《3》

「俺は本当に、どこからどうやってここに来たんだろうなぁ……」

「昔パラレルワールドや、タイムリープなんて話が流行りましたよね。突然別の場所にワープしていたり、時空を超えていたり。或いはもう一人の自分を見る……とかね」

「そんなのフィクションの世界だろ。都市伝説なんかと変わらねえよ」

「それを貴方が言うんですか」

クスクスと小さな笑いが零れた。

「ははは、誰か解明してくれるかなぁ。でも不思議なことが起こる可能性は限りなくゼロに等しいが、起こらない可能性もゼロじゃないってことだな」

着きましたよという一言で顔を上げる。

通路を挟んで両脇に屋台が並んでいた。カラフルな野菜や、変な土産品のような胡散臭いものまで様々だ。

「とりあえず基本のものは一通り買っておきましょう。衣類や生活用品も忘れずに」

「ああ。ところで、お前って暇なのか?」

「えっ……」

素っ頓狂な声が出たので笑ってしまった。

「あっもしかして俺が注意人物だからとか? 担当に回されちゃったのか」

「まぁ……遠からずですね。実際問題が起こらなければ、我々はやることがないので」

「じゃあお前も見張りとかいいから、何か買えよ。欲しいものあるか? 俺だけの為に付き合わせるとか、ちょっと落ち着かなくてよ」

「なんだか変わった人ですね……しかしここの品物はあまり入れ替わったりしないんですよ。だから目新しいものも、特に必要なものもありませんが……よろしければアレどうです? けっこう気に入っているんです」

指を指した先では、もくもくと白い煙が上がっていた。その手元には串焼きが何本か乗っている。

「へぇ、うまそうだな」

ポツリと呟くと、駆け足で向かっていった。

手に二本持って、どっちがいいですかと俺の顔の前に出す。適当に選び、口を近づけた。

仮面に触れると思ったのに、どういう原理かは分からないが、遮られるような感覚はなかった。普段と同じように食べられる。

「うん……イケるなこれ。後は酒でもあれば完璧なんだけど」

ちらりと横を向くと、あっと声に出してからうーんと唸った。

「まぁ、初日ってことで……こんな機会滅多にありませんしねぇ」

ブツブツと小声で何か言いながらも、足はまっすぐ目的の店に向かっていた。勤務中じゃないのかとからかうように言えば、一瞬恨めしそうな顔でこちらを睨んだが、その次には今までで一番楽しそうに嬉々としながら、買ったものを持ち上げた。適当に腰を下ろして、缶をぶつけ合う。

「出会いに乾杯ってことで。もてなすのも仕事ですからね」

「随分都合が良いな。ま、こっちはそのお陰で助かってるんだけど」

「これはケイゾウさん持ちで」

「えっ!」

「年上なのに……払ってくれないんですか?」

「か、関係ないだろ……今は」

いや、やっぱり俺が払うべきなのか? 色々世話になってるし……。

「あはは、冗談ですよ。僕が食べたかったから付き合ってもらっているんです」

「お前、良い奴だなぁ」

「まぁこの世界にいたら自然とね……感化されていきますよ。だけど最近、少し変わってしまったように思うんです」

先程とは変わり、どこか遠いところを見つめている。声のトーンを少し下げた。

「町の人たちの表情が無くなっている気がするんです。それこそ仮面なんて必要ないと思うぐらいにね……初めはみんな喜んでいたんですよ。色々なことに気遣う必要がなくなった、生きやすい楽な世界になったって。その分好きなことに回せる時間が増えたし、子供と触れ合う時間も増えたって……でもいつの間にか、そんな声は聞こえなくなっていました」

「確かに覇気はないな」

「だから僕はみんなに聞いてみました。そうしたら何をしていいか分からない。したいことがなくなったと言うんです。生きやすい世の中になったのに……人って我が儘なものですね」


──思いやりを持って、人には優しく。誰かを虐めてはいけません。一人はみんなの為に、みんなは一人の為に。悩んでいる人がいたら声をかけてあげましょう。話を聞いてあげましょう。悪口をいってはいけません。相手の気持ちを考えて行動しましょう。

小さい頃からずっと言われてきた言葉が頭にこだまする。

それを続けていったら、極めていった先には、理想郷が待っているのか?

そもそもこんな言葉は、全部実際にそういう人がいるから成り立つんだ。それが排除されたら残るものはなんだ?

しかし理不尽な悲しみを、苦しみを抱えたまま死を選ばなければいけない世界よりはマシなのだろうか。どこへ行っても必要とされず追い出され、鬱憤のはけ口にされ、怒鳴られ、知らずの内に嫌われても、人生を終わらせることはできない。

何もしないのも逃げたとみなされ、第三者からもゴミだと蔑んだ目で見られる。誰を恨めばいいか分からない世界で歯を食いしばり、泥を啜りながら生きていくのが美学なのか? 自分達はそんなものの為に生きているのか。

正解は誰にも分からないから生きていくしかない。死ぬまでの保留にしながら、今日も肉体だけを前に進めるんだ。


少なくとも、ここが多少つまらないとしても、あんな世界に戻りたいはずはなかった。

「世界がある程度出来上がったなら、次は目標を決めなくちゃいけないな」

「えっ……目標、ですか」

「新しい建物を作るとかどうだ。ピラミッドみたいな。まぁアレは傲慢の塊みたいなもんだが」

「壮大ですねぇ」

「まぁそこまで行かなくてもさ、みんなで一緒になってできるもの。何がいいかな」

「ふふ……」

なんだと横を向くと、視線が合った。

「面白いことを言いますね。こんな話することは無かったので、やっぱり新鮮味があるのは大事ですね。そうだなぁ……何が必要なんでしょう」

「無意味な物も、時として必要なんだけどな」

「深いこと言いますね」

「カッコつけただけだよ」

サトウは、ここでは珍しくよく笑う。

怠惰に近くなった人々の暮らしは、感情まで奪ってしまうのかもしれない。その中で再びみんなの笑顔を取り戻せたら、まさに突然現れた救世主みたいだよな。そうしたら俺も、迎え入れてもらえるかな……。

「……っ」

自分がこんなことを思っていたのかと、少し驚いた。

「なぁ、サトウ」

「はい?」

「……いや、なんでもない。とりあえず、さっさと買い物済ませちまおうか」

「そうですね。荷物が多そうですから、ショッピングカートを借りておきましょう」

野菜や衣服の品揃えはあまり良くなかった。これに関してはあっちの世界の方が新鮮だし、色味も良く見える。ただここは必要最低限があればそれで良いんだ。どうせ体は滅びる、なら何を食べても同じじゃないか。

ゴロゴロとカートを押しながら、家の前に戻ってきた。

この建物は町で一番高い場所だ。ガラス製のビルが一つだけ煉瓦の中で目立っている。

「ではケイゾウさん、明日からよろしくお願いします」

「ああ、こちらこそ。それと今日はありがとな」

「いえいえ、それでは……」

一緒に食事でもどうかと思ったが、サトウはあれでいて忙しいらしい。俺も明日からの仕事に備え、たっぷりとパスタを食べてやった。

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