第81話 「スイートピーの押し花?」

 ハイルレラ修道院の中庭は、ここで生活をするシスターや修道女のいこいの場なのだろう。


 綺麗に整えられた芝生。花壇に植えられている植物の色合いは、どれも計算された美しさがあった。

 緑の中に映える、赤や黄、白の花々が並び。背の高い花と合わせた花壇も見受けられた。


 そんな花々に彩られた花壇の間に、等間隔に木が植えられていた。今は春だから、日差しが強くないけれど、夏は強い日差しが中庭を照らすのだろう。

 少しでもそれを抑えるために、植えたんだと思う。木の影がかかるのは花壇だけではなく、ベンチも含まれていたから。

 人も花も、強い日差しは体に良くない。そんな配慮がうかがえた。


 だから、エリアスは意外と近くにいたのだ。

 それも、隣のベンチのすぐ傍にある木の下。腕を組みながら背を預けている、その姿がまた絵になるものだから、嫌になってしまう。

 そう、まるで乙女ゲームのスチルのような光景だったからだ。


 全く関係がなかったら、そのまま眺めていたい、と思っただろう。しかし、私はこれから別の場所に行くよう、エリアスに言いに行くのだ。

 それもただ言うのではなく、説得だった。


「マリアンヌ」


 声をかける前に私の姿を捉えたエリアスは、嬉しそうに近づいてきた。

 多分、話が終わったのだと勘違いしたのだろう。


 気のせいかな。エリアスが大型犬のように見えてくる。

 思わず、待て! と言いそうになった感情を飲み込んだ。


「あのね、エリアス。お願いがあるの」

「……礼拝堂にも馬車にも行きたくない。行くならマリアンヌと一緒がいい」

「どうしたの? らしくないわよ、エリアス。オレリアが嫌なら、どうしてここに来ることを承諾してくれたの?」


 もう二年前のようなことは起こらない。馬車でそう言っていたじゃない。


「あの時は大丈夫だと思ったんだ。だけどオレリアを見ると、マリアンヌが蹴られたことや、毒を飲まされたことが、脳裏にちらついて」

「だったら余計、距離を置いた方がいいと思うんだけど」

「ダメだ。その間、マリアンヌに何かあったらどうするんだ。さっきだって、オレリアに抱き着いて。俺がどれだけ――……」

「抱き着くのが心配なの?」


 言っていること、おかしくない?


「いや、その……」

「エリアス?」


 距離を詰めると、小さな声で答えてくれた。それはもう恥ずかしそうに。


「……羨ましかったんだ」

「抱き着かれるのが?」


 口元を手で隠し、目線も逸らしながら頷くエリアス。


「ご、ごめんなさい。気がつかなくて」


 ちょっと恥ずかしかったけど、私はエリアスの背中に手を回した。


「いや、そっちじゃなくて」

「そっち?」


 どっち?


