貧乏貴族1
はんどれーる
第1話 朝
少女は寝ぼけているのか、日の光が差し込む部屋を出ようと左手でドアノブを握り、ドアノブを握ったまま前進し頭をドアに打ち付ける。
いてっ、と可愛い声が漏れる。
寝癖でぴょんぴょん跳ねている、ブラウンに近い色のブロンドの長髪を右手で押さえつつ、ドアを開けて自分の部屋を出る。
大きく開けた口に手を当てて欠伸をかきながら階段を下りる。
一歩一歩、ぎしぎしと階段を下りるたびに木のきしむ音がなる。
ぼけっと、寝ぼけ眼のまま二階から一階へと降りていく。
階段を下りると日当たりの良いリビングがある。
窓は外の路地の景色が映り、朝から昼にかけて明るい日が射す。
リビングの窓際に、丸い木製のぼろくがたがたの焦げ茶色のテーブル一台と、ぼろい木製の椅子が二つある。
彼女はリビングでその椅子に腰掛けている兄に言った。
「ごきげんようですわお兄さま……」
彼女――リア・グレイシアは、特に理由はないが朝は気が抜けていて眠かった。
しかし、気の抜けた彼女とは反対に、兄は朝から元気そうだった。
兄はイケメンでスタイルも良い。少しクセのある金髪。シンプルな白いブラウスに白いキュロットを自然に着こなしている。
微笑みかける笑顔はやさしげで、キラキラとした高貴な感じを受ける。
慣れない女性がこのしぐさを受けると即倒ものだ。
倒れずとも頬を赤らめ、声を上げることぐらいはするだろう……、という自信が妹にはあった。
もし貴族のパーティーにいても違和感がない。
ご婦人方、淑女の方々からのアプローチも引く手あまただろう……、とも妹は思っている。
しかし、兄のすべてがここでは場違いなのだ。
ここには忠信なメイドも腕のいい料理人もいない。
よくわからない貴族風ニートの兄と、容姿平凡平均スタイル平坦な一般人の妹との二人暮らし。
生活費は妹が飲食店で稼ぐ月収約五百ゴールドのバイトの収入。
豪華な家具も芸術作品も装飾もない、ただただ、普通の平民が暮らす家賃月三百ゴールドの二階建ての借家だ。
美形だけが取り柄の彼女の兄。
彼の目の前のテーブルの上に、年季の入った木製のマグカップと、年季の入ったくすんだ銀色のベコベコしたやかんが置かれている。
木製マグカップとベコベコのやかんの中には、水を沸騰させただけのお湯が入っている。
窓から射す日の光に当てられた彼は、静かに木製マグカップを口に当て、優雅にお湯を飲む。
カップの口縁はがたがたに削れていて飲みにくそうだった。
兄――ユリウス・ロップス・グレイシアの澄んだ美声が響く。
「おはよう我が妹よ。丁度お茶が沸いたところだ。一緒にどうだ?」
訝しげに見つめる妹。
「お湯ですわ。水を沸騰させただけの液体のことですわ」
真心込めて沸かしたお湯も優雅な心も、彼女の冷めるほど冷たい声と目が、兄の優しさと気遣いに突き刺さる。
ははは、と意に介さず兄は続ける。
「お茶も元をたどればH2O、水と変わらない。そこに葉っぱが入っているか入ってないかなんて小さな違いだろう?」
「ええ、大きく違いますわ」
兄は無言で天を仰いで右手で目を覆った。
「やられたな……」
「誰もやってませんわ……」
しばらく間の空いた後、兄は天を仰いでいた顔を戻し、再び木製マグカップに入ったお湯を飲んだ。
温もりを感じるように木製マグカップを両手で包み込むように持ち、兄は一呼吸して言った。
「公房筆を選ばず、ということわざを知っているか妹よ?」
「さぁ、知りませんわ」
兄は木製マグカップから視線を外さない。
日の光で輝き揺らめくお湯を見つめて続ける。
「本物は道具の良し悪しに関係ないということだ」
