第6話「クレハ」
アヤメさんの言葉に、私は黙ってしまう。
ああ、どれだけ一緒にいても、どれだけSCのことを勉強しても、私はアヤメさんほどシンのことを知らない。知ることが、できない。しょせん魔法を使えない私じゃあ、シンのことを本当の意味で理解することは……ない。
試合を終えたシンが、またフィールドを移動する。休憩も入れずに次の試合を、SCを始めようとする。このタイミングで声をかけないと。シンはこっちなんて見向きもせずに、次へ向かってしまう。
「――っ」
シン、と呼びかけようとして、喉が閉じる。何と呼びかければいいのだろう。名前を呼んでもいいのだろうか。いや、さっきの試合の意味も理解できなかった自分が、どうして彼を呼び止められるだろう。
遠くの影へと伸びかかった腕は、私の声と同じように、何をするでもなく控えめに折りたたまれてゆく。
手のひらに食い込んだ爪が、何もつかめなかった後悔を伝えてくる。
「クレハは、考えすぎだな」
ぽつりと、アヤメさんがつぶやいた。
「考えすぎ、ですか」
「そうさ。過ぎ、だ」
念を押してくるように、その言葉を強調する。
「もっと感情的でいいんだよ、あいつみたいにな。好きだからやる。好きだから続ける。好きだから、もっと上へ行く。そこに複雑な考えなんて何もいらない。それがシンだ。それは、お前もよくわかっているだろう?」
――私なんかより、よっぽどな。
そう言ってこちらを見るアヤメさんは、コーチでも教師でもない、でも、私のよく知る顔をしていた。
「でも、邪魔にならないでしょうか」
「邪魔?」
「はい。魔法の使えない人間がそばにいてもいいんでしょうか。それはシンにとって、余分なものにならないのか、心配なんです。シンはすごいから、この十年間、ずっとSCを続けてきて、負けたことなんてほとんどなくて、……でも、そんなすごいシンでも勝てない人がいて。私はシンに勝ってほしい。そのためだったらなんだってしたいと思ってます。でも、選手でもない私がそばにいたって、できることなんか何もない。それでもそばにいたいなんて、そんなの、ただのわがままじゃ……って」
抱えていた不安を自然に吐き出しながら、アヤメさんのほうを見る。と、何故かアヤメさんは驚いたような顔でこちらを見ていた。
「な、私、何か変なこと言いました……か?」
こっちの言葉を待たずに驚きからあきれへと表情を変えたアヤメさんは、理由の分からないため息をつきながら「お前なぁ……」と頭を掻いた。
「いや、これ以上のことを私の口から言うのは、うん。無粋にして野暮、というものだな。とはいえ、迷える乙女に何の助言もないというのも、つまらんか……」
何やら迷うようなそぶりを見せるアヤメさんだったが、口の端が妙に吊り上がっている。何がそんなに面白いのかはわからないが、どうやらツボに入っているらしい。喉の奥をくっくと鳴らしながら思案にふける姿は、正直言って少しうさん臭かった。
「はぁ、もういいです。アヤメさんに相談した私がバカでした。そろそろシンにスポドリ持っていくんで、失礼します」
私が立ち去ろうとすると「ああ、いや待て」と言葉で制止される。そもそも人の真剣な悩みを茶化そうとするアヤメさんのほうに原因があるのに、その当人に止められるというのは理不尽だ。
「すまん、別に馬鹿にしたつもりはないんだ。ただ評価のすれ違いがおかしくてな。いやはや、本当にお前は……素直なわりに素直じゃない」
意味の分からない言葉に首をかしげていると、今度はちゃんと大人な表情で、アヤメさんが口を開く。
「言っただろう、あいつは……シンは本当に、思ったことしか言えないやつだ。だからこそ、本気には本気で返すし、感情には感情で応える。お前のその想いも、秘めたままじゃいつまでたっても返ってこないぞ」
最後の最後に私の迷いだけを突き刺して、アヤメさんはほかの選手のアドバイスに向かった。
わかってる。わかりきっている、そんなこと。
悩むことも考えることも必要なことだと、自分を納得させていた。実際に必要なことだとも思う。でも、それはいつの間にかただの言い訳になっていた。
自分は十分に考えているのだから、相手もこちらのことを考えるべきだと、そんなことすら思っていた。でも、そんなもの、ただのわがままだ。伝える努力を怠ったものには、誰も何も伝えてはくれない。
私が、私から伝えない限り、何も変わりはしないのだろう。
私が、本当に伝えたいことを。
――魔法が使えなくても、あなたの隣にいていいですか?