「体じゃなくて、腕がいい」

「え!」


 腕! あっ、確かにオレリアの腕に抱き着いた。でも、あれはオレリアだったからで。

 エリアスにするのは、ちょっと……恥ずかしい。


「ダメ?」

「そう、じゃない、けど……ここで?」


 今度は目で、同じ言葉を投げかけてきた。


「ここは、修道院だから、その、控えてって言われたじゃない。だから……」

「今、抱き合っているのはいいのか?」


 私はハッとなって、腕を離した。距離をとっても、エリアスはその矛盾を追求しない。


 多分、この場にいることが、エリアスの望みなのだろう。腕に抱き着いてほしいという要求は、二の次。


 あれもこれもはダメだよ、エリアス。


「分かったわ。首都に帰ったら、邸宅の庭を散歩しましょう。その、腕を、組みながら……」

「だから、要求を呑んでくれってことか?」

「うん」


 さすがは話が早い。でも、答えを出すのは遅かった。


 沈黙が、私たちの間を流れた。


 そんなに悩むことなら、取り消そうかな。我慢すればいいことだし、オレリアには説得できなかったって言えばいいのだから。

 今のオレリアなら大丈夫。許してくれるわ。多少のお小言はありそうだけど。


「礼拝堂」

「え?」

「礼拝堂で待っているから、終わったら来てくれ」

「うん。ありがとう、エリアス」


 譲歩してくれて、と微笑んだ。



 ***



「相変わらず甘いわね。色んな意味で」

「わぁ! いきなり後ろに立たないで、オレリア」


 エリアスの背中に手を振りながら、一仕事を終えた気分でいたからだろう。私はオレリアの声に驚いた。


「後ろじゃなくて、横よ。それに何? あんたも私を警戒しているの?」

「ち、違うわ。ビックリさせないでっていう意味!」

「そう。ならいいけど」


 オレリアはそう言うと、近くのベンチに座った。


「エリアスってあんたでも扱い辛いのね」

「やっぱりそう見える? 普段は頼りになるんだけど、ちょっと過保護というか。そういうところがあるの……」

「ふ~ん。私はパス。そんな面倒な男。だから安心しなさい。エリアスを狙うなんて、あり得ないんだから」


 これは、励ましてくれているのかな。


「何よ」

「ううん。何でも……じゃなかった。オレリアに渡したい物があったの」


 ニナに目線を送ると、鞄を渡してくれた。中から、ラッピングされた、長方形の包みを取り出した。

 包みとは語弊ごへいがあるかな。厚みがないから。


「これは?」

「プレゼント。といっても、栞なんだけど」

「開けてみてもいい?」

「勿論!」


 凄い! オレリアが。あのオレリアが私に許可を求めた。ヒロインの私に!


「もしかして、スイートピーの押し花?」

「う、うん。押し花にすると、咲いていた時と若干印象が変わっちゃうんだけど。一応、スイートピーなんだ」


 咲いている時は、ふわふわしていて可愛い花なんだけど、それをそのまま押し花にすることはできない。

 だから、乾燥したスイートピーを、咲いていた時のように置いて、リボンを付けてみた。花束のように見せたくて。


「どうかな。オレリアの髪が紫色だったから、スイートピーも同じ色にしてみたの。あと、花言葉がね」

「知っているわ。永遠の喜び、でしょ。そういう言葉は、あんたにピッタリよ」

「ピッタリじゃなくて、そうなってほしいっていう意味で、オレリアにあげたいの」


 何も似合う花ばかり、選ぶ必要はない。望んだっていいと思うの。

 オレリアに“永遠の喜び”を。悪役令嬢役との“別離”と、新たな“門出”を祝して。


「そ、そういうことなら、有り難く受け取るわ。……前の栞がボロボロになってしまったから」

「前のって、もしかして……」

「二年前に貰った、ゼラニウムの栞よ。あれ緋色だったでしょう。花言葉を知っていて選んだの?」


 緋色のゼラニウムの花言葉は憂鬱ゆううつだ。ゼラニウム自体は、尊敬や信頼だったから、できればそう受け取って欲しかったんだけど。


「うん。でも、オレリアに似合う色だと思ったから、ね?」

「……まぁ、そういうことにしておこうかしら」

「ははははは」


 私は笑って誤魔化した。あの時、エリアスにも言えなかったんだけど、そんな皮肉を込めていたなんて知られたら、ヒロイン失格だからね。



 ***



 オレリアへの用事を終えた私たちは、エリアスの待つ礼拝堂に向かっていた。


「ふ~ん。エリアスが養子にねぇ」


 その道中。今度は私の近況について話をした。


「オレリアは、エリアスが伯爵になるのは不満?」

「そういう意味で言ったわけじゃないわ。多分、そうなるだろうとは思っていたから」

「良かった。修道院に入ったからといっても、オレリアはカルヴェ伯爵家の一員だから。反対していたら、どうしようって思っていたの」

「……気にし過ぎよ」


 短時間だったけど、私とオレリアは、ヒロインと悪役令嬢ではなく、仲のいい従姉妹になれたように感じた。

 だから油断していた。このまま、何もかも上手くいくって、思い込んでしまったのだ。


「ここが礼拝堂よ」


 オレリアが扉を開けてくれる。その喜びのまま、礼拝堂を見渡した。


「……エリアス?」


 茶色い髪の青年の傍に、青い髪の女性がいた。それも、仲が良さそうに話している。


 ……誰、なの?

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