第二十五話
「
というのが
実際に馨が熊澤に帰ることを伝えると、彼女は何とも言えぬ顔をした。
「寧々ちゃんは許してもらえると思うけど……一花くん、多分今帰ったら後日
「でも、今ここでシメられるよりマシです」
「あーまあ、それはそうかぁ……んー……分かった。用事があって帰ったって私から伝えとく」
「! ありがとうございます」
「うん。澤田達に捕まらない内に早く帰りな」
出口の方向には化粧室もある。
大勢いる内のたった二人がそちらに向かっても、誰も気に留めない。
代金を熊澤に預け、馨は寧々とともに店を出た。
◇
「無事に抜けられたね……!」
寧々が安心したように言う。
馨も表情を緩めて頷いた。
「うん。あとが恐いけど、あの場で絡まれるより全然マシ」
「だよねっ、みんなは恐くないのかな……?」
「
「わぁ、そうなんだ……でも
二人は駅のある方向へと歩く。
馨は平然としたふりをしていたが、気づいてしまっていた。
飲み会を抜け出し、彼女と二人きりになっているということに。
意識した途端、馨の心はそぞろになっていく。
そっと彼女の横顔を盗み見たが、彼女は特に何も意識していないようである。
馨は歩く道の先に目をやった。
暗い夜道に、自分達以外の人の姿はない。
大学の周辺はいわゆるベッドタウンであり、加えて先ほどの居酒屋は駅からも離れているので、この時間になると驚くほど
駅まで行くのにも、早くて20分はかかる。
その間はずっと二人きりだ。
「あっ……そうだ!」
寧々が突然、思い出したように胸の前で手を合わせた。
「さっき途中だったんだけどね、馨くんに聞いてみたいことがあったのっ」
「俺に?」
「そうっ。えっと、恋バナの続きみたいになっちゃうんだけど……いいかな?」
「うん、いいよ」
「ありがとっ。答えたくなかったら、無理しなくていいからっ」
「……分かった。どうぞ」
「じゃあ、えっと……馨くんは今、好きな人いるっ?」
寧々は大きな目でじっと見つめてそう尋ねる。
なぜそんなことを聞くのだろうかと馨は驚いたが、これも彼女の好奇心がゆえなのだろうと結論づけた。
「うん。……いるよ」
「え!! ほんとっ? も、もう付き合ってたりするのっ?」
「いや、全然。告白すらしてない」
馨は彼女の質問に正直に答えた。
数週間後のライブの日に伝えるつもりでいる、ということ以外は。
「その子に告白、するの……?」
寧々は薄暗い街灯の下でもはっきり分かるほど、頬を赤くして尋ねてくる。
馨は彼女を見返して頷いた。
「うん。遠くない内に、したいなと思ってる」
「っそ、そうなんだ……」
「上手くいかないかもしれないけど、伝えないままだと後悔しそうな気がするから」
「そっか……き、きっと大丈夫だよっ」
「え? そう、かな」
「上手くいくと思うっ! だって馨くん優しくて、誠実な人だし、それに、か、かっ……!」
「か?」
馨が首を傾げて彼女の言葉の続きを待とうとしたとき。
「あれ〜? 一花くんと寧々ちゃんだ〜」
「!」
背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
寧々との時間を邪魔されたように感じて、反射的に嫌悪感を覚える。
嫌々後ろを振り返ると──そこには
相変わらず肌の露出の多い服を着て、あの何とも言えない笑みを浮かべて立っている。
先ほどの飲み会の席にいたのは馨も何となく覚えていた。
彼女も3年生が嫌で抜け出してきたのだろうか。
「二人も飲み会抜けてたんだねぇ、知らなかったなぁ〜」
「う、うん。もう帰らなきゃいけなかったからっ」
寧々がそう答えると、百花は二人の間に割って入ってきた。
馨はつい黙り込んだ。
彼女を警戒しているだけでなく、図書館で出くわした日の夜に見た夢の内容を思い出してしまう。
「ねぇ一花くん。黙ってるけど、どうかしたぁ?」
