第3話 仮面少女の序曲(3)

 コンコン

「どうぞ」

「ただいま戻りました」

 結城家の本邸、タワーマンションの上層階へとたどり着いた私たちは、ご当主である紫乃様にご報告するべく、ご自身の自室兼オフィスへと訪ねる。

「お疲れ様、その様子だと怪我とかはないようね」

 現代日本において、最大の術者を持つと言われている結城家のご当主、結城紫乃ゆうき しの様。その見た目はとても三人のお子様がいるとは思えないほどの超美人。しかも私のような流れ者にも優しく、行く当てのない私と胡桃に暖かい食事と寝床をお貸くださったのだ。

 私は幼い頃に母を亡くしているし、胡桃も家庭の事情で北条家へと奉公に出されていたため、ここにきて母親のぬくもりという暖かさを今一度教えてくださった恩人である。


「お母様、沙姫お姉さまはホントに凄いんですよ。妖魔を風で捕まえたと思ったら、稲妻が迸る薙刀でズバッと倒されたんです。私、初めて転身てんみの術を見ました!」

「あら、よかったわね」

 可愛い娘を危険な現場に行かせたというのに、紫乃様は楽しそうに凪咲ちゃんの話を聞き入られている。

 いま出てきた転身の術とは、精霊を武器として変化させて戦う術の事を指し、私達精霊術者と呼ばれている中では中級クラスの技である。ただ中級クラスの技と言っても扱える術者は少なく、初級である移しうつし……自ら持つ武器や拳に精霊の力を宿し、攻撃に転化する技ですら、扱えるものが限られてしまうのだ。


「一度も見たことがないって凪咲ちゃん、転身だったら柊也しゅうや様や蓮也れんやだって使えるでしょ? それに結城家には日本最強術者達に与えられると言われる称号、七柱の庄吾しょうご様だっておられるんだから、転身程度の技なら見たことがあるんじゃないの?」

 何といっても日本最大の術者を抱える結城家だ、扱える者が少ないからと言って、中級の転身程度なら使える人は沢山いるだろう。

「お姉さま、もうお忘れですか? 私の目が見えるようになったのはホンの数ヶ月前のことなんですよ」

「あっ、そう言えばそうだったわね」

 それは私が初めて結城家の敷居をまたぎ、初めて凪咲ちゃんと出会った時のこと。

 当時の彼女は、治術士や名医と呼ばれるお医者様が匙を投げた、盲目という暗闇に囚われていた。

 詳しい経緯はよく知らないのだが、幼い頃に妖魔に襲われ、その時の後遺症でつい最近まで瞳から光が奪われていたのだ。そこに怪我をして介抱されていた私と出会い、お礼ついでにと軽い気持ちで治療に当たらせてもらったという経緯がある。

 それ以降私はご当主である紫乃様から息子のお嫁に来なさいと、今も口説かれ続けているのよね。長男である柊也様には既にご婚約者がいるため、自動的に私の相手は同じ年の蓮也になるというわけ。

 まったく私が蓮也と結婚だなんて、紫乃様も無茶振りをおっしゃるものだ。


「ごめん、すっかり忘れていたわ」

「もぉう、お姉さまったら」

 そういえばアレから凪咲ちゃんは私の事をお姉さま、って呼ぶようになったんだったわね。

 実家で別れた実の妹の事が思い出されるが、どうせあの子も私にいい感情を見せていなかったし、出ていくその日すらも会話どころか顔すら合すことがなかった。

 今頃無能な姉が居なくなったと清々しているんじゃないかしら。


「うふふ、沙姫にとって治療は手足を動かすようなものだものね。とても大変な事をしてしまったという自覚がないのよ」

「流石にそれはちょっと……」

 実際私の……というか、白銀の力が治術に偏りすぎているせいで、ビックリされるほどの力が使えるのだ。

 ただ私は治術の教育は一切受けた事がなく、ただひたすら戦闘の訓練しかやって来なかった為、いまの様な治術が超一流なのに戦闘の前衛を任されている、といった変な術者が誕生してしまった。

