第12話

 佐助と浪漫は一緒に神像の前に居た。神託を受け取り、今日の客を待つ為だ。しかし佐助は難しい顔をしたまま一向に動かない、浪漫はそんな様子を見て佐助に声をかけた。

「おい佐助何かあったのか?」

「分からない、確かに神託は下ったんだけど。何か曖昧で」

「曖昧?そんな事があるのか?」

 浪漫には神託を聞く事は出来ない、それが出来るのは店の主人のみだ。

「いや俺もこんな事初めてだ。取りあえず式神を落としてみるよ」

 折り紙の魚は池を泳ぐ、しかし待てども魚が浮かび上がってくる事はなく音沙汰もなかった。

「品物が無いのか?」

「分からないけど、どうやらそうみたいだ。お客さんは来るみたいだし、一度店内に戻ろうか」

 二人は地下室を後にして、店内に戻る。用意する品物がなければ準備のしようもない、掃除を終わらせてしまった佐助と、珍しく散歩に出かけない浪漫はそれぞれに時間を過ごしていた。

「佐助、お前とも長い付き合いになったな」

 浪漫が徐に佐助に声をかける。

「そうだね、何だか時間以上に一緒に居る気がするよ。しかし浪漫さん、本当の所は何歳くらいなの?」

「吾輩ももう何年この世にしがみついておるかは分からんよ、いつの間にか猫又となり、いつからかこの店に流れ着き、長い長い時を過ごしてきた。色んな店主が居たが、佐助が一番生意気だな」

 浪漫が嫌味たらしく言う、佐助はそんなことは慣れっこだと流す。

「俺が生意気なら浪漫さんは偏屈だな、後お客さんにちょっかいばかりかける困りものだ」

「吾輩は客人をもてなしているだけだと言うのに、やれやれそんな事も分からないとはまだまだ未熟者だな佐助よ」

 浪漫はやれやれと言うように首を振る。ああ言えばこう言う奴だと思いながらも、いつも通りのやり取りに佐助は心地よさも感じる。長い間時間を共にすると、言葉を介さずとも通じ合える時がある。

「しかし、客は一向に来ないな、神託が間違っているのか?」

「いや、今までそんな事一度も無かったよ。佑からもそんな事聞いたことないなあ」

 佐助も浪漫も不思議に思いながらも待ち続ける、それでも客は来なかった。仕方が無いので佐助と浪漫はいつも通りの日常を過ごした。浪漫は日向で寝転び、佐助は読みかけの本を読んだ、一緒に食事をして、一緒に下らないテレビ番組に文句を言って、いつものように一日が終わった。結局最後まで客が来る事がなかったのが佐助には気がかりだったが、来なかったのなら仕方がないと無理やり納得する事にした。

 寝室で床に就き、同じく寝床で丸くなっている浪漫に佐助が声をかける。

「しかし、本当に客が来ないとは思わなかった。浪漫さんはこんな経験ないの?」

 浪漫はのそりと顔を上げる。

「ないな、吾輩にも初めての経験である」

「そうかじゃあ本当に珍しい事なんだな」

「まあ、この店自体が謎だらけだからな、吾輩もただここに住んでいるだけであるし、分かっている事は少ない」

 そんな物かと思い寝転がったまま天井を見上げる、暫くすると浪漫の寝息が聞こえてきて、その子気味良い寝息を聞いている内に佐助もいつの間にか眠りについていた。


 浪漫は夢を見ていた。浪漫には何故だかそれが夢だとハッキリと分かった。

「明晰夢というやつか」

 浪漫は真っ白な広い世界に居た。見た事も無い場所で、ぽつんと一匹で立っている。何かに突き動かされるように浪漫は歩き始めた。

「分からん、ここはどこだ?」

 行けども行けども景色は変わらない、自分がどこに居るのかも分からなくなるような不思議な感覚だった。

「むう、長い時を過ごしてきたがこんな経験は初めてだな」

 それでも浪漫は歩みを止めない、止めらないし止める気が無かった。歩き続けていると、とても懐かしい人を見かけた。それは浪漫が初めて店にやってきた時の店主だった。浪漫以上の偏屈で、気難しいが何故だか浪漫とは気が合った。接客態度が悪くて客からは評判は悪かったが浪漫は気に入っていた。