しかし当然彼女は馨に話しかける。
寧々のいる手前、それを無視をするわけにはいかなかった。
「……別に、何でもない」
「具合でも悪いの? それとも酔っちゃった?」
「
「へえ〜? でも、この前は飲んでなかった?」
「あれは、
「そうなんだぁ。てっきりお酒好きなのかと思ってたなぁ」
「んなわけないだろ。お前と一緒にすんな」
百花と会話をすると、馨は腹の中を探られるようで落ち着かない気持ちになった。
そのせいで無愛想な言葉を返してしまうが、彼女はまるで気にする様子もない。
「あ、ところで、今二人で何話してたの? なんか『好きな人』とか『告白』とか、楽しそうなワードが聞こえたから〜、私気になっちゃったんだよねぇ」
「えっ……! あっえっと、それは、あのっ……」
寧々が戸惑いながらも律儀に言おうとしてあたふたする。
「お前には関係ない。ていうか盗み聞きしてたのかよ」
馨はそれに被せるように言い捨てた。
しかし百花は悪びれもせず、肩を竦める。
「人聞き悪いなぁ。だって後ろ歩いてたらさ、必然的に聞こえてくるじゃん?」
「それが盗み聞きだって言ってんだよ」
「なんでそんなに怒るの〜? 一花くんの意地悪」
「は? 真っ当なこと言ってるだけだろうが。お前いいかげんにしろよ」
「ひどいな〜。私にはそんなに厳しいことばっか──っわぁ……!」
突然、隣を歩いていた百花が視界から消え、どしゃっと不穏な音がした。
振り返って下を見ると、彼女は転んだようで、地面に両手を突いて倒れていた。
「も、百花さんっ? 大丈夫っ!?」
寧々がすぐに駆け寄る。
彼女に支えられて百花は何とか立ち上がったが、素足だった右膝は血塗れになっていた。
「あはは、転んじゃった……う、痛い」
「……何やってんだよ、お前」
その姿を目にして馨は苛立ちを覚えたが、同時に少しは彼女を案ずる気持ちにもなった。
彼女の、寧々に掴まっている方とは逆の手が支えを求めてふらふらしている。
仕方なくその腕を掴んで支えた。
寧々が彼女を心配そうに覗き込む。
「百花さんっ、歩けそうっ?」
「ん……、ちょっと、きついかも」
「そ、そっか。えっと、じゃあっ」
おろおろしながら辺りを見回す寧々。
馨はそのとき、彼女のカーディガンのポケットが光っていることに気づいた。
「安心院さん、ポケットの中。電話じゃない?」
「えっ!? あっ……うう、こんなときに……」
寧々は一瞬眉根を寄せ、百花を支えたまま電話に出た。
以前のときと同じように家族に叱られているようで、彼女の表情が徐々に引き攣っていく。
その顔を見て、馨は寧々を帰らせようと思った。
百花を支えて連れて行く程度なら、馨一人で事足りるだろう。
何より、怯えたような表情の寧々をこれ以上見ていられなかった。
やがて通話は終わり、寧々は携帯を仕舞う。
「早く帰って来いって言われた?」
馨がそう問いかけると、寧々は俯いて首を振った。
「そ、それが、もう駅まで迎えに来てるって……。でも大丈夫っ、百花さんの方が大事だから……」
「いいよ。それは俺一人いれば何とかなるし。安心院さんは早く行きな」
「えっ……! で、でも」
「そうだよ、私のことなんて気にしないで、寧々ちゃん。……ほら、急いで行かないと、お父さんに怒られちゃうよ?」
「う、うんっ……分かった……。ご、ごめんね、二人ともっ」
「大丈夫。気をつけて帰って」
馨はなるべく優しく言って手を振った。
寧々は泣きそうな顔をして頷き、身を翻して走っていった。
彼女の姿が夜の闇に紛れて見えなくなる。
すると静けさの中で、小さく含み笑いが聞こえた。
左手で支えている百花を見下ろすと、彼女は蠱惑的に微笑んでいた。
「さぁて一花くん……これからどうしよっか?♡」
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