第53話 暗闇から救い上げてくれた人だから




 剛さんは私をそっと抱えあげてくれる。これだけの体格差があるから、私は剛さんの首に手を回してしがみついた。


 ベッドにそっと下ろしてくれて、剛さんは私の髪を解かしてくれて、乱れているところも直してくれた。


「剛さん……?」


 剛さんの両腕が再び私をガッシリと抱き締める。


「こんな純情なひなを……傷付けやがって……」


 さっきの事を言っているんだろうね。


「もう大丈夫です。剛さんに助けてもらいました」


「違う。長くないと言われているひなを無理やり傷付けて。きっとそいつらの仲間なんだろ。なんの罪もないのに。俺、あいつらの顔を見たら、本当に手を出しちまいそうだ」


 剛さん……。確かに私の傷は深いかもしれない。でも、これ以上は大丈夫。


「ありがとう剛さん。私はもう大丈夫です。剛さんと出会えて、私の傷は少しずつだけど治ってます。好きになる人が違うとこんなに幸せになれるのかって、考えてもいませんでした」


 これまで恐くて出来なかったことも、剛さんと一緒なら出来ることもたくさん増えた。


 無理をしているわけじゃなくて本当だよ。


 その証拠が私たち夫婦の営み。今日のように最初は男の人に触られるなんてことは絶対にできなかった。でも、今は剛さんに抱きしめてもらえる腕の中が一番の安心を得られる場所。


 正確に言ってしまえば、私は生涯で四人の男性を経験していることになるし、剛さんに「初めて」を渡すことは出来なかった。


 これは私が一生背負っていかなければならない十字架なんだと思う。


 そんなことを気にすることはないと言ってくれる。私の事を愛してくれる人がそばにいてくれる。それで十分。




 退院をして、就職も決めて、剛さんに会いたい一心で戻ってきた私のアパート。


 2年間、会うこともできず、電話やメールは続いていたけれど、もしかしたらという恐怖もあった。


 私のカギは剛さんに預けたままだったから、実家にあった予備を持ってきた。


 扉を開けて、靴を脱いで、部屋に入って、私は動けなくなった。


 涙が溢れて止まらなかった。


 きちんと整理されて、いつ帰ってきてもいいようにと約束を守ってくれていた。


 ベッドの布団はちゃんと干してあったのが分かる。その上に乗っているお風呂用のバスタオルと一緒に、お日さまの匂いがした。


 冷蔵庫には私の好きなミルクティーのペットボトル。冷凍庫にはよく二人で食べたチョコレート・サンデーのカップ。賞味期限も切れていない。


 テーブルの上には、剛さんからのメモ書きノートが残っていた。


 それを見ると、大体週一で来てくれていたらしい。


 早く帰ってきて欲しいと、メールには送ってこなかった剛さんの気持ち。


 本当に申し訳ない思いだった。帰ってきたら必ずお祝いをするんだとも書いてあった。


 少しでも疑いを持った自分が情けなかった。




 剛さんと一緒にこれからを歩いていく。そのために帰ってきたんだもの。喜んであの胸に飛び込んで行ける。


 こんな私を、世界でたった一人、暗闇の中から救い上げてくれた人。


「剛さん……?」


「ん?」


「今度の診察で聞いてみたいことがあるんです」


 胸元に抱かれながら、顔を見上げた。


「なんか心配事あったか?」


「いいえ……。新しい家族です」


 心配そうな剛さんに、笑顔で答えることにした。


「もう、妊娠してもいいですかって聞こうと思います」


 私と剛さんの年の差は5歳。私はまだ早いと言われてしまいそうな話だけど、年上の剛さんなら、そろそろ一人目が居てもいいくらいになる。


 それに……、剛さんのおかげで病気は治まったとは言え、やはり無理を強いた体には間違いない。


 落ち着いていて、まだ体力もある内に出産も子育ても終えておきたかった。


 言えば怒られるかもしれないけど、もし私に何かあったとしても、私が生きていたこと、夫婦として愛し合った証を残しておきたい。


 お父さんを微かにしか覚えていない私には、親子で一緒に過ごす平凡な日常は羨ましいものだった。お母さんに言えなかったけれど、きっと気づいていたに違いない。


 幸いなことに、もしかしたら治療後に不妊になってしまう心配は、その後の検査で体力が回復すれば心配ないと言われていた。


 最後の治療を始める前、宣告されていた私の余命は5年。それも先月過ぎていたよ。そこから先は最愛の人がくれた時間。


「きっとどっちも大騒ぎだろうな」


 結婚する前から、剛さんも私との子供がほしいと言ってくれていた。


 だから、いつも避妊してくれていることは大事にしてくれていると嬉しい反面、心苦しくもあったの。


「お母さんも早く見たいと言ってました。頑張ります」


 私の旦那さまは優しく抱き締めながら頷いてくれた。


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