第7話
「まだこんな時間か…」
腕時計を見て呟く、次の取引先との約束の時間がぽっかりと空いてしまった。会社に戻るには時間が足りないし、あまりに早く到着するのも先方に迷惑になる。上司に報告を入れて、何処かで適当に時間を潰していいと許可をもらい、どこか都合のいい所が無いかと探していたら、何故だか妙に気になる店を見つけた。古い看板には「月来香」と書かれている、月来香とは月下美人という花の別名だったと記憶している、少年時代に図鑑が好きでよく目を通していた。意外にもそんな昔の記憶が残っているものだと、自分で自分に少し感心した。
「しかし何の店なんだ?」
外観を見ても一体何を取り扱っている店なのかさっぱり分からなかった。古すぎず新しくもない外観の、何の変哲もない建物だ。正直自分が何故ここを店だと思ったかも疑問に思う程だった。
「まあたまにはこういう冒険もありかもな」
どうせただの時間つぶしだ。怪しげな物を勧められればとっとと出ればいいし、面白い物が置いてあればそれはそれでいい気分だ。逆にこんな隠れ家的な店に美食が眠っているとも聞いたこともある。ドアノブに手をかけ店の扉を開いた。
「いらっしゃいませ、月来香へようこそ」
カウンターテーブルの奥の青年が声をかけてくる、傍らには猫が一匹いてこちらを見つめていた。
佐助は客が来たので、浪漫との口論を止めて笑顔を作る。浪漫はふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く、鰹節を買い忘れていた事をまだ怒っているのだ。後でまた買ってくると言っているのに文句を言うので、思わず口論になってしまった。来店した客には聞こえていなかったようなので、取りあえず一安心した。
「ここは何を扱っている店なんですか?」
男性が興味深そうに店内を眺めている、佐助はいつも通りの説明をした。
「ここはお客さんに今一番必要な物を提供する店です。ルールが一つ、一見さん以外お断りというルールです」
佐助の説明に男は目を丸くした。
「一見さん以外お断りって、ならこの店には二度と訪れる事が出来ないという事かい?」
「はい、そうです」
断言する佐助を見て、今度は少し呆れたような表情をする。
「そんな商売が成り立つのか?とてもじゃないが正気と思えないが」
「現にここにある、店があって客がいる。そして今日の客が貴様という訳だ、名を何と言う?」
浪漫が話しかけると、男は一瞬何が起こったのか理解が及ばないように止まった。もう一度浪漫が「おい」と声をかけると、状況を理解したのか腰を抜かして驚いた。
「ね、猫が喋ってる!!」
「吾輩をそこらの猫と一緒にされては困る、吾輩は誇り高き猫又、名を浪漫と申す」
男の驚くリアクションに満足そうにして、浪漫は調子良さそうにふふんと笑う。反応が良かったからか、すっかり上機嫌に戻った。
「すみませんねお客さん、これの事は喋るぬいぐるみ程度に思っていてください」
「相変わらず失礼な奴だなお前は、頭から食ってやろうか」
「食ってみろよ、腹の中で大暴れしてやる」
「やめておこう吾輩は美食家なのでな、ゲテモノは食わん」
佐助と浪漫のやり取りを見て、男は口をパクパクとさせて驚く、カウンター内から出てきた佐助が差し出した手を取って、男は立ち上がった。
「驚かせてしまってすみません。浪漫さんはそれくらいしか取り柄が無いんです」
「いや、それより理解が追い付かないよ、喋る猫に謎の店、まるでおとぎ話の世界に紛れ込んだようだ」
取りあえず佐助は男に席に着くように促した。席に座った男に浪漫が近づいて、また話しかける。
「それで、貴様名は?」
「え、あ、広瀬隆だ」
広瀬が浪漫に名を名乗ると、浪漫は満足そうに頷いた。
「いい名だな、吾輩には及ばないが」
佐助が浪漫の頭を叩く。
「一言余計なんだよ、まったく。それで広瀬さん、こちらが品物になります」
佐助がそう言って差し出してきたのは、古いゲームのカセットだった。しかもそのカセットに広瀬は見覚えがある。
「これは…これは俺のゲームカセットじゃないか?」
カセットを手に取って裏を見る、広瀬が思った通りに裏に「たかし」と名前を書いてあった。汚い字体だが、それゆえ見間違える事はない、何故これがここにあってこれが一番必要な物なのか、広瀬にはさっぱり分からなかった。
「そうです。それは元々広瀬さんのゲームカセット、ですがこれに関する何か思い出があるのではないですか?」
そう聞かれて、広瀬は頷く。
「よかったらそれをお聞かせください、この店ではそれが品物の対価なのです」
広瀬はカセットを懐かしげに見つめて、遠い目をしながら話し始める。
「俺にはいつも一緒に遊んでいた友達がいた。
広瀬はカセットを佐助に見せる。
「これは特に一緒に遊んだゲームだ。対戦ゲームとかじゃなくて、ロールプレイングゲームだから、一人が遊んでいる時はもう一人は見ているってだけ、それでも俺達は何度も何度もこの世界で一緒に冒険したもんだ」