 白銀曰く『我は巫女を守る盾であり剣でもある。戦闘においてもその辺の精霊共と一緒にするな』との事だった。


「そういえば蓮也はまだ帰って来ていないんですか?」

「連絡まだ入っていないわね。予定では今日のはずだったんだけれど」

「そう……ですか……」

 紫乃様の二人目のお子様である蓮也は、一週間ほど前からお隣の千葉県へ妖魔退治の出張中。

 私とは三ヶ月前のある事件で知り合ったばかりなのだが、その仲は決していいものではないとだけ告げておく。ただ一時でも命を預け合った仲なので、その辺の軽いナンパ男共よりよほど信頼はおけるが、デリカシーはないわ、人をペチャパイだとか言うは、挙げ句の果てに私の入浴中にうっかり入ってくるなんてことまでやらかしたのだ。

 どうやら凪咲ちゃんが仕組んだことらしい事が後でわかったのだが、乙女の柔肌を見たというのに蓮也ったら、顔色ひとつ変えないんだもの。一人恥ずかしがった私の方がバカみたいじゃない。


「お姉さまって、蓮也兄様だけは呼び捨てなんですね」

「うぐっ。い、いいのよ、蓮也なんて呼び捨てで」

 ご当主である紫乃様の前で蓮也だけを呼び捨てにしているが、最初の出会いが余りにもインパクトがありすぎた為、ここは私の心情を察してお見逃しいただきたい。


「凪咲、沙姫にも複雑な乙女心があるのだから察してあげなさい」

「はーい」

 いやいや、私に複雑な乙女心なんてありませんから!

 やはりここはきっぱりと否定しておこうとするも、紫乃様の次の言葉で遮られてしまう。

「そうそうこれを渡しておかないといけないわね」

 そう言って紫乃様が差し出されて来られたのは某有名な都市銀行の通帳。その表紙には口座と思われる数字と、最近名乗りだした水城 沙姫みずしろ さきの名前が書かれている。

 そういえば水城って戸籍も、紫乃様がすべてご用意してくださったのよね。そう考えると、他人の口座開設程度ならお手の物なのだろう。


「これは貴女のものよ。一応中身を確認してもらえるかしら」

 つまり今回の妖魔退治の報酬と言う事なのだろう。私は結城家に雇われているわけではなく、どこの一族にも属しない言わばフリーの状態。

 実家からはほぼ無一文の状態で飛び出してしまったので、正直今回の報酬は助かる。

 私はそのご厚意を有難く受け止めながら、頂いた通帳の中身を開く。

「へ?」

「どうされたのですか?」

「いやね、桁がよく分からないのよ」

 私の様子を不審に思ったのか、側にいる胡桃がのぞき込んでくる。

 確かお仕事を頼まれた時の話では取り合えず報酬は100万円でいいわね。と軽く言われて驚いた事を覚えている。だけど今通帳に印字されているのは、その100万円をしのぐ桁の多さ。

 いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……って、一億円!?

「えっ、この金額って……」

 胡桃もこの金額には頭が追い付けないのか、私と同じように軽く混乱している様子。

 私だって元は良家のお嬢様だ。金銭感覚が狂っていると言われると、言い訳が出来ない程度のご家庭だったが、その実態は毎月のお小遣いはゼロ、辛うじて年に一度のお年玉が貰えたお蔭で、買い食いだとかショッピングだとかに費やせたが、とてもじゃないが1臆だなんてお金は手にした事もなければ、目にしたことすらないのだ。

 若干手の震えを抑えながら、何かの間違えですよね? といった疑問の顔を紫乃様へと向ける。


「あら、要らないの?」

「いや、要る要らないの二択なら間違いなく要るって答えますけど、流石に約束の金額から二桁も違うと、逆にこの後何を頼まれるのかという不安が……」

 よくボーナスは未来への投資だという言葉を聞くが、約束の報酬の100倍ともなれば、逆に恐怖の方が際立ってしまうのは仕方ない事ではないだろうか。

「心配いらないわよ。それは凪咲を治療してもらったというお礼と、結城家が管理するこの東京都を守って貰えたという報酬よ。まさかとは思うけれど、あれだけの事をしながら無報酬だなんて、考えていたんじゃないわよね?」

