第60話 「様子を見に行かせて」

 キトリーさんから、お母様の幼少期からお父様と結婚するまでの、長いようで短い話を聞いた。

 あまり、時間が取れないことは、キトリーさんも分かっていたのだろう。かいつまんで話してくれた。


「聞きたくなったら、また来ればいいよ。私はいつでも待っているからさ」


 別れ際に、とても温まる言葉をかけられた。


 さすが乙女ゲームのヒロイン。愛されているなぁ。ううん。多分、私がお母様に似ているからだと思う。お父様もよく「イレーヌに似て」って言っていたから。

 キトリーさんも、私を通してお母様を見ていたんじゃないかしら。


 その気持ちのまま帰宅した私は、お父様の執務室を訪ねた。けれど忙しいらしく、ポールに入室を拒まれた。


 ほんの少しの時間でさえも会えないくらい忙しいのなら、と私は大人しく自室に戻った。

 その数時間後には、部屋にエリアスが来る。お父様には会えなかったけど、エリアスがいるもの。

 大丈夫。寂しくなんてない。


 けれど、いつも来る時間になってもエリアスはやって来なかった。



 ***



 なんで。どうして。これまで数十分の誤差はあっても、だいたいこの時間に来るのに……。


「エリアス……」


 一時間以上経っても、部屋の扉はノックされなかった。


 何かあったのかな。来られないくらい大怪我をしたとか。

 ううん。それならむしろ、誰かが連絡に来るはず。


 もしかして、浮気?

 ……これも多分違うと思う。昨日のエリアスの様子だったり、ケヴィンの話を聞いたりした中には、そんな可能性は微塵もなかった。


 じゃ、なんで。用事が長引いている、とか?


 どうしよう。様子を見に行こうかな。ダメダメ。お父様に禁止されているから行くのは……ダメ。


 でも少しくらいなら、と私は扉に近づいた。ドアノブに手を伸ばす。

 触れた瞬間、まるで静電気が発生したかのように手を引っ込めた。


 落ち着け。こういう時こそ、選択肢じゃない!


 1,ちょっとだけ出て、様子を見に行く

 2,テス卿に様子を見てきてほしいと頼む

 3,行く


 結局、部屋の外に出る選択肢しか出てこなかった。二番だって、テス卿の目を盗んで行くことだってできる……。

 ……一番くらいなら、お父様にはバレないわよね。テス卿は告げ口をするような人じゃないし。

 うん。そうしよう。


 再びドアノブに手を伸ばし、そのまま引いた。


「……お嬢様。この時間は……」


 扉から顔を出した私を見て、テス卿は驚かなかった。多分、テス卿もエリアスがなかなか来ないことに気づいているのだ。


 それもそうだ。テス卿は私の護衛で。エリアスに関することでは、監視の役割を担っていた。


 戸惑った様子のテス卿を見て、罪悪感を抱きながらも、私は体を前に出して扉を閉めた。


「お願い。ちょっとでいいの。ちょっとでいいから、様子を見に行かせて」

「……もう少しだけお待ちになっては如何ですか? エリアスはやって来ますから」

「宿舎まで行くつもりはないの。その先まででいいから、お願い」


 廊下を指差して懇願こんがんする。


「……私の目の届く所までなら」

「ありがとう、テス卿!」

「お嬢様! 走らないでください! 危ないですよ!」


 テス卿に注意を受けても、私は聞こえない振りをした。


 だって、こんなの走った内には入らないもの。


 小走りで廊下にある窓の外を、一つ一つチェックした。

 廊下は一直線。誰がどう見ても、エリアスの姿はない。探すとなると、窓の外を見るしかなかった。


 すっかり暗くなった外に、室内の明かりがわずかに差し込む。こちら側と向こう側の光で、中庭の草木が薄っすらと分かる。

 勿論、そこにエリアスはいない。私が見ているのは、その奥。建物だ。

 暗ければ暗いほど、漏れる光を通して建物の中が見えていた。

 それを頼りに前へと進んでいく。


 エリアス!?


 茶色い髪の男性の姿にハッとした。しかし、男性が横を向いた瞬間、落胆する。


 そうよね。邸宅内に茶色い髪の男性なんて、他にもいるもの。エリアスだけじゃない。


「マリアンヌ?」


 歩みを止め、窓の手すりに触れた時だった。名前を呼ばれて振り向くと、廊下の角にエリアスがいた。


「っ!」


 エリアスっ! そう名前を呼んだつもりだった。けれど、廊下に響かない私の声。代わりに聞こえたのは足音だった。


 駆け寄り、そのままの勢いで抱きつく。背中に回る温かい感触。聞こえる心臓の音。強く抱き締めていた腕が、安心と共に段々弱くなっていった。


 それでも互いの体が離れないのは、私の代わりにエリアスが引き寄せてくれたからだ。


「マリアンヌ、ごめん」


 私は首を横に振る。

 だって、エリアスの心臓の音が速かったから。息は切らしていないけど、急いで来てくれたことが分かる。


「とりあえず部屋に入ろう。ここだと他の人の目もあるから」


 エリアスは私の肩に手を乗せた。


 離そうとしている。その意図に気づいて腕に力を込めると、エリアスの手は肩から背中に回り、足へ。一気に抱き上げた。


 横抱きにしようと、持ち上げられた足の下にある腕が移動する。私はエリアスの首に腕を回し、再び首を横に振った。


 このままがいい、と無言で訴える。


「……分かった」


 十九歳になったエリアスは、さらに背が伸び、力も増したようだった。ちょうどお母様のことで、四年前を思い出したからかな。


 でも、言葉が出てこなかった。


 会うまで色々なことを考えて、色々なことを想像して、言いたかった言葉がいっぱいあったのに。


 エリアスのあの顔を見たら、全て吹き飛んだ。驚いた表情はしかたがないけど、私と同じように会いたかったと語っていたから。


 一日振りで、たった数時間過ぎただけなのに。こんなにも会えないことが、もどかしいなんて。

 ケヴィンにからかわれても、もう否定できそうになかった。

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