第97話 「嬉しくない人間はいないと思いますよ」(エリアス視点)

 レリアの好きな場所? 聞くなら、もっと別のことがあるだろう。


 例えば、孤児院での生活とか。王太子ほどの人間には想像できない話を、普通は聞きたがるもんじゃないのか。


 わざわざ俺やマリアンヌの話をするくらいだ。孤児院時代の話は伏せているのだろう。


 まぁ、俺もマリアンヌに話したことはないし、聞いてこないからそのままにしていたが。

 その乙女ゲームとやらで、知って、いたのか……?


「すまない。おかしなことを聞いた」

「いえ、俺の方こそ失礼しました。その、答える前に、なぜそのような質問を選んだのか、聞いても構わないでしょうか」

「あぁ。……この間、ハイルレラ修道院へ行った時に思ったのだ。レリアとは王宮か、バルニエ侯爵邸でしか会っていなかったことに。勿論、首都で何回かデートはした。が、どれも評判の所にしか行っていないのだ」


 デートなのだから仕方がないだろう。

 俺だって金と時間があればマリアンヌと……。と、今はそういう話じゃない。


「……レリアも俺も、首都にある孤児院で育ちましたから、その選択は間違っていないと思います。評判の所ならば、尚更です。気軽に入れる場所ではありませんから。そんな憧れの場所に行って、嬉しくない人間はいないと思いますよ」

「そうだな。レリアも喜んでいた。だがな、首都を離れた時のレリアの顔が忘れられないのだ。あの穏やかな顔を」

「レリアが、ですか。なるほど。でしたら、お答えします」


 つまり、いずれ王太子妃、さらには王妃となるレリアの精神面を心配しているのだ、フィルマンは。


「あいつが好きなのは、華やかな場所です。よく下町の連中と、そういう場所へ行っていました」

「しかし、長閑のどかな場所や、素朴な街に着いた時は……ホッとした表情をしていたぞ。まるで懐かしんでいるかのような、そんな表情だった」

「そりゃ、緊張する日々を送っていれば誰だってそうなります。だから、色々な場所に連れていってやってください。元々、出歩くのが好きな奴なんで」

「どこでも、いいのか?」


 不安そうに尋ねてくるフィルマンを見て、俺はクスリと笑ってみせた。


「はい。初めの内は、どこへでも。華やかな場所から静かな場所まで、連れ回してやってください。その後は、レリアの様子を見ながら選べばいいんですよ。多分、その方がレリアも喜ぶと思います」

「な、なるほど。そうか。好みを逆に知っていくのもあり、ということか」

「あいつの好みというより、俺のやり方で申し訳ないんですが」

「いやいや、君はレリアと共に育った。という意味では、幼なじみに近い存在だ。とてもありがたく思う」


 幼なじみ、か。


「いいえ。俺も良い報告ができそうです」

「ん? まだ馴れ初めについては話していないんだが」

「報告書を読めば、だいたいのことは分かるかと」


 そう言うと、フィルマンはフッと笑ってみせた。


「いいや。あの出会いまでは予測できないだろう。いくら君でも」

「そんな突拍子もない出来事なんですか? もしくはレリアが失礼なことでも?」


 礼儀作法を習ったとはいえ、生まれた時から貴族社会の中枢にいた人物相手に粗相を仕出かさない、とは考え辛かった。


「失礼というなら、私の方だな。あの日、虫の居所が悪くて、レリアを捕まえてしまったのだよ」

「待ってください。それは殿下を不快にさせる、何かがあった、ということですか?」


 その前提がなければ成り立たない話だ。


「すまない。言葉が足りなかったな。不快な出来事は、レリアと出会う前に起こっていたのだ。私の……元婚約者であるロザンナの父親、ジャヌカン公爵がしつこくてな。公爵邸に来てほしいと何度も催促しに来ていたのだよ」

「そうだったんですか。俺はまだ、その辺の事情をよく知らないので……」

「ふむ。では、私の婚約が幼い頃に結ばれた理由は、想像できるかい?」


 突然投げかけられた質問に、俺は戸惑った。

 よく聞くのは、家同士の政略結婚。しかし、相手は王家だ。


「政略結婚以外にもある、ということですか?」

「その通り。私の後ろ楯となる家門の選出も兼ねているのだよ。国民の、いや、貴族の支持がなければ王位に就くことはできない。そのための後ろ楯だ」

「でしたら、邪険にするのは得策ではないと思いますが」

「ジャヌカン公爵が私を傀儡くぐつにしようと企んでいてもかい?」


 王子を傀儡?


「ロザンナは、ジャヌカン公爵の小型版と言ってもいい女性でね。考え方が似ているせいもあって仲が良く、父親のいいなりにもなっていた。いや、そのように育てられたのだろう。幼い時から、王妃になることを疑ってはいなかったからね」

「つまり、彼女を通して殿下を操ろうと?」

「そう企んでいた。だから、公爵邸になど行きたくなかったのだよ。とはいえ、他に後ろ楯となる貴族もいなくてね」

「イライラしていたところにレリアと出くわした、というわけですか」


 運が良いのか悪いのか、分からないな。


「それも捕らえた挙げ句、暴言まで。八つ当たり以外の何ものでもない。何の非もない女性にするべき行為ではなかったと思い、後日お詫びに行ったんだ。バルニエ侯爵邸に」

「殿下が謝罪に?」

「相手の、レリアの名誉を傷つけるほどの行為をしたのだ。当然だろう」

「しかし、レリアは――……」


 生粋の貴族じゃない。


「彼女がバルニエ侯爵の養女だと、その時は知らなかったのだよ。でも、それが良かったのだと、今は思う。お陰で穏やかな日々を過ごせているのだからな」


 そう言って、フィルマンは東屋の方に視線を向けた。

 何を話しているのか、また楽しそうに談笑する二人の姿が、そこにはあった。

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