鐘凍れ
釜田 麺也
鐘凍れ
いつもよりも肌寒い朝だった。それは夜明け前で、薄明かりの中に響く彼女の声で目覚めた。
「起きて。外行こ」
その言葉の意味をきちんと噛み砕けないまま、ふわふわとした寝起きの脳でコートを引っ掛けて、丁寧に寝癖を整えられて、マフラーを巻かれた。
「寒いよ」
呟きながらも、僕は彼女に連れられて外へ出た。彼女が言うに、今日は今季最後の雪が降るらしい。
「まだ眠い」
「ごめんって。でも、明日帰るんでしょ?」
そうだけど、いくらなんでもこんな朝に起こさなくても。そう口の中でもごもごとしている間にも彼女は進む。道は随分と積もった雪に埋もれていて、お洒落で短いブーツでは少し歩きにくそうだった。
つんと冷え切った空気を少し吸って、肺に残った息をゆっくりと押し出せば、白くなった吐息がふわりと漂う。
数日前のことを思い出していた。ゆらゆらと風にたなびくレース。少女が、真っ白なウエディングドレスを身にまとい、陽の光で柔らかに白んだ部屋に佇んでいた。
『どれが似合うと思う?』
いつになく真剣な表情をした彼女の言葉に自分も耳を傾けて、考えてみる。美しい刺繍に上品なデザインのマーメイドラインドレスだったり、たっぷりとしたスカートと長いトレーンが特徴的なプリンセスラインのドレス。壁にかかったそれらをじっと見つめる少女の顔を盗み見て、僕はすぐに視線をそらした。
『どっちも良いんじゃない』
――ソレ、どっちでも良いって言ってるのと一緒だよ。
彼女と目があって、一瞬黙り込んで。それさえなんだか面白いように感じ始めて同時に吹き出した。
僕らは、幼い頃からそうやって笑いあってきた。
「ねぇ、ぼーっとしないで」
彼女の赤い手袋が、僕のかじかんだ手を引く。
白く染まったあぜ道を二人で歩く。彼女のスカートが冷たい風に揺れた。何か、話さなければ。
「あの、さ……」
「……なぁに?」
「その、新居は、決まった?」
「うん」
「ああ、そう、良かった」
うまく話が続かなくて、それでも彼女と話し続けていたくて、話題を賢明に探し続ける。ぐる、ぐる、ぐる、思考が回る。
「……ここの道、よく歩いたよね」
「えっ、ああ、うん」
言われてあたりを見回してみれば、たしかに見覚えがある。今は大体が雪に埋もれているが、左右に広がった畑に、この周辺では珍しい大きな道路。コンクリートや標識はこころなしか色あせていて、幼い頃を懐古させる。
「ちっちゃい頃さ、私達ふたりで仲良く手ぇ繋いで走り回ってたよね。ほら、この道の砂利とかさ、石がでっかくて歩きにくくて」
「うん。……えっと、確か、転んだこともあったよね?」
「え⁉うそ、そうだった?」
こくりと頷いてみれば、覚えていなかったらしい彼女がびっくりしたような表情をして「うそだぁ!」と叫んだ。
「知らないよそんなの!いつ?」
「えっと、小学……低学年のときかな。二人でコンビニまで行ってる途中で、君が急に走り出して、転んだ。すごく暑い日だったのも覚えてるよ」
「うーん、あー、そうかも……」
空を見つめて考え込む彼女に、自然と笑みがこぼれる。
いつの間にか、あぜ道を通り抜けていた。きちんと除雪された道に出て、ブーツが地面とぶつかって足音を立てる。
「あの頃は、結婚するなんて考えもしなかったなぁ」
「……うん」
ずっと、このままだと思っていた。お互いにそういう相手もいなくて、一生独身でも良いや、友達とルームシェアでもしようかな、なんて言って。のんきな日々が続くものだと想像していた。
結婚するんだ、と彼女の口から聞いて、急に現実が目の前を真っ暗にした。先が見えないような未来を、無理やり見せられているような気がした。お前はどうするんだ、置いていかれてしまうんだぞ、と、叫んでいる。
目を閉じる。ゆっくりと息を吸って、凍りそうな空気に眉をひそめて。生ぬるい息を吐いた。
「結婚、おめでとう」
「……ふふ、ありがと」
感謝を述べたその声は、ひどく乾いていた。
冷たくて、凍えそうで、身を寄せあいたくなるような日々。それが終わりを告げた頃に、彼女は結婚式場の鐘の下で新郎と口づけを交わして、それを見届ける僕は、からんと鳴った鐘の音を聞く。
きっとそれは、二人を祝福するような鐘だ。重たい雪で蓋をして、逃げないようにしていた僕らの日常は、雪解けによってあっという間に崩れていく。
ああ、いつか、この冬は終わってしまう。何もかもを凍らせてしまうような冬の日が、終わってしまう。僕はそれと、向き合わなければならない。そうでなければ、彼女を快くは見送ってやれないだろう。思って、口に出す。
「明日は、あったかくなるって」
彼女の方を見た。鼻の先を真っ赤にした少女が、呆けたような顔の後に、困ったように笑う。
「よかった。……春が来るね」
鐘凍れ 釜田 麺也 @patapasta
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