コントローラーを交代しながら、敵への対処法、どのルートから攻略するか、様々な事を二人で喧々囂々と遊んだと懐かしそうに語った。
「このゲームは勇者一人に仲間が三人選べるんだ。勇者は交代で俺か裕樹、仲間の一人もどっちか交代で、後の二人は女キャラにして、それぞれが当時好きだった子の名前を入れたんだ。そうやって秘密の共有もした」
「沢山の思い出が詰まっているんですね」
佐助の言葉に嬉しそうな顔で広瀬は頷いた。
「今思えば狭い世界さ、だけど俺達二人にはどこまでも広がる世界が見えていた。ゲームだけじゃない、どこでどう遊んでいても、二人ならどこまでも行けて、どんな敵にも負けないと本気で信じていたんだ」
カセットを愛おしげに撫で、広瀬は思い出に耽る。そんな様子を見て、浪漫が口を開いた。
「どうしてそのカセットを手放す事になったんだ?」
「手放したと言うより、手渡したんだ。裕樹が両親の仕事の都合で、遠くに引っ越してしまう事になった時、俺は友情の証としてこのカセットを渡した。どんなに離れていても友達だった事を忘れないようにって、二人で約束したんだ」
そこまで言って広瀬は少し表情を暗くする。
「だけど、それも最初の内だけさ、手紙のやり取りや通話なんかも、その内どちらともなく止まってしまった。俺も学業に部活に、新しくできた友人や、日々色々な事が滝のように流れ落ちてきて、いつしか裕樹との思い出も過去になってしまった」
どれだけ仲が良くても、いつか別れの時がきて、いつしかそれが過去の思い出となってしまう、あの時見えていた無限に広がる世界は、案外ちっぽけで息苦しいと気付いてしまった。そう寂しそうに広瀬は語った。
「でも、どうしてこれがここにあるんだ?」
「さあ、私には分かりかねます」
「分かりかねますって、じゃあどうやってこれを手に入れたんだ?」
広瀬の意見は至極真っ当だった。しかしその疑問に佐助が答える事はない。
「この店を出た後、ご本人に確認を取って見るというのはいかがでしょう?私が説明するより、よっぽど納得できて、信頼できるというものです」
「確かにそれはそうかもしれないが、もうどうやって連絡を取ったらいいのか分からないぞ」
「ご心配には及びません、ご友人の実家の電話番号は変わっていません。あなたが登録してある番号に電話してみてください」
何故そんな事が分かるのかと、問いかけようと思ったその時、ふと時間が気になって時計を見ると、もうそろそろ移動した方がいいタイミングになっていた。色々と疑問は残るが、懐かしい思い出に浸る時間は悪くないと思った。それに些細な事でも切っ掛けがないと動きにくくなってしまった自分がいるのも事実だ。これを機に昔の親友に連絡を取って見るのも悪くないかもしれない、そう広瀬は思った。
「分かった取りあえず礼を言うよ、ありがとう。存外楽しい時間を過ごさせてもらった。これをきっかけに裕樹とまた話せるかもしれないしな」
「お気をつけてお帰りください」
「達者でな」
広瀬は佐助と浪漫に別れを告げて店を出る。時間に余裕はあるが、不慮の事態に備えて早めに行動しようと、広瀬は急いで歩き始めた。急いでいた広瀬は気付かなかったが、今まさに出てきた筈の店は跡形もなく消えていて、そこは売りに出されている空き地だった。
「広瀬さんショックを受けないかな?」
佐助が浪漫に問うと、浪漫は自分の毛づくろいをしながら言った。
「知らぬより知った事が良い事もある、逆も然りではあるが、思い出の中に溶けて消えていくのは少し物悲しいではないか」
広瀬は仕事を終えて帰宅し、カセットを手に持ちながらすぐに電話をかけた。
「もしもし?」
電話口の向こうでは、懐かしい女性の声がした。
「おばちゃん、こんばんわ。覚えてるかな、昔裕樹とよく遊んでた隆だけど」
「あら、隆ちゃん!?まあまあ随分久しぶりね」
裕樹の母に覚えていてもらった事に、少し嬉しくなって声が弾む。
「突然でごめんね、でも今日懐かしい物を見つけてさ、それでどうしても裕樹と話がしたくなって電話したんだ。裕樹居るかな?」
少し間が空いたので、広瀬はどうしたのかと思う、そして裕樹の母から告げられた事柄に大きな衝撃を受けた。
「ごめんね隆ちゃん、裕樹はつい最近亡くなったの。実はあの子隆ちゃんから貰ったゲームカセットを見つけて、連絡を取ろうとしていたんだけど、病状が悪化しちゃってね、ついには連絡が取れないまま…」
裕樹の母のすすり泣く声が小さく聞こえてきた。広瀬も呆然としたまま、突然の別れに動揺が隠せなかった。しかし広瀬は震える声で裕樹の母に話し始めた。
「おばちゃん、俺有給取ってそっちに行くよ。裕樹とちゃんと話してお別れしないと、きっとあいつも俺を待ってると思う」
広瀬は日取りの約束や場所の確認をして電話を切った。ベッドに寝ころんで天井を見上げていると、視界が潤みぼやけて仕方が無かった。止めどなく流れる涙を拭く事もせず、ただただ裕樹の事を想い涙を流すのだった。
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