第8話「魔法」


 三條学園が山の上にあるのに対し、俺たちが通う青江高校は港の付近にある。港から急激に地面が隆起し、山と海が隣接する。それが俺たちの住む町の特徴だった。そんな土地の特性上、平地部分が極端に少ない。その少ない平地のうち一割強を占めているのが、今、俺とクレハがいる海浜公園陸上競技場だ。まあ、競技場のほうは使うのに許可がいるので、今いるのは海浜公園のほうだが。


「さて、模擬戦ルールは説明しなくていいよな?」


 軽くストレッチをしながら、約十メートル離れた場所にいるクレハに問いかける。


「制限時間は試合と変わらず十分。試合用コンバットスーツなし、魔法は防御のみ、直接攻撃はヒットしそうな場合寸止め、ポイントは相手側の申告にゆだねる、でしょ」


 同じくストレッチをしながら答えるクレハに、俺はどこかほっとしていた。


 なんとなく、いつもの調子に戻ってきたな。


「オーケー。ただ、今回に限り制限時間は無し。俺の攻撃はすべて寸止めする。防御魔法が使えないと、ただの殴り合いになっちゃうからな」


 身体強化を使わない分、模擬戦の速度はそこまで早くない。そのため相手の攻撃を見てから防御魔法を発動することができる。なので相手の防御魔法が間に合わないと判断したときのみ、その攻撃は寸止めする。それは攻撃がヒットしたも同然なので、相手側はそのポイントを申告する。


 競技ルールとしては緩いが、それは練習に使われる模擬戦ゆえのものだ。本来であれば、あらかじめ防御魔法がプログラムされているコンバットスーツを着用し、選手の防御魔法が間に合わなかった場合のみ、スーツの魔法が発動。それを目印に点数計算が行われる。


「さて、準備はいいか?」


 クレハが頷くのが見える。その顔にはまだ困惑や不安の色が見て取れたが、でもいつも通り、SCを見るときの瞳に戻っていた。


「三、二、一、スタート!」


 自分で叫ぶと同時に、クレハめがけてダッシュする。クレハもまた、こちらめがけて走ってくる。本来であれば、試合開始直後はその距離を活かして遠距離魔法での様子見と、相手の得意とする戦闘スタイルの見極めを行う。相手がこちらとの距離を詰めたいのか、それともこのまま遠距離戦を維持したいのかを判断する。


 だが、模擬戦で攻撃魔法は使わない。当然、互いに距離を詰め合い接近戦に持ち込んでいく。


 クレハは格闘戦なんて初めてだ。SCがどういうものかを理解していても、それを実践するにはためらいが生まれる。なら……。


「ふっ」


 間合いに入った瞬間、走った勢いそのままにクレハに向けて突きを放つ。左肩口を狙ったその攻撃に合わせ、クレハは両腕を交差させて防御姿勢を取った。


「ビビるのはわかるけど、ちょっと大げさすぎだぜ」


 防御姿勢さえ取れていれば、防御魔法の発動とみなしてポイントはつかない。今の攻撃を防ぐだけなら片手の防御で十分事足りた。


「っビビってなんか!」


 今の一撃で場の雰囲気に慣れたのだろう、今度はクレハから仕掛けてくる。が、SCで肝要なフットワークが生かせていない。棒立ちの攻撃を、防御魔法を発動させた両腕で確実にさばく。


「っ!」


 クレハがいったん距離を取った。攻撃が通じないこともそうだが、おそらく防御魔法ではばまれる感触に慣れていないのだろう。防御魔法で自分の攻撃が止められると、何の感触もしないまま突如として運動エネルギーが失われるような、何とも言えない奇妙な感覚がまとわりつく。


「さて、仕切り直したなら、ちゃんと見とけよ!」


 再び距離を詰め、今度は上段蹴りを仕掛ける。さすがにクレハも慣れたのか、素早く防御姿勢を取ってきた。が、それでは準備が早すぎる。


 上段蹴りをすぐに取りやめ、腰をひねるようにして逆脚を、今度はクレハの足元に繰り出す。


「しまっ――」


 防御も回避も間に合わないタイミングだ。俺は寸止めした左足を戻し、姿勢を整える。


「派手な動きに惑わされるな。お前がいつも自分で言ってることだ」

「……ヒット、ポイントワン」


 ポイントを宣言し、クレハは唇を真一文字に引き結ぶ。それを見て、思わず笑みがこぼれた。


 ――いい顔だ。


 悔しいだろう、ポイントを取られるのは。特に相手のフェイントに引っかかったときのポイントは、いくら歯噛みしてもし足りない。そして次はどう躱すか、どうこちらがポイントを取るかを自然と考え始めるんだ。


 やっぱり、思った通り。



 クレハ、お前はこっち側にいるべき人間だ。



 ◇クレハ



 SCの試合は、試合終了時までに取ったポイントの多さで決まる。ポイントは攻撃をヒットさせた部位ごとに異なり、腕、脚が一ポイント、胴が三ポイント、背面、頭が五ポイントだ。


