第8話
浪漫はいつもの散歩道を優雅に歩いていた。普段からあまり横道に逸れる事はなく、ある程度決まった道を歩くのが浪漫の決まりだった。他の猫とはあまり関わらないように縄張りを避けるように移動する、浪漫は猫又で妖怪である、それだけで猫は委縮し力関係のバランスが崩れてしまう原因になる。浪漫は尊大であるが気配りが出来ない訳ではない、そして散歩道の終盤では、必ず子供達が遊んでいる所へ寄る。子供達は浪漫を見つけると嬉しそうに駆け寄って、皆一様に撫でまわす。多少雑に扱われても浪漫は気にしない、子供達が喜ぶ顔を見れればそれでいいからだ。
揉みくちゃにされて、子供が大体飽きるころに浪漫はそっとその場を立ち去る。子供は飽きやすい、と言うより多感で興味が散発的に移ろうのだ。健全で何よりと満足げに帰ろうとした時、道を一人で歩いている少女を見つけた。その少女は家に帰る途中なのだろうか、しかしよく見ているとふらふらと歩いて覇気が無い、目的地が定まっていないようにも見えた。心配になって浪漫は少女の後を追う事にした。
少女はふらふら歩きながら、同じ場所をぐるぐると回っていた。時々立ち止まって、座り込んで休んではまた目的もなく歩き始める。その奇妙な行動を見て浪漫は何となくだが、少女が家に帰りたくないのではないのかと思った。
「おい娘、うろうろとどうした?」
浪漫は外では声を発する事はない、しかしどうしても我慢が出来なくなって少女に声をかけてしまった。少女がどこから声をかけられたのか分からず周囲をきょろきょろと見渡すので、浪漫は目の前に飛び出た。
「ここだ、娘」
「わ!びっくりした」
少女は驚いてしゃがみ込む。
「あなたが話しかけてきたの?」
「そうだ、お主がうろうろと同じ場所を回っているのでな、その奇怪な行動に興味が湧いた。ここでは人目につくかも知れん、ついてこい」
浪漫にそう言われて少女は素直に浪漫の後に続いて歩く、あまり遠くには行かないように、近くにあった神社に上がる階段に座った。
「吾輩はただの猫ではない、すごい猫で名前は浪漫だ。お主の名前は何だ?」
「くるみ」
少女は短く答えた。
「くるみ、どうして同じところをぐるぐると回っていた?何だか迷っているようにも見えたぞ」
くるみはどう答えようか迷うように俯いた。
「当てようか、くるみ家に帰りたくない理由があるな?」
「すごい!どうして分かったの?」
浪漫は自慢げに鼻を鳴らす。
「吾輩は長い長い時を過ごしたからな、大体の事は分かるのだ。しかし理由の内容まではさすがに分からんぞ、よければ吾輩に話してみろ」
くるみは逡巡した後、浪漫にその理由を話し始めた。
「私のお父さん、私がまだすごく小さい時に死んじゃったんだって、私全然覚えてないから一緒に写ってる写真でしか知らない」
くるみの年齢は九歳程に見えるので、本当に小さい時に亡くなったのだと浪漫は推測した。
「それは辛かろう」
「分からない、寂しい気もするし、そうじゃない気もする。だから何か変な感じ」
くるみはそう話すが、浪漫は時折見せるくるみの物悲しい横顔は、小さいながらにも父親との別れと言う棘がくるみの心に刺さっているのだろうと思った。
「ママは最近男の人を家に連れてきたの、私に紹介したいって、新しく家族になるんだって言ってた。再婚?って言うんだって」
「それを快く思えないか?」
くるみは首を振って否定した。
「ママもその男の人も、ゆっくりでいいって言ってた。家族にこれからなるんだって、それは別に嫌な事じゃないの、だけど家に居るのが何だか変に思えて、一緒に居るのが良い事なのか分からなくて」
「成程、くるみは亡くなった父の事が気になるのだな」
今度は首を縦に振って肯定した。
「私覚えてる事全然ないけど、お父さんの顔を見ると、私の本当のお父さんだって分かる。上手く説明できないけど、何となく分かるの、だから新しいお父さんって言われても、私のお父さんは違うのにって思っちゃうの」
それだけ話すと、くるみと浪漫は暫くの間黙って遠くを眺めた。くるみは吐き出した言葉に気持ちが追い付かないように難しい顔をしている、浪漫はそんなくるみをただ見守るようにじっと待った。
「くるみは実の父に会いたいか?」