「うぐっ……」

 そう言われると何も言い返せない自分がそこにいる。

 確かに例の事件は北条家が管理する神奈川でなく、この日本の中心とも言える東京都。その真っただ中で大震災級と言われるA級クラスの妖魔が2体も出現したのだ。

 しかも妖魔の中でも最凶最悪と言われる鬼ともなれば、その被害は5年前に東京近海で起こった大噴火を遥かに超える事だろう。

 だけど運が良かったのか悪かったのか、偶然その場に居合せてしまった私と蓮也が、その大災害級の鬼をたった2人で倒してしまったのだ。

 これは後で聞かされた話だが、鬼の気配を察して結城家の術者が駆け付けた時には、全身傷だらけの私と蓮也が倒れており、その傍らには心配そうに見守る白銀と風華、そして必死に治療にあたっていた胡桃と蓮也の精霊だけが居たらしい。

 治術って他人の傷を治すことが出来ても、自分の傷は治せないのよね。それと同じように白銀も私と契約している関係、主である私には治療が施せない。

 そんな状況の中で私は残りの力を使って蓮也の傷を治療し、そのまま力尽きて結城家へと運ばれたというわけ。


「まったく、あの場に沙姫と蓮也が居なければと思うと、今でもゾッとしてしまうわ」

 紫乃様は5年前の事件で、夫でありご当主であった旦那様を亡くされているのよね。

 幸いにも島に住まわれていた住人には、事前に避難指示が出ていたので民間人の被害は最小限に抑えられたが、当時日本最大の術者一族と言われ、現場の指揮を取っていた足利家の一族がまるっと消息を絶ってしまったのだ。それがどれだけの損失だったかは説明するまでもないだろう。

「はぁ、その……ありがとうございます? でも、こんなに頂いてもいいんですか? 私って結構結城家にお世話になっていますよね?」

 怪我の治療に時間がかかってしまったとは言え、三食食事つきに豪華な客室付きの生活だ。しかも私に付いてきてしまった胡桃まで、手厚い接待を受けている状態。

 高級ホテルのスィートが一体どれぐらい掛かるのかは知らないけれど、決して子供のお小遣い程度で泊まれるほどは安くはないだろう。


「その辺りは心配しなくてもいいわよ。陰陽機関にA級クラスの鬼が都内に出現した末、被害が出る前に沈静させた。って伝えたら、慌てて報酬を出して来たのよ。多少私の方でも上乗せはしているけれど、これは正当な報酬だから安心して受け取りなさい」

 なるほどね、私の知らないところで紫乃様が各方面に当たってくださっていたのだろう。

 A級クラスの鬼が出現した後始末もあっただろうし、結城家が嘘の報告をするとは考えられない。それにこの事実が本当ならば、無報酬で私からの反感を買うほうが陰陽機関にとってマイナスと捉えたのではないだろうか。

 因みに陰陽機関とは日本の政府が秘密裏に組織している名称で、登録されている術者の一族に仕事を依頼したり、仕事に見合った報酬を用意したりと、言わば私達術者にとっての収入源。

 もっとも近年では経費削減だなんだと予算の減額が続いており、結城家の様に陰陽機関の収入を元に表の世界で企業を運営する、なんて動きも急速に進んでいるという話だ。

 そう考えると、結城家の在り方は今の近代日本に一番適していると言えるのではないだろうか。


「それじゃこれは有難く頂いておきます」

 紫乃様のご厚意に甘えながら、通帳一式を受け取る。

 予想外の収入だが、私はこれから自立して生きて行かなければいけないし、実家から付いて来てしまった胡桃にお給料を用意しなければいけない。

 他にも住居から家財道具一式、休学届けを出している私と胡桃の高校の件もなんとかしなければいけないので、正直このお金は非常にありがたいのだ。

 私は紫乃様へ再度お礼を告げて、胡桃と凪咲ちゃんと共に部屋を後にする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る