01-10:「死ぬな、ミロ!!」
汎銀河帝国近衛軍艦隊所属オデッセウス級超大型戦艦ロゴス。
それは皇帝グレゴールの御座艦でもあった。
戦艦ロゴスは巡幸航海を終えて首都星系へ向かっている最中。
艦内時間の深夜だというのに、皇帝グレゴールは自室でワイングラスを傾けながら椅子に座り、目の前の巨大ディスプレイを眺めているだけ。
豊かにたくわえた顎髭には白いものが混じり始め、深く刻まれた皺には長年の労苦が染みこんでいる。
そこにいるのは戦乱を好む狂気の独裁者ではなく、老いを自覚せざる得なくなった一人の男だった。
インターフォンが鳴り、待ち人が来た事を告げる。
「皇帝陛下。オイゲン・クラウス大公がいらっしゃいました」
「入って貰え」
「はい」
インターフォンの向こうで警備の兵士がそう答えると同時にドアが開いた。
警備兵と共に軍服を豪華に飾り付けた年配の男が入ってきた。グレゴールよりは十歳程は年上だろうか。皇帝が目配せすると警備兵は敬礼して下がりドアも閉じられた。
オイゲン・クラウス大公は皇帝の前に跪き言った。
「皇帝陛下にあらせられましてはご機嫌麗しゅう……」
「止めてくれ、兄上」
皇帝グレゴールは苦笑した。
「ふははは、たまにこうしないと公の場でボロが出てしまいそうでな」
オイゲンも皇帝に笑い返した。
オイゲン・クラウスは皇帝グレゴールの異父兄。
かつてオイゲンの父はベンディット公爵に仕えていた。オイゲンが十歳頃に父は亡くなり、やはり妻を亡くし子もなかったベンディット公爵と再婚したのだ。
オイゲンはクラウス家を継ぐ事を選び、母とベンディット公爵の間に生まれたのがグレゴールである。
「タンクル空域の制圧は無事に終わったようでなによりだ。兄上」
グレゴールはそう言うと皇帝自ら注いだワイングラスをオイゲンに差し出した。
「うむ、終わってみればどうという事も無い連中だったな。いささか気を回しすぎたようだ」
ワインを水のように飲み干すとオイゲンはそう言った。
「わざわざ兄上の近衛第一艦隊に出張ってもらう事も無かったか」
そういう弟にオイゲンは自分でワインのお代わりを注ぎながら答えた。
「いや念には念を入れるに越した事はない。気軽に頼んでくれ。何しろ俺はお前の影だ。皇帝の名で軍に命令できぬ仕事をやるのが俺と近衛軍だからな」
豪放磊落なオイゲンと知性派のグレゴールは、父が違うとは言え妙に気が合った。グレゴールは皇位を簒奪する際にも、オイゲンは協力を惜しまず、前皇帝を放逐した後は近衛軍を任されるようになったのだ。
「それで兄上。私に直接伝えたい事とはなんだ?」
兄に椅子を勧め、自分も座り直してからグレゴールはそう尋ねた。
「うむ」
三杯目のワインを傾けながらオイゲンは言った。
「ナーブ星域で偽辺境泊マクラクランが討たれたという話はお前も知ってるだろう」
「ああ、シュライデン家がやったという報告が来ている。見返りにナーブ星域の統治権を与えたが、あれは虚偽であろうな。シュライデンにナーブまで遠征する理由がない」
「ああ、嘘だ。あれをやったのは、何者かが拉致したものの逃げられた皇子ミロ・ベンディットと、現地のナーブ星域に住む少年らしい」
ミロか。シュライデン家が送り込んだ側室と自分の間に生まれた子という事は、さすがにグレゴールもすぐに思い出せた。
だがそれ以上の印象はない。ミロを産んだ側室の名前すら思い出せないが、その後、何か騒動があったような覚えはある。しかしいま気になるのはオイゲンの言う現地に住む少年の事だ。兄が報告したいというのは、ミロよりもその少年なのだろう。
「マイルズの孫だ」
出し抜けにその名を口にするオイゲンにグレゴールは口元が緩んだ。
「ほぉ……。久々に聞く名だ。元帝国市民議会議員ヴィンセント・マイルズ。あの男の孫か」
「そうだ。面白いだろう?」
ワインを注ぎながらオイゲンは笑った。
「ああ、久々に面白い話を聞いたな」
そして兄弟は酒を酌み交わした。
◆ ◆ ◆
頼んだぞ、アルヴィン。
接近してくるあの船団はきっと僕を探しに来た大貴族のものだろう。もう少し早ければ、僕から君を推薦する事も出来たのに……。
残念だよ。
でも君は僕の為の力を存分に使っていい。だから僕たちだけではなく、今の世界を混乱と戦いに引き込んだ皇帝グレゴールを倒してくれ。
そして妹を……、ルーシアを守って欲しい。あの子をひとりぼっちにしないでくれ。
それが僕の、ミロ・ベンディットの最後の頼みだ……。
頼んだぞ、アルヴィン……。
「ミロ! 死ぬな、ミロ!!」
今は亡き親友の名を叫んでアルヴィンは飛び起きた。
周囲を見回してようやくここが惑星エレーミアの自宅ではなく、シュライデン家所有の装甲客船『シラキュース』の自室だと思い出す。
三年前、惑星エレーミアに墜落した宇宙船。そこに乗っていたのはアルヴィンと瓜二つの少年だった。
少年は自分の名前がミロ、そして持っていた写真の少女が妹ルーシアだという事以外、個人情報に関する記憶がすっぽりと抜け落ちていたのだ。
戦乱の帝国中央部から辺境に避難してきた腕利きの医師は、何者かが洗脳を試みて失敗したと推定していた。
アルヴィンの戦術、戦略はほぼ全てがミロからの受け売り。ミロは個人情報以外の記憶は残っており、ことに戦術、戦略に関しては年齢以上に高いレベルの教育を受けていたのだ。
「くそ……、駄目だ。ミロ。俺はお前になる事は出来ない。いつまでもお前を演じるだけだ……」
アルヴィンは寝汗で濡れたベッドから立ち上がり、何気なく枕元にあるディスプレイのスイッチを入れる。
『シラキュース』の運行状況を知らせる為のものだが、そこにはリープストリーム内の光る筋雲で無く、星々をバックに巨大な独楽のような形をしたものが映っていた。
すでに『シラキュース』はリープストリームを出て、その独楽のような宇宙船へ向かっているようだ。表示を見るとかなり拡大されている。到着にはまだしばらく掛かるだろう。
「あれが『
アルヴィンはそうつぶやいた。そこに着いたら最後、彼はもはやミロ・ベンディットとして生きて行かざる得なくなるのだ。
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