静寂の口火を切ったのは浪漫の方からだった。問われたくるみは悩むことなく頷いた。
「そうか、しかしそれは無理だ。それも分かるな?」
その問いにくるみは力なく頷いた。
「くるみよお前はとても賢い子だ。吾輩の次くらいには賢い、だからこそ色々と考えてしまうのだろう」
「そうかな?」
「そうだとも、吾輩はいつまで経っても半人前の鼻たれ小僧と暮らしておるが、くるみはそいつより何十倍も賢いな」
浪漫はそれから、佐助がいかにだらしないか、気が利かないか、うっかり者かとくるみに聞かせた。難癖に近いものだったが、浪漫の語り口が面白かったのか、くるみは話を聞くたびに笑った。
「浪漫さんとその人は家族?」
「そうだな、くるみ達とは大分形が違うが家族だ」
「仲が良さそうだね」
「良かったり悪かったりする。気に食わない事も沢山ある。でも家族とはそんなものかとも吾輩は思うぞ」
くるみは浪漫の言葉を聞いて、膝を抱え込む。
「私本当のお父さんを忘れたりしないかな?」
「くるみは忘れたいのか?」
「絶対に嫌!忘れない!」
くるみは声を荒げた。浪漫は笑顔で言った。
「それでいいくるみ、忘れたくない気持ちを大切にしなさい。そして新しい家族とも仲良くなりなさい、くるみはその男が嫌いか?」
「ううん、まだあんまり話したことないけど、嫌いって訳じゃない」
「ならばくるみからどんどんと話しかけてやる事だ。どんな話題でも構わん、くるみの事を沢山教えてやるといい」
くるみは頷きこそしたが、不安な表情で言った。
「上手くできるかな?」
「上手くやる必要はない、くるみの思うままにやってみろ。もしそれでくるみが何か嫌な思いをしたのなら、吾輩がどこからでも駆けつけよう。吾輩はくるみの味方である」
くるみは浪漫の言葉を聞いて、少し安堵の表情を見せた。そして右手を浪漫に差し出す。
「約束だよ浪漫さん」
「勿論だとも」
浪漫も前足を差し出してくるみの右手に乗せる、くるみはそれをぎゅっと握りしめて、にっこりと笑った。
くるみが家に帰ると、母親が夕食の支度をしていた。
「ママただいま」
「くるみ今日はちょっと遅かったね、何かあったの?」
くるみはいたずらっぽく笑って言った。
「喋る猫さんと遊んでたの!」
「そりゃすごい、今度ママにも紹介してね。手を洗ってきなさい」
くるみは洗面所に行って、石鹸で手を洗いうがい薬でうがいをした。そして鏡に映る自分の顔を見て、きゅっと口を結んで気合を入れた。
「ただいま」
玄関から男性の声が聞こえてくる、母親は夕食の準備の手を止めて玄関まで出迎えた。くるみは覚悟を決めて、自分も玄関に向かった。
「お、おかえりなさい」
「あ、ああ!ただいま」
くるみが出迎えてくれたことに男は歓喜の表情を浮かべる、母親もそれを嬉しそうに見守った。
「あ、あの話したい事があるんだけど、その、聞く?」
「勿論!聞かせてくれるかい?」
あんまりにも嬉しそうな顔をするので、くるみはつられて少し嬉しくなった。
「さあ、もうご飯出来るから、お話はその時にしなさい、ほらあなたも着替える着替える」
母親は嬉しそうにしていた。一番不安に思っていたのはくるみの母親だった。くるみの方から歩み寄る姿勢を見せてくれた事は、母親にとって何よりも嬉しくて幸せな事だった。
新しい家族を迎えた食卓は、くるみが話す事柄で賑わった。くるみは今日の出来事も過去の出来事も何でも話した。時間がかかってもいい、いつか家族になれるまで、浪漫との約束を忘れない、そう心に決めていた。
ある日浪漫はいつもの様に散歩をしていた。公園を通るルートを選んで歩いていると、楽しそうに騒ぐ家族を見つけた。その家族の輪の中にいる少女には見覚えがあった。
「ママ!パパ!こっちこっち」
少女は楽しそうに走り回って、母親と父親の手を引いていた。その様子を見て、浪漫は満足げに頷いて、そっとその場から立ち去って行った。
「あれ?浪漫さんお帰り、今日の散歩は早かったね」
「うむ、帰ったぞ。吾輩の帰宅を存分に喜ぶがよい」
浪漫の尊大な物言いに呆れ顔を浮かべる佐助に、浪漫は楽しげにはっはっはと笑い声を上げるのだった。
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