ツクバヤマハレ

侑李

日米交渉妥結成る



日本時間昭和十六年十二月一日未明、米国ワシントンDCの日本大使館より野村、来栖両大使から大日本帝国政府へ宛てた緊急電が受信される。



「コウショウダケツナル、シュツゲキチュウリクカイグンブタイソッコクキカンサレタシ」



東郷茂徳外務大臣が読み上げたその電文を噛み締めるように聞く東條英機内閣総理大臣。



「その報は確たるものですかな」



「はい、間違いございません」



「そうですか・・・」



それだけ言って、いつもの軍服を脱いでタバコに火をつける東條。



「東郷さん、外務省はよくやってくれました。ですが私達、いえ、私自身が忙しくなるのはまたこれからでしょうな」



「ええ、支那撤退に反対する軍の強硬派の鎮圧、それと満州の関東軍、内政の改革・・・・・・やる事は山積みです」



「ですな・・・ともあれ今次の開戦回避、総理として外務省には深くお礼申し上げます。ありがとうございました」



「いえ・・・では私はこれで失礼致します」



十二月十日



史実では日本海軍が史上初めて航行中の戦艦を航空攻撃のみで沈め、英国首相チャーチルが後に第二次大戦中最大の衝撃だったと語ったとされるこの日、この世界では日英間でも開戦しておらず、南方は未だ平和だった。そして既に泥沼の様相を呈していた支那事変を戦っていた将兵は撤退の命令に、やっと帰れるんだと内心喜ぶ者もいた。そんな折、臨時帝国議会が招集され、東條は軍服を脱ぎ背広姿で現れ、今後の帝国政府の方針について演説を行った。その中で彼は帝国の民主化と国際協調という言葉を繰り返し訴え、しばらく議論すらなかった改憲にまで言及。更に報道検閲の原則撤廃を掲げた事で、国民らも帝国の実際の現状を知る事となった。




二十四日



支那事変の長期化、米国からの通商条約破棄などによる物資不足で例年より規模は小さいながらも、世間ではクリスマスムード一色となったこの日、帝国憲法第73条に基づく勅命で憲法改正案が発議され、翌日には衆貴両院ともほぼ全会一致で議決。更にその改正憲法はすぐさま発布され、翌昭和十七年四月には施行される事が決定した。なぜこのようにスムーズに行ったのかといえば、他ならぬによってのものだった。改正憲法は宮中府中の別(天皇が政治的思想を口に出したりしない事)の原則はそのまま、政府に軍の指揮を持たせたり、国民の権利を拡大するという史実の日本国憲法に近いものとなった。また皇室典範も改正され、憲法と同列のものから法律へと格下げとなる。



昭和十七年 正月



帝国は満州国における関東軍の解体、活動終了を通告。彼らは中々それに応じようとしなかったが、陸軍中央は強硬手段を用いて無理矢理にでも引き揚げさせる作戦に出た。関東軍の強硬な態度は元々満州事変前から持っていたこの地域の日本権益はどうなるのかとの不安から来るものではあったが、日英米の交渉でそれらは維持され、ある程度の警備部隊の残留が認められた事によって事態は一気に収束していった。




さて、いくらなんでも上手く行きすぎな感がありますが、無論それにも相応の理由があり、その辺は次回でご説明致します。















































































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