第八十話
「
既に周りから「あのたこ焼きを持った妙な人物と関わりがある」と悟られている以上、黙っていても意味がない。
馨はそう思い、腹を括って手を挙げた。
「先輩。ここです」
淀名和は馨を視認するなり「おお!」と声を上げ、目を輝かせてずんずんと近づいてきた。
周りの視線が彼女を追っている。しかし、気にしたら負けだ。
「ここにいたか! 会えてよかったぞ!」
そう言って彼女は前の席に座り、椅子を近づけてきた。
「部室に行ったらな、
「ああ……」
そういうことか、と馨は納得した。先ほど
意気揚々とビニール袋から蓋つきの紙容器を取り出している淀名和を見て、馨は言った。
「それで、俺に何か用事ですか?」
「うむ! 今さっき百花と鉈落にも話をしてきたんだが……あ!!」
容器を開けた途端、彼女は何か思い出したように声を上げて嬉しそうに容器を指差した。
中には明太子マヨネーズとチーズがふんだんにかかったたこ焼きが、所狭しと詰まっている。
「見てくれ! 今日はもち明太チーズ限定で一個増量してくれる日だったんだ! ふふん、すごいだろう!」
「え、ええ。すごいですね」
「気分が良いから、今日は全部の講義に出るつもりだ!」
「そうじゃなくても出なきゃ駄目だと思いますよ……」
「む?」
「いや、『む?』じゃなくて」
「ああ御免! 話が逸れたな! いけないいけない」
「……」
相変わらず正常な会話が困難である。
しかし馨は少し慣れ始めていた。
「さっき百花と鉈落にも話したんだがな、君は明日の講義終わり、暇か?」
「明日? ……はい。空いてますけど」
「そうか、よかった! さっき、四人で顔合わせをしようという話をしていたんだ! 夏休みのライブに出るには、早く計画を立てた方がいいからなっ」
まさか彼女の方から顔合わせについて言及してくるとは思わず、馨はつい感心してしまった。
「確かにそうですね。賛成です」
「よし。話ができそうな場所は百花が探してくれると言っていたから、連絡を待ってくれ」
「はい、分かりました」
「うむ! 明日が楽しみだ!」
淀名和は満足そうな顔でたこ焼きを一つ口に入れる。
しかし──その直後で不意に険しい顔をした。
「むぐ!」
「……先輩? どうしたんですか。喉に詰まりました?」
「んんんっ」
彼女は長い髪を揺らして首を横に振る。
そしてたこ焼きをごくりと飲み込み、慌てて容器の蓋を閉めた。
「私は、一体何をしているんだ……」
「?」
「わざわざ君に会いに来てしまうなんて。君は私のたこ焼きを付け狙う、《わるい男》なのに!」
「……あー、そういえば試験の日、そんなこと言ってましたね」
「顔合わせの話なんてメールかMINEで済ませればいいはずなのに! しかも……目の前でたこ焼きを食べてしまった!」
「何度も言いますけど、別に狙ってないですよ」
馨は一応念を押したが、彼女には届いていない様子だった。
それどころか懐疑的な表情をして、躊躇いがちに馨に言った。
「き、君は、私に催眠術か呪いでもかけたのかっ? 無意識にたこ焼きを差し出させるような、そういう!」
「……」
以前までならきっと「何を可笑しなことを」と一蹴しただろう。しかし、馨はつい神妙になってしまった。
その指摘は千恢が言っていた『魔法』と同じ類の現象に思えたからだ。
「おい、一花! 黙ってないで何とか言ったらどうなんだっ」
「済みません。俺はそんなことしたつもりないんですけど……あの、先輩」
「ん? 何だ」
「先輩は……俺と話してたら、変にどきどきしたりしますか」
「む?」
淀名和は一瞬眉根を寄せて怪訝そうな顔をしたが──見る見るうちに顔を紅潮させて、弾かれるように席を立った。
「いっ、いきなり何てことを聞くんだ、君は! 何だ、私を口説こうとしてるのかっ? そんなことをしてもたこ焼きはあげないぞ!」
「いや、そうじゃなくて、ちょっと真面目な話──」
「ババババンド仲間としてはこれから共に頑張っていきたい! だけど、私の心とたこ焼きは絶対に渡さないと決めたんだ……!」
淀名和はそう言い放つと、長い髪を翻して風のように講義室を出て行ってしまった。
ほんのりとたこ焼きの香ばしい匂いを残して。
馨は暫し唖然としたあと、間もなく周りの視線や忍び笑いに気がついて恥ずかしくなった。
近くに座っていた顔見知りには淀名和のことを問い
◇
その日の講義を終えた馨は、早々に帰りたくなっている足を無理やり情報実習室に向かわせていた。
全ては期末課題を進めておくためだ。
明日以降はバンドの顔合わせと千恢との《デート》で予定が埋まっている。その上週末は帰省するとなれば、今のうちに出来るだけやっておいた方がよいと思ったのだ。
ずらりとパソコンの並んだ実習室に入り、後方の適当な席に座る。利用者は数人しかおらず室内は静かだ。
馨は特にだらけることもなくパソコンにログインし、課題に取りかかった。
レポートに書く内容は粗方決まっていたため、作業は順調に進んでいく。あとは言葉が足らないところに肉付けをして文章を整えるだけ、というところまで難なく辿り着いた。
我ながら手際が良い。
そう思って一息入れることにした馨は、リュックから飲み物を取り出そうとして、
「……?」
突然妙な居心地の悪さを覚えた。
誰かにじっと見られているような感覚。
人の気配に特別敏感というわけでもないのに、確かにはっきり感じた。
前方をちらりと盗み見るも、室内にいた他の学生は黙々とパソコンに向かっている。
では廊下か、と咄嗟に出入り口を振り返ると──
背の高い影が素早く、スライドドアの向こうに引っ込んだ。
黒髪、フリルのついたゴシックなスカート。
その特徴を視認したのはほんの一瞬だったが、馨には見覚えがあった。
馨の名を初めて聞いたときに激しく取り乱していた、
気づけば馨は席を立って、出入り口へと駆け寄っていた。
絶対に追わなければならない訳ではない。
しかし、
先ほど淀名和に聞きそびれた質問を、彼女にも訊ねたい。
馨はそう思って廊下へと出た。
────────
❀補足❀
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