第41話 いつも涙越しだった夜景




 そう、5年前のクリスマスイブ、私は一人で高層ビルの屋上の縁に腰をかけていた。


 自分で決めたはずの私の病気、白血病の治療入院。


 入院して治療に入るとき、残された時間は5年。そのうち2年間を誰にも会えずに過ごす。


 退院した後の3年を剛さんは待ってくれると言ってくれたけど、自分自身が負けてしまいそうで、自棄を起こしてしまった。


 でも、一方で迎えに来てもらいたくて。雨で本当に寒かった。涙なのか雨なのか、あの時の夜景は最初から歪んでいた。


 後ろから抱きしめられて、腕の中に委ねてからの記憶はほとんどない。気がついたら剛さんの部屋のお風呂で温めてもらっていた。


 そんな私を離さないと剛さんに抱きしめられたまま目を閉じた翌朝、奇跡の連絡が入った。


『星野さんの提供者ドナーは、坂田さんです』


 私の中で「この人と離れちゃいけない!」という心の叫びは間違いじゃなかった。


 前の日の夜、私を引き留めてくれた感謝と、私を見送る決意をさせてしまったことを心の中で繰り返し詫びたのに。


 そんな私に言葉じゃなく本当に命を分けてくれた。そんな人の横で最後の瞬間まで一緒に生きていこう。そのためだったら何でもする。そう誓った。


 骨髄移植をして、最初のうち投薬治療とリハビリは本当に辛かった。はじめは歩くことすらままならなくて、階段から転げ落ちたこともある。見えないところに消えない痣もある。


『剛さん、会いたいよぉ!』


 涙声も押さえられなくて、何度も電話で叫んだ。そんなときは決まって病棟最上階にある談話室の窓際だった。


 ここの夜景が私の二つ目の思い出。


 剛さんだって寂しかったはず。お仕事をして、休日は私の部屋をお掃除して、待っていてくれた。


 退院が決まって、でも剛さんには完全に安心してもらえるようになってから会いたい。


 家族みんなに協力をしてもらって、生活訓練、そして剛さんの会社を受験した。


 内定通知には、坂田剛の部下としてと書き加えられていた。


 そして剛さんは約束通り、私を妻として迎え入れてくれた。


 剛さんは私を強いって言ってくれる。でも、本当に強いのは剛さん。あなたの温もりに包まれて、私はわがままを言っているだけ。


 どうしたら恩返しができるんだろう。命を分けてもらった事以上に返せるものがないことは分っているのだけど。


陽咲ひなた……」


「剛さん……?」


「寝てないだろ? 少しは休んで。どうしたんだこんなところで?」


 背中からカーディガンをかけてくれた剛さんに、今まで考えていたことを話してみた。


「いいんだ。ひなを選んだのは俺の意志だし、それは間違っていると考えたこともない。それに……」


 肩を抱き寄せられて、温もりの中に顔を埋めた。


「来月であの5年だ。無事に乗り切ってくれた。俺を独りにしなかったひなに感謝してるんだよ」


 剛さんはそのまま話してくれた。あのまま何も手を打てなくて、私が残りの時間3年のまま退院したとしても、剛さんは私との結婚を決意してくれていたこと。私を見送った後も誰とも再婚せずにいると決めていたこと。


「うん……。私、知りませんでした。私とお付き合いしているときに、剛さんはもう会社で婚約者がいるって言ってくれていたって」


「ひなを知ったら、他の娘に興味が行かなくなっちまったし、この子は俺じゃなくちゃダメだって勝手に思っていたしなぁ」


 頭をポリポリとかきながら照れくさそうな顔。


 本当にそうなの。私はこの人とでなければダメになってしまう。


「うん、そうだよ。だから、ずっといさせてください」


 東の空が少しずつ白み始めている。


 夜は必ず明ける、止まない雨はないって。泣いていた時にいつも言い聞かせてくれたっけ。


 ベンチから立ち上がって、さらに背伸びをする。これが私からのお願いのサイン。


 少しかがんでくれた剛さんとの唇が重なる。


「まだ、それしてくれていたんだ」


 冬になって襟元が開かなくなって目立たなくなっていたけど、剛さんから19歳の誕生日にもらったネックレス。入院の時にも許可をもらって持ち込んだ。


「うん、言いましたよ。一生の宝物にするって」


 何十年もすれば幼いデザインと言われてしまうかも知れない。でも、これは私の身体の一部になってしまっているから。


「お腹すきませんか? 今日は力仕事もありますから」


 小さくお腹が鳴ってしまって、でも剛さんは笑いながら手を繋いで建物に向かってくれた。


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