第106話 「もう、心配性なんだから」

 きらびやかな世界でも、その一つになってしまえば、気にならなかった。デビュタント用に購入したドレスやアクセサリーは、どの令嬢方にも引けを取らなかったから。


「本日は招待していただき、ありがとうございます」


 目の前にいる初老の男性に向かって、軽い挨拶をする。カーテシーをするほど、余裕のある場ではなかったからだ。


「ようこそ、我がドゥルマ伯爵家へ。あの幼かったマリアンヌ嬢のデビュタント姿を見られて、こちらこそ感謝を述べさせてほしい」

「そんな。長らくご無沙汰しておりましたのに」

「いいや。カルヴェ伯爵家とは、古くからの付き合いだというのに、何も力になれなかったのが口惜しくてね。これくらい、当然のことだよ」


 去年、いやその前からのことを言っているのだろうか。ドゥルマ伯爵は思い出したのか、目にハンカチを当てた。

 もしかしたら、お母様が亡くなった五年前まで遡ってしまったのかもしれない。


「……今日は若者たちを多く招待したから、楽しんでいってくれ。君も伯爵になるのだから、交流を深めると良い」

「感謝痛み入ります」


 エリアスへの心遣いも忘れない。

 お母様のことも含めて、ドゥルマ伯爵という人となりに感銘を受けた。


「とても良い方なのね、ドゥルマ伯爵様って」


 挨拶が終えたのを見計らって、そっとエリアスに話しかけた。


「そうでなかったら選んでいない」

「え? でも……」


 ここを選んだのはレリアだ。社交界にうとい私のために、推薦してくれたのだ。

 ここならレリアも参加できるから、と。


「レリアが事前に旦那様に連絡していたんだ。フィルマン殿下も同席する場だからどうしてもな……。ごめん。騙すような真似をして」

「ううん。私こそ失念していたわ。警備の問題とか、色々あるものね」

「あぁ。それも含めて引き受けてくださったんだ、ドゥルマ伯爵様は」


 古くからの付き合いと言っていたから、そこら辺の融通が利いたのかな。


「ん? どうやら来たようだ」


 音楽が鳴り止み、辺りを見渡せば、皆が同じ方向を見ていた。


 階段の上。オレンジ色の髪の男性と青い髪の女性が腕を組んで降りてくる姿を。

 そう『王子』のフィルマン・ヨル・バデュナン王太子殿下と婚約者のレリア・バルニエ侯爵令嬢だ。


 紺色の衣装と、淡い黄赤色のアプリコットのドレス姿。それぞれお互いの色と思わせるような装いだった。


 階段から降りると、ドゥルマ伯爵が前へ出て挨拶している。そうしている内に、いつの間にか二人を中心に人だかりができていた。


 エリアスは私を庇うように肩を掴み、壁の方へと移動する。


「こういうのも給仕をしていたから?」


 人だかりを眺めながら、素朴な疑問を投げかけた。


 もしもエリアスがいなかったら、人並にのまれて大変な惨事を引き起こしていただろう。

 前世で見た漫画のように、人波に押し流された挙句、抜け出したと思ったら、後ろではなく前。それも王太子であるフィルマンの御前に。


 今はレリアがいるから、助けてくれるかもしれないが、悪目立ちすることこの上ない。さらに、もみくちゃにされたことによって、髪やドレスは見るに堪えないだろう。


「王太子殿下が参加される舞踏会は、だいたいこんな感じだからな」

「そっか。レリアの様子を見るためだったのね」

「……ケヴィンからの話で、被害は舞踏会が多いと聞いていたから、旦那様に頼んでこっそり入れてもらったんだ」


 そういえば、『アルメリアに囲まれて』でも、ロザンナの取り巻きたちから嫌がらせを受ける場面があったっけ。


 フィルマンが席を外した瞬間を見逃すことなく、ドレスにワインをかけたり、転ばせたり……。

 それだけならまだしも、イヤリングを盗られたと嘘をついて評判を落とすこともあった。


 お茶会よりも舞踏会の方が、人の目に触れやすかったからだ。


 そういう点から、エリアスルートでも少なからず、嫌がらせはあった。ロザンナではなくオレリアの手によって。


「今もまだあるの?」

「さぁな。回数をこなせば、レリアも上手く対処できるだろう。それに今は王太子の婚約者だ。やろうと思えば、どんな手だって使える」

「そうね。レリアは侯爵令嬢でもあるわけだし。危うい伯爵令嬢とは、立場が全く違うもの」


 皮肉を言ったつもりはなかったんだけど、エリアスの眉間に皺を作ってしまった。


「今は危うくもないが、何があるか分からない」

「だから離れるなって言ったの? もう、心配性なんだから。大丈夫よ」


 私が被害に遭う要素なんて、どこにあるのよ、と口に手を当てて笑ってみせた。すると、さっきまで聞こえていた周囲のざわめきが、突然大きくなった。


「何か楽しいことでもあったのか。私たちも混ぜてもらえないだろうか」


 視線を前に向けた途端、紫色の瞳が細くなる。口角も上げるフィルマンに、思わず後ろ後ろと叫びそうになった。

 何故ならその肩越しに、あの人だかりを作っていた紳士淑女の皆さま方がいたからだ。


「私の婚約者が可愛らしかったので、思わず揶揄からかっただけなんです」


 ちょっ、エリアス!? こんな人前で何を言うの!?


「そうですね。今日もマリアンヌ嬢は可愛いですから、その気持ちはとても分かります」


 レリアまで何を言い出すの!?


「二人ともやめたまえ。今日、デビュタントを迎えるマリアンヌ嬢を揶揄からかうのは」

「申し訳ありません。この間の二人の婚約式で、あまりお話しできなかったものですから、つい」

「そうだったな。私も直接、祝えなかったのだ。改めておめでとう」

「ありがとうございます」


 膝を曲げてカーテシーをする。今は皆が場所を開けてくれているため、逆にしない方がおかしかった。


「して、君たちはいつ結婚式を挙げる予定だ?」

「二カ月後です」

「急だな。しかし、ちょうど良かった」

「何がでしょうか」


 エリアスの戸惑った声が聞こえる。


「私たちは半年後を予定していてね。それを機に、側近を一新しようと思っているんだ。その一人にエリアス、君になってほしい」

「殿下、本気だったんですか? ただのお戯れかと思っていたんですが」

「いいや。それにマリアンヌ嬢もまた、レリアの侍女として、王宮に上がってもらいたいと考えている。どうかな、悪くない話だと思うんだが」


 いやいや。悪いって。


 確かにエリアスは『アルメリアに囲まれて』でフィルマンの側近をしていた。

 だから虐められているマリアンヌを助けるのは、決まってエリアスだった。フィルマンがいない時の話だけど。


 でも、私まで王宮勤めなんて……!


「ダメでしょうか。私はこの通り、出自が良くないので、社交界で仲良くしてくださっている方は、とても少ないんです。けれどマリアンヌ嬢とは、長く手紙のやり取りをしていますから、なってくださると心強くて」

「ありがとう、レリア嬢。でも、私に務まるかどうか……」


 助け舟を求めて、エリアスに視線を向ける。


「マリアンヌと一緒ということは、行き帰りは共にして良いということですか?」

「勿論。こっちはそのつもりだよ」

「でしたら、お引き受け致します」


 エ、エリアス!?

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