「――っっっ!」
っはぁああ、想像しただけで唇がきゅっと引き締まる。考えただけでこんななのに、直接本人に聞くなんて……! 目をつむり、心臓のあたりに左手を当てて、右手で火照った顔をひらひら仰ぐ。
少しだけ落ち着くと、胸にあてた左手が今度は、何かをつかみたいとわめきだす。ひきつる心臓に爪を立てる。
「シン……」
あなたの隣にいたい。
私には何もできない。だけど、この想いだけは伝えなければならないのだろう。でないと、私は自分を許せない。
シンは、いつも前だけ向いて突き進んでいる。そんな彼の隣に、何もできない自分がいるなんて。そんなの、私が一番耐えられない。
◇
三條との合同練習も終了し、今は各々がダウンを行っている。SCにおいてダウンはとても重要だ。魔法という補助があるとはいえ、肉体の限界を超えた運動を試合の間中続けているのだ。ほかの競技と比べても念入りに行う必要がある。
グラウンドで多くの選手がジョギングやストレッチを行っている。とはいえ、SCのバトルフィールドは一辺が二五メートルの正方形。それがまるまる六面入っても余裕のあるグラウンドだ。三條のSC部員がある程度多いとは言っても、人影はまばらに見えてどこか寂しく感じる。
私の探す影は……いた、シンはすでにジョギングからウォーキングへ移っているようだ。私もそろそろ、ストレッチとアイシングの準備をしておこう。
クーラーボックスからアイシング用サポーターを取り出す。シンが使うのは両手首と右膝の三つ。魔法癖なのだろう、この三か所の疲労だけは段違いなのだ。
「よいしょっと」
氷が入ったサポーター三つは少し重い。けれど、私にできることはこれくらいしかない。魔法の使えない私がどれだけSCを見たところで、できるアドバイスはたかが知れている。だからこうして世話を焼こうとやっきになる。
浅ましいなと、思う。
もともとは好きで始めたことだ。SCを始めたシンにくっついて、いつか自分も魔法を使えるようになればSCを始めたいからと、できることを探してきた。
――いつからだろう、それをシンのそばにいる言い訳に使うようになったのは。
「お、いたいた」
シンがこちらに駆け寄ってくる。シンのほうも、私と同じようにグラウンドから私の影を探していたのだろう。そう考えると、どうしようもない嬉しさがこみあげてくる。
「もう、せっかくダウンしたんだから、わざわざ走ってこないの」
当たり前の憎まれ口に、シンは「はいはい」と笑顔で応える。いつも通りの練習終わりだ。
そう、いつも通り。
十年間、何も変わらない。
変わってしまったのは私の心だけ、シンへの想いだけ。それだけなのに、全てが変わってしまったように感じるのはどうしてだろう。この気持ちを伝えたい。でもこんな自分を知られたくない。純粋にSCの道を進んでいるシンに、こんな打算と下心にまみれた自分を見せたくない。
――どうすればいいのかも、どうしたいのかもわからない。
「クレハ?」
「っごめん!」
呼びかけにはっとし、いつの間にかうつむいていた顔を上げる。
「あっ……」
「っと」
すぐ目の前に、こちらを見つめるシンの瞳があった。少し動いただけで触れあってしまいそうな、そんな距離で見つめ合う。唐突に訪れた状況に、思わず動きを止めてしまう。
「ご、ごめん! ……ストレッチ、始めようか」
我に返り、急いで視線を切った。
再び顔をうつむけることになったけれど、その意味は先ほどとはまるで違う。見つめ合っていた一瞬にも満たない時間。それは高鳴る鼓動も相まって、何倍にも引き延ばされているようで……。
自分でも感じるほどの頬の紅潮。相手にまで聞こえているんじゃないかと思うほどにばくばくと鳴る左胸。そんなありきたりな感情の発露を隠したくて、顔を隠すように地面へと向けた。
我ながら挙動不審だ。理由もすごく気持ち悪い。けれど、こうでもしないと、この気持ちが、自分の意思とは関係なく伝わってしまいかねない。
少しだけ視線を戻す。と、またシンと目が合った。もしかして、ずっとこちらを見ていたのだろうか。だとしたら……。
頬の紅潮を感じるよりも先に、あーーーーっと声を出してうずくまりたい衝動をこらえる。穴があったら入りたいとは、こんな時に使うのだろうか。しかし耐えろ。ここでそれをやってしまえば、今までの悩みとか関係なく二度と一緒に居られないぞ。そんな結末は嫌すぎる。
「じゃ、じゃあすぐ始めるから、はいっ! 座った座った」
なるべく平静を保って、普段の自分を真似するように、マネージャーのクレハを演じていく。
シンもいつも通り頷いて、
「じゃあ、今日もよろしく」
そう言って、私に微笑んだ。もう、それだけで。
さんざん考えてきた悩みも、自分の気持ちなんかも、全部どうでもよくなって。
そばにいたい。この気持ちも伝えたい。
それだけで、心が埋まる。
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