒から順に出て行く待ち時間の中で、絆は思い切って先の男子に喋りかけた。

「ねえ、さっきの人すごいね!」

「ああ……俺はあんな崇高な夢は持てないよ。自分の目的の為だけに、ただ……」

「きっと、それでも良いんだよ!現実じゃ叶えられないことを叶えようとしてるんでしょ? それがエルミタージュのある意味だって、お姉ちゃんは言ってた!」

「そっか。なんだか勇気付けられた気がするよ」

「良かった!」

 絆が屈託のない笑みを向けた彼もまた、同様の爽やかな表情を返す。

「俺、柊桐也ひいらぎきりやって言うんだ。これから宜しく」

「うん! 僕は葉団扇絆!」

「整列がこの位置ってことは同じ部屋か隣の部屋になりそうだな」

 言った途端列が進み、新入生への誘導が始まった。大講堂を出たところで列を牽引している講師が生徒へ向けた説明を始める。

「皆さんお疲れ様です。皆さんがこれから生活していく寮の方にご案内しますので、離れず付いてきてください!」

 初々しく緊張した面持ちの生徒もいれば、先の宣誓をしたロズのように場に馴染んでいる者もいる。

「すごいね!こんなに広いなんて!」

 渋谷のスクランブル交差点を歩いているのではないかと錯覚するようなスケールの大ホールを横切る。絆のように大声で叫んで感嘆を漏らしている人間は少数だが、多くの新入生たちは驚きと戸惑いを隠せない様子だ。ロズや桐也も落ち着いてこそいるが輝く瞳を絆は見逃さなかった。

 絆は朝の少女に目線を移す。偶然にも現在三人前に並んでいるのが件の彼女である事に気付いたからだ。

 “知っていた”から感動しなかったというあの少女。絆は直感していた。必ず距離を縮められる。同じ価値観と希望を持った仲間であると。


 それからしばらく彼女を観察し続けたが遂には情動の変化のサインを受け取れずに、列の向かう先が男子と女子の各寮へと分かれていった。

「皆さんの寮は本館の裏にあるこの場所です。列の順番通りに部屋の鍵を渡していくので、各自の自室へ向かって下さい」

 桐也の番になり彼が鍵を受け取る。やはり同室は彼だったようだ。

「絆、改めてこれからよろしく」

「こちらこそだよ!早く入ろ!」

 寮の建屋に足を踏み入れると心地よい木の匂いが届いた。薄橙色の壁と赤いカーペット。

 エントランスには食堂や温泉、自習室等の表示が掲げられている。ここで生活していくのだという実感が伴った。

「わあ広い!景色もきれいだね!」

 部屋に入るや否やワイワイ騒ぎ立てながら部屋を駆け回る絆。桐也は彼の無邪気な行動を微笑ましく思う。この短い時間だけで桐也は、絆を年の離れた弟のように感じるタイミングもあった。未来への希望に満ち溢れていることが彼の行動の活力なのだろうと強く信じられた。

 ベッドに飛び込んで足をバタつかせている絆に桐也は尋ねる。

「絆は、ここで何を学ぼうと思ってるんだ?」

「魔術! 入学時診断でもそう出たから!」

 入学時診断は本人の希望と能力を元に、比較的習得し易い能力を知る為の物だ。エルミタージュで習得出来る技能は大きく分けて三つ。魔術、超能力、そして”真力”である。

「俺は超能力を学びたいと思ってる。尤も、適性は真力みたいだけど」

「真力の説明聞いたけど、よく分かんなかったなぁ」

「簡単に言うと……ある動作や環境の為に、人間の思考回路が変化して順応することを言うのさ。二足歩行や自転車の運転ってのは、無意識下で行えるようになるだろ?言語もそうだな。英語圏に住んでいると、英語用の思考回路が徐々に構築されていく。その理屈はどんな動作や環境にも拡張できるって話さ」

「えっと……僕が日本語を喋れるのも、真力?」

「広義ではそうなる。その適応した思考回路を作っていくのに共通する適切な訓練があって、その為に真力科があるんだ」

「へー……よく分からないけど、色んなことを知れるんだね!」

 細かなことを疑問に持たず、ただ愚直に未来に心躍らせる。桐也はエルミタージュという環境よりも、絆という人間に出会った運命を希望と捉えた。


 一方で、入学式で大役を務めたロズ・シドウェルもまた一つの運命的な出会いを果たしていた。

「私はロズ・シドウェル。これから宜しく」

「うん。私は蘧麦躑躅きょばくつつじ

 二人は共に物静かでありながら対照的だ。ロズは置かれている環境を深く理解していることから平穏な態度が滲み出て来るが、躑躅は世界に無関心が故の冷淡さであった。

「ねえ躑躅。貴方はどうしてこの学校に?」

「……超能力とか使える方が便利だし。それ以上の理由って必要?」

「ううん。躑躅にとってそれが重要なら良いんじゃないかな」

「そう思うでしょ? 朝のアイツ、本当にうざかった……」

「アイツって?」

「朝私に話しかけてきた奴がいてさ。こんなに凄いんだから笑おうなんて言ってきて……どんな表情しようが私の勝手でしょ?」

「あはは、まあその子も舞い上がってたんだよきっと」

「……アイツほんと気に食わない。廊下でもずっと騒いで周りに同調を求めてたし」

 ロズは既に基礎を知っている魔術でペンを浮かせる訓練をしながら言葉を返す。

「多分、それが正直な気持ちなんだよ。人と感動を共有したいってさ。もしかしたらそれが押しつけがましく聞こえるかも知れないけど、それはこれから成長して変わっていく部分だと思うし」

「……ロズはもう大人だね。見習いたいけど、私には無理」

 躑躅の脳裏からは既にかの少年の姿が離れなくなってしまっていた。

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