「おい!久しぶりだな」

 浪漫は声をかけた時にその人物は煙のように消えてしまった。とても懐かしい顔を見て話しの一つでもしてやろうかと思っていたのに、浪漫は少しがっかりした。

 それからも浪漫は歩みを進めていく程に次々と歴代の店主たちの姿が見えた。好きだった者嫌いだった者、長く一緒に居た者や、あっという間に別れが訪れた者。それはもう多くの店主と長い長い時を過ごしてきた。浮かんでは消えていく店主の姿を見て、浪漫はこんなにも多くの人と一緒の時を過ごしてきたのだと思った。

「しかしどいつもこいつも吾輩に挨拶もなしか、まったく礼儀のなっていない連中が」

 そう浪漫が呟いた時に、一人の男が話しかけてきた。

「相変わらず態度がでかいな浪漫さん」

 浪漫はその声に聞き覚えがあった。

「お前は吾輩と話ができるのか佑?」

 声の主は佑だった。あの頃と同じままの姿で浪漫に笑顔を向けている。

「俺は浪漫さんに伝える事があるからな、特別さ」

「吾輩に?何だ?」

「浪漫さん、今回の客は君だ」

 浪漫はその言葉を聞いて驚いた。耳を疑う言葉だった。

「吾輩が客?それは本当の事か?」

「ああ、それにもう品物も受け取った。実感はあるかい?」

 浪漫は考えたが、思い当たる節がなかった。何てことない一日だったし、いつものように佐助と口げんかしたり、笑ったり、ご飯を食べてケチをつけてみたり、何事もなく過ぎた一日だった。

「吾輩は特に何も受け取っていないぞ?」

「案外鈍いな浪漫さんも、まあでもそれだけ当たり前というか、普遍的なものになっていたのかもな」

 佑の物言いが分からず、浪漫は怪訝な顔を向ける。

「浪漫さんの品物は、佐助との幸せな一日さ。最期の思い出としてな」

「最期?どういう意味だ?」

「浪漫さんはとてもとても長い時を過ごしてきた。でも妖怪にだって終わりは来るんだ、それは浪漫さんだって分かっていただろ?」

 浪漫は佑の言葉にたじろいだ、確かに妖怪にも終わりが来る、長い長い時の中でその事実が薄らいでしまうだけだ。

「成程、吾輩はここで終わりという訳だ。さながらこの夢は走馬灯のようなものか、通りで見知った顔が浮かんで消えていく訳だ」

「まあ似て非なるものだけどね、でもそういう事だよ」

 そうかと思い浪漫は下を向いた。その様子を見て佑は言った。

「浪漫さん、終わりが恐ろしいかい?」

「ん?ああいやそういう訳ではない。吾輩は誇り高き猫又である、その程度恐れるに足りん。ただ、ただな」

「ただ?」

「佐助は吾輩が居なくなって大丈夫だろうか?あ奴はまだまだ未熟だからな、もう少しだけ一緒に居ることは出来ないか?」

 佑は黙って首を横に振る。それを見て浪漫はだらんと尻尾を下げた。

「そうか、そうだな。いや変な事を言った忘れてくれ」

 佑は優しく微笑んで浪漫に聞いた。

「浪漫さん、この店で過ごした日々はどうだった?」

 浪漫は急な質問に驚きながらも答える。

「そうだな、もう何故あの店に居ついたかも覚えてないが、悪くない日々を過ごさせてもらった。お前たち店主との生活もそうだが、訪れた客たちが語る事柄も、とても楽しませてもらったよ。悪くない、そうだな悪くなかったよ」

 浪漫がそう答え終わり顔を上げると、佑の姿はもうそこには無かった。辺りも暗くなり始めて、夢が終わっていく。


 静まった夜更け、目を覚ました浪漫は寝ている佐助の顔を叩いて起こした。

「痛っ!何だよ浪漫さん!」

 佐助は飛び起きて顔を抑える。

「フハハ間抜面だな佐助、ちと話したい事があったので起こしたのだが、面白い物が見れたぞ」

 一発叩いてやろうかと思い佐助は浪漫を見る。

「どうした浪漫さん?何かあったのか?」

 浪漫に変わった様子はない、それでも何故か佐助には予感と胸騒ぎがした。浪漫は何てことない顔をしているが、佐助は何かがおかしいと思った。

「何もないさ、いつも通り。取りあえず話がしたいから店の方に下りよう」

 佐助と浪漫はいつもいる店内で、いつものように向かい合う。

「さて佐助よ、実は今回の客は吾輩であったのだ」

「はあ!?どういう事だ?」

「そのままの意味だ。客は吾輩で品物はもう受け取った」

 理解が追い付かず佐助は混乱する、確かに今日神託があったにも関わらず客が来なかった。だけどその客が浪漫だとは信じがたかった。

「そうだ品物だ!品物は何も無かったじゃないか、受け取ったって何を受け取ったんだ?」

「受け取ったさ、もうしっかりと貰った」

「何を受け取ったんだ?対価がいるだろ?話さなきゃ返してもらうぞ!」

「すまんな、もう対価も支払った。後はお前に別れを告げるだけだ」

 佐助はめまいがしてふらふらと椅子に座りこんだ。浪漫が言っている事を拒絶したくてたまらない、店の店主だからこそ分かる事がある、品物を受け取った客はこの店を出る、そしてそれが意味するのは一生の別れだ。