 そして、制限時間を待たなくても十ポイント差がついた時点でコールドゲーム。決着となる。


「はあっ、はあ」


 完全に息が上がっている。当たり前か、今までこんなに激しい動きをしたのは……体力測定の反復横跳びくらいだ。


 十分間動き続けることがこんなに苦しいなんて。


 そのうえで相手の行動を見て、判断して、魔法まで使うのだから、本当にSCは奥が深い。体を動かすための体力、技術、経験、相手の動きの観察。そして、それに組み合わせる魔法がこれに加わる。


 まったく、思い知らせてくれる。


 私は、本当に何も知らなかったのだ。SCの奥深さ、競技を続けることの辛さ、大変さ――。


 そして――ソーサリー・コンバットの面白さを。


 相手の攻撃を防ぐにも、相手の防御をかいくぐりポイントを稼ぐにも、どうしたって必要なものがある。それは体力だけでも、技術だけでも、集中力だけでも足りはしない。それらすべてを、たった数瞬の攻防で完璧に発揮する。そうしなければ、自分と同等かそれ以上の相手に勝つことなんて不可能だ。逆に言えば、たった数瞬、相手のそれを上回ることができたのなら、それは勝てる可能性を表している。今、私が本気でシンからポイントを取ろうとしているように。


 普通に考えれば不可能だ。SCを見てきただけで、一度もプレーしたことのない私が、全国レベルのプレイヤーから一点でもポイントを取ろうだなんて。


 でも――だからこそ、たったひとつのポイントが、私に勝利への勇気をくれる。


 定石なんてすべて頭に入れているつもりだった。でも、いざ自分で判断、行動するとなると、そこに考える余裕なんて生まれない。パターンを頭に入れるだけでなく、その先の選択肢まですべて覚えて、即座に最善手を選ぶ必要がある。


 シンの解説を交えながらの模擬戦だけど、まだ十分は経過していないだろう。シンは基本的な攻撃しか仕掛けてきていない。そこにフェイントを細かく入れているだけだ。いつものようにはたから見ていれば、「雑なフェイントだ」と注意していただろう。


 そんな攻撃ばかりでも、今のポイントは八‐〇。当然、シンが八で私が〇だ。


 主観になっただけでこうも避けられない、わからない。しかも、シンの本気がこんなものではないことを、私は十分に知っている。



 ――これがSCなんだ。



 知らなかった。


 こんなに楽しいものだなんて、私は知らなかった……!


 正面で油断なく構えるシンを見る。息遣いは少し荒くなっているが、肩で息をしている私と比べればまだまだ余裕だ。まったく、腹立たしい。


 誰のせいでこんなに悩んでると思ってる。誰のために私が頑張ってきたと思ってる。それなのに、私の気持ちを全然わからないで模擬戦なんかに誘って。


 私が一体、どんな気持ちで今まであなたのSCを見てきて、支えてきたと思ってるの……!


 せめて一発。


 入れてやらないと気が済まない。


 せっかくの模擬戦。合法的に殴れるチャンスと思うことにしよう。もうポイントじゃなくてもいい。とりあえずあんたを一発殴りたいわ、シン。


「ふぅーっ」


 息を吐く。余計な力を抜く。視点を、自分の少し上に置くイメージ。


 シンの顔つきが変わった。いや、変わったのは私のほうか。今まで私が取られたポイント、すべてはシンのフェイントを見抜けなかったからだ。シンは決して、身体能力的についてこられない攻撃で私を圧倒したわけじゃない。


 よく見ろ、そして見抜け。


 不用意な攻めはダメだ。シンのカウンターは的確で速い。そんなシンに雑な攻撃を仕掛ければ、ポイントを取ってくれと言っているようなものだ。なら私ができることも限られる。


 シンのフェイントを見切ったうえでのカウンター。


 シンの攻撃を誘発するように、徐々に間合いを詰めていく。これは模擬戦。なら、シンの性格からして確実に向こうから攻めてくる。


「ふっ!」


 来た。けどこれは初手と同じ様子見の突き。防御姿勢を取るまでもなく、避ける。そうすれば避けた先に必ず……、


「はっ」


 私がどこにどう避けるかを読み切って、そこに蹴りを置いておく。まるで私のほうからシンの攻撃に突っ込んでいくようだ。けれど、これも見た。もう何度も!


 この攻め方をするとき、シンは正確さを追求するあまり速度が落ちる。それはもう、魔法を使えない私でも両腕でからめとることができるくらいに。


「――っと!」


 初めてシンの表情から余裕がなくなる。それだけで私は、心の中でガッツポーズをとった。でも、もちろんこれだけじゃ終わらない。


 シンの片足を私はつかんでいる。ならば当然、狙うはもう片方の軸足だ。だが足を取られた時点でそれは誰もが予測できる。つまり、すでに足には防御魔法が張られている。ならここは……その裏をかくしかない。


 私は軸足を狙う動作を始めると同時に、からめとっていたシンの右足を手放した。


「――はぁっ!?」


 素っ頓狂な声、とはこんな感じかな。そんな声をシンに出させるときが来るなんて……今の私は、きっといい笑顔をしているに違いない。


 軸足を狙われながら、急に右足も解放される。今のシンは足元の防御とバランスを取り直すことに全神経を集中させている。ならここで……。


 背後を取る!