「正真正銘お湯ですし、そのマグカップはバイト先で使わなくなったのでタダで頂いた品物ですわ」
「業務用は丈夫だからな」
優しいまなざしで、タダでもらった使い古された木製マグカップを見つめる兄。
じっとりとした目で白いブラウスを着た貴族風ニートを見つめる妹。
はぁ、と彼女はため息を吐き、肩を落とす。
テーブルに顔を向ける兄に近づき、平坦な胸を張り左手を腰に当て、やれやれ……、と口を開いた。
「お兄さま、いい加減貴族ごっこはおやめくださいですわ。そのマグカップもやかんもエルテス王国のマドワーヌ産のブランドヌワールのティーセットでもなければ、注がれているお湯は高級紅茶のゴゴノカーディンでもありませんわ」
テーブルの上のベコベコのやかんと、兄が手にもつ木製マグカップと、静かで穏やかな兄の顔を順に指差し、彼女は続けた。
「私たちが当面直視しなければならない問題は、残り九ゴールドでお給料日まで生活しなければならないことですわ」
ほっぺを可愛く膨らまし、兄に顔を近づける。
彼女は静かで端整な兄の顔をじっと睨む。
ふっ、と瞳を閉じて鼻で笑い、左手を振って兄が言った。
「蛙の物まねはよしてくれたまえ!」
「してませんわ!」
怒りで頭を掻き毟る彼女の、キィィィィという歯軋りの混じった叫び声が響き渡る。
ひとしきり叫んで落ち着きを取り戻す。
荒い呼吸を整えるように彼女の肩が激しく上下している。
「落ち着いてお茶でも飲みたまえ妹よ」
兄はやかんのお湯を空の木製マグカップに入れて彼女に渡した。
彼女はそれを受け取って飲み干す。
「お湯ですわ!」
ガンッ、と泣きながら激しく木製マグカップをテーブルの上に叩き置いた。
「妹よ、プライドを持て。持てない奴は置いて行く」
「置いていかれた奴の台詞と顔じゃありませんわ……」
ドヤ顔の兄を直視できずに顔を両手で覆って泣く妹。
「しかしあれだな、蛙も調理次第では意外といけるものだな」
兄はそう言いながら胸ポケットから白いハンカチをさっと取り出し、涙する彼女に手渡した。
鼻をすすりながら彼女は小さくお礼を言って、兄の白いハンカチを受け取り涙を拭う。
彼女は鼻声でバイト先で培った知識を披露する。
「蛙料理が一般的な地方だってありますわ。ここ<ロードネス領>では蛙料理は馴染みはありませんが、最近は<サンハイト領>と<アーリアン領>の共同で、領境の<メケト大河>で養殖実験だって行われてますのよ。一般的な味付けはガーリック、ジンジャー、醤油、塩コショウで下味をつけて片栗粉をまぶして揚げる唐揚げですわ。作り方も学術ギルド発行の<王国料理レシピ百選>に取り上げられていますわ。それぐらいポピュラーですのよ。お金がなくて食べる物がなければ、知識と工夫次第でお腹は満たすことはできますわ」
へぇ、と兄が顎に手を当てて言った。
「また食べたいの?」
「その辺で捕まえた蛙なんて生臭くて二度と食いたくないわ!」
昨日の晩、その辺の川原で採取して調理したとてもまずかった蛙のから揚げの味を思い出し、渾身の怒りを込めてハンカチをパンッと、床に叩きつけ、彼女が目を見開いて鬼の形相でそう叫んだ。
はぁはぁ、と息を切らす。
ぎゅっと目を瞑り額に手を当てて、よろめきながら兄から背をむけて、彼女は言った。
「もう、着替えてバイトに行く仕度をしますわ……」
疲れて肩を落とし、彼女は顔を洗う為、洗面台へ向かった。
兄は洗面台へと向かって行く彼女のよろよろと歩を進める後ろ姿をしばらく見守った後、ため息を一つ吐いた。
彼はテーブルに左肘を着き頬杖をついて、明るい窓の外をずっと見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます