第5話 娘と父②
「領主様が誤った賞金首を認定してしまったお陰で、私は危うく親友の大事な人を手にかけてしまうところでしたわ」
「なに? わしがいつ何を誤ったと?」
父とは呼ばずに領主と呼んだ娘。2人の間に流れる不穏な空気の元を作っているのは俺だ。堪らずヴァレットに目をやると全ては自分に任せろとでも言う様に小さく頷くと語り始めた。
「ろくに調べもせず濡れ衣を着せられた者を賞金首として認定してしまったのではありませんか?」
「なんだと?」
「領内で起きた事件を永く解決しなければ領主の無能が問われます。しかし、冒険者達に解決を委ねる仕組みを作ってしまえば領主が何もしていないわけではない。そして解決が遅れた時に無能と思われる的は冒険者にすり替わる。賞金首制度にはその様な効果もあるのでしたわね?」
「ヴァレット……。政には全くの無関心と思っていたがどうして」
饒舌に小難しい事を言ってのける娘の姿を見て明らかに動揺の色を隠せない様子の父親がいた。その姿を一瞥するとヴァレットはグラスの赤ワインを一気に飲み干して舌なめずりをしてみせた。
「ですから、面倒そうな案件は忙しさにかまけてよく調べもせずにどんどん賞金首案件にしてしまった方が早い。栄誉あるルデット侯爵家がその様な有様でよろしいのでしょうか? 私はその跡取りとしてお尋ねしたまでです」
「偉そうにわしに政を説くとは! ん? いや待てよ……。今何と申した? 跡取りだと? ヴァレット、ようやくお前も侯爵家を継ぐ気になってくれたのか?」
「条件がございます」
父親はそれに応じるとも応じないとも答えなかった。僅かな時間だが父親の顔色を窺っていたヴァレットは恐らくこのまま押し切れると踏んだのだろう。口元に笑みを浮かべると言葉を続けた。
「この賞金首は私に殺させて下さいませ」
鉄の刃で肉を切る小さな音が聞こえる。それに添えられるかの様にゆっくりとしたチェロの音が響いていた。何という曲目かは知らないがリデルの奏でるそれは実に美しい音色で耳に心地よかった。テーブルの隣にいるヴァレットがナイフで切り分けた鹿肉のステーキを口に運んだ。
「お父様、私の親友であるリデルの演奏はいかがです?」
「ああ、実に素晴らしい。お前にこんな友がいたとはな」
『カメの円舞曲』を奏でている時とは明らかに違うリデルの楽士としての腕前。恐らく事情を知っているであろうヴァレットの耳元で小声をたてる。
「リデルはどうして急に腕前が上達したんだ?」
「その様子だと戦いの中での魔奏しか耳にした事がないのでしょう? 魔奏は魔力をコントロールしながら効果をぶつける相手をイメージしてやるものらしいの。だから音を奏でる事だけに集中出来ない」
「急に上達したんじゃなくて本来のリデルの実力を出しているだけか。それがあそこまで酷くなるとは魔奏士がそんなに難しい職だったとは……」
「少なくとも私には出来ない。そうね、あのナリスならば絶対に無理な職ね」
今頃酒場でくしゃみでもしているであろう脚の剣聖の姿を思い浮かべながらは俺は無意識に頷いていた。
「ヴァレット、何をこそこそ話しておる?」
「そんなのお父様の悪口に決まっているでしょう」
それからヴァレットは親友であるリデルと俺がどの様な経緯で同行する様になったかをかいつまんで説明し始めた。
「このティルスが事件を起こすのはそもそも不可能ですわ。だって、あなたとずっと一緒にいたのでしょ? リデル」
少女達の誘拐事件は1カ月ほど前からこの領内で起き始めたらしいのだが、その頃と言えば追放者の楽園カモミ村でリデルと出会い旅に出た時だ。王国の北の果てから約260kmは離れているであろうプアルの町へ瞬時に移動でも出来なければ無理な犯行だったのだ。
「ふむ、お前の親友が証人とな。で、濡れ衣をかけられた者を殺すとはどういう事なのだ?」
「ティルスは魔族に命を狙われているらしいのです。幸いにも2回とも退けた後、今度は賞金首として人間からも狙われる存在になるなんてちょっとタイミングがよすぎませんかしら」
「うむ」
「魔族がティルスを恐れたのか? それとも見失ったから網として使いたいのか? それはわかりませんが取り敢えず人間をけしかけてみるのに賞金首制度を利用した」
「なに!? では、わしは魔族に騙されたと」
「そうかもしれない、というお話をしているだけですわ。ティルス、あなたは魔族を躊躇なく斬れるのでしょうけど人間はどうかしら?」
「斬るには相応の理由が必要だ。俺が殺されるのを防ぐ為だけに相手を殺す事はまずないだろう、気を失わせる程度で充分だ」
「そうするとずっと狙われ続ける存在になってしまいますわね。ですから、そうならない様にするには既に討伐されて死んだ事にしてしまえばいいのです!」
ヴァレットがそう言い放った直後、辺りの空気が凍り付いた様な感覚になった。誰も頷きもせず首を横に振りもせずの時間が流れた。
一呼吸の間ほど考え、その手は悪くないと思った俺が静かに頷こうとした時、それより早くルデット侯爵が口を開いた。
「わしが承認した賞金首だ。取り消すという手もあるが」
「いえ、ここは是非とも死んでもらいましょう。ティルス、魔族にも死んだと思わせて油断してもらった方が都合がよいのではございませんか?」
ヴァレットも気付いていた。悪くない手と思った利点がそこにあった。一方的に追われるだけの立場を解消して身を隠して向こうに迫れる反転の機会となるかもしれない。俺は静かに頷いた。
「ああ。死んだところで困る者はいないから大丈夫だ」
その時、弦を大きく弾く音が大広間に響いた。それまで続いていたリデルの演奏が急に中断された事に気付いて皆がそちらに目をやる。
「私は困ります!」
チェロを持つ手を震わせ瞳から涙をこぼしながら俺を見つめていた。
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