 大きく開いた股をすり抜け、シンの背後へ。こういう時、小柄な女性の体は有利に働く。シンは高くない身長のことを気にしているけれど、SCではこうして有利に働くことも少なくない。こうしたちょこまかと動き回る戦い方は、相手から見れば鬱陶しく感じるだろう。素早く、的確に動いて背中を取る。そして背面は腕や足と違い、防御魔法を展開するのが遅れやすい。


「これで――取った!」

「っまだだ!」


 私の拳がシンの背中に触れようとしたその時、シンは無理にその体をひねり、背中に当たるはずだった攻撃を、自分の胴体で受けた。


「っポイント、スリー」


 そういいながら、シンは不敵に笑う。


「っ!?」

「そしてぇッ!」


 体制を崩したシンが後ろに倒れこむその時、つい先ほど攻撃した私の腕をつかみ、自分のほうへと引き寄せる。


「うそっ、でしょ!」


 その結果。


 私は前面から倒れこみ、シンはその反動を利用して起き上がる。シンの目の前には無防備にさらされる、私の背中があるだろう。


 まさか、まさかだ。


 模擬戦にも慣れてきた。頭にあった定石も、フェイントも、総動員させて。それでようやくつかみ取ったポイント、一撃が……。


 それすらもフェイント。


 確実に十ポイント目を取る、私の背面を取るための、陽動の三ポイント。


 ……そんな戦い方ができるなら、普段からやりなさいよ。


 思わずそんなことを言ってしまいそうになるほどに、きれいな攻撃だった。本気で戦って、本気で負ける。私は今まで、そんなことも知らないままSCを見てきたんだ。


 なんだろう、この感情は。


 悔しい? うん、そうだね、でもそれだけじゃない。すごく晴れやかだ。さわやかだ。これがSCで、技術と読み合いで完全に相手に上をいかれた、そんな負けなんだ。


 ああ、なんだかもう、満足だ。これはシンからの、最高の贈り物だ。


 これでようやく、私はシンのためだけにSCをできる……。


 そう思うと、口が自然に笑みの形をとった。シンはどうなのだろう。勝ったのだから、やはり私の感情よりももっとずっと晴れやかで、うれしいのだろうか。


 視界の片隅に映るシンを見る。その表情は、やはり笑顔だ。


 でも、でもどうして?


 その笑顔は、私が思っているよりもはるかに、さみしげな笑顔に見えた。



『俺がクレハに本物のSCをさせてみせる』



 本物の、SC――。


 そうか、シンは今、本当にさみしいんだ。だからそんな顔をしている。


 私に、こんな『偽物のSC』しか渡せないことが、さみしくて、悔しいんだ。


 私が初めて体験して、初めての悔しさを味わって、初めての晴れやかさをかみしめて、ようやく理解できたと思ったこのSCは、ただの「替わり」。


 時間が止まったみたいだ。


 悔しさも、晴れやかさも、心が弾むような楽しさも、すべてが止まる。シンの攻撃が届いたらすべてが終わる。この試合だけじゃない。この試合の中で感じたものすべてが、そこで終わってしまう。


 私はまだ何も味わっていない。本物のSCの凄さも、つらさも、難しさも楽しさも、魔法にかかわること全てを知らない。



 ――そんなSCで、満足か?



 満足できるわけがない。



 ここで終われる、わけがない――っ!



 ◇シン



 腕が、止まる。


 クレハの背中を取って、振り下ろした腕だ。直接の攻撃はできないから、ちゃんと背に触れる直前で止めるはずだった。なのに今、この腕は俺の意思とは無関係に止まっている。


 目に見えない力に包み込まれるように。いや、「ように」じゃない。まさにその通りなんだ。俺の腕を止めているこの力は、正真正銘、クレハの……。


「……シン」


 地面に膝をついたままのクレハが、こちらに向き直りつぶやいた。同時に俺の腕を包んでいた力も消える。自由になった手で、思わずクレハの手を取った。


「クレハ」


 口をぽかんと開け、目を見開いているクレハ。きっと、俺も全く同じ顔を返しているんだろう。そう考えると、すこしだけ笑えてきた。


「――は、はは」


 口の端が少しずつ持ち上がっていく。耳から聞こえる自分の声が、これが夢じゃなく現実なのだと伝えてくる。


「シン、わたし……!」


 涙がクレハの頬を伝う。この涙をこらえる必要はない。俺の見る景色もうるんでいく。こういうとき、人々はこう言うんだ。




 ――まるで『魔法』だ、って。



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