「佐助、もう分かっているな。吾輩はここを去らねばならない、そして一見さん以外お断りのルールは勿論吾輩にもある。そうだな?」

 佐助は俯いたまま黙り込んでいる。何かを喋る気にならない。

「出て行かなくてもいいじゃないか、ずっと一緒にここで」

「佐助、どんな事にも終わりは来る。それは絶対に避ける事のできない事だ。そしてそれがいつ訪れるのかも、吾輩でさえどうにもならぬ事なのだ」

「そんな事聞きたくない」

「なら吾輩が一方的に喋らせてもらおう」

「黙れよ!!」

 佐助は大声を出して机を叩いた。その行動に驚いたのは佐助で、浪漫は至って冷静に佐助を見つめていた。

「黙らん、聞きたくなくても聞くんだ佐助。お前が初めてこの店に訪れた時の姿は実にみすぼらしかった。その姿は吾輩が初めてこの店に訪れた時の姿とよく似ていたよ」

「え?」

 浪漫がゆっくりと語り始めた事に佐助は聞き入った。

「吾輩は元は野良猫、薄汚れた野良だった。食うものにも困り弱り果て、もう死ぬと思った時にこの店に辿り着いた。玄関に居た店主が吾輩を保護してくれてな、それで助かった。偏屈なジジイだったが、動物と子供には優しい奴だったな」

 笑いながら楽しそうに思い出話をする浪漫、佐助はこんなに穏やかな浪漫を見るのは初めての事だった。

「普通の猫だった筈の吾輩は、この店で過ごすうちにいつの間にか妖怪へと変じていた。神像のもたらす力か、吾輩はここで長い長い時を過ごす事となった。その間この店には様々な店主がいた。いい奴もいればあまり好ましくない奴もいたが、まあいい思い出だよ」

「浪漫さん…」

「その中でも佐助は出会いも含めて吾輩に近しいものを感じた。昔の自分を見ているようで、最初は少し気に食わなかった。同族嫌悪って言うのかな?まあそんなとこだ」

 浪漫はそう言って笑った。

「それからお前と過ごした日々、中々に悪くなかった。佐助はからかえば面白いし、客の話を引き出すのも上手い、口げんかもしたが楽しい日々を過ごさせてもらった。吾輩には勿体ない贈り物だったよ、吾輩の品物は最期に佐助と過ごすこの時間だったんだ」

 佐助が浪漫の顔を見る、浪漫もまた佐助を真っ直ぐに見据えた。

「ありがとう佐助、良い物を貰った」

「浪漫さん行かないでくれ」

「ではこれにてさらばだ」

「浪漫さん!まだ一緒に居たいよ!」

 叫ぶ佐助の頭に浪漫は前足を乗せる。

「佐助、吾輩は誇り高き猫又の浪漫。そしてお前はその妖怪の家族、それはいつまでも変わる事はない、佐助がいつかこの店を離れる事があったとしても、思い出はいつまでも不滅だ。それはこの店で教えられた事だ」

 佐助は浪漫を抱きしめた。零れる涙は無視して、別れを惜しむように強く抱きしめた。浪漫もまた佐助に身を預けて、その温もりを確かめ合った。

「達者で暮らせよ佐助」

「浪漫さんも今までありがとう」

 佐助の腕からするりと抜け出した浪漫は、扉の前に立った。

「吾輩妖怪は猫又、名前を浪漫と申す!長い間世話になった!これにておさらば」

 扉が自ずと開いて浪漫は優雅な歩みで去っていく、その姿を見送った佐助は、一人になった店の中で声を上げて泣いた。


 不思議な店がある。どこにあるかも定かでない不思議な店、その店を訪れる客はその時一番必要な物が手に入る。その店のルールは一つ、一見さん以外お断り。訪れる者がどんな物を目にし、どんな体験をするのか、それは訪れた者にしか分からない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一見さん以外お断りの店 ま行 @momoch55

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