第59話 「ショックじゃないのかい」

「大丈夫なんですか?」


 ケヴィンとネリーが出ていった扉を見つめながら、私はキトリーさんに尋ねた。


「何がだい?」

「ケヴィンと言うか、なんと言うか……」


 ここで私がネリーの名前を出しても平気かな?

 まだちゃんとネリーの紹介を受けていない。でも、キトリーさんやケヴィンとのやり取りを見ていたから、大丈夫な気もするけど。


「あぁ、娘のことかい」

「はい」


 そう、それです!

 さっきの質問はケヴィンのことであって、ネリーじゃない。けど、ここも重要案件!


「ネリーのことなら心配いらないよ。ケヴィンがついているからね」

「もしかして二人は……」


 恋人同士ですか? と最後まで言えず、言葉を濁した。


 ちょっと見ただけでも、ネリーがケヴィンを好きなことは一目瞭然だった。

 マリアンヌという邪魔物がいないのだから、そういう関係になっていてもおかしくはない。私がケヴィンルートに入ることはないんだから。


「いや、ケヴィンにその気がない、と言われてしまってね。私としては、上手くいってくれた方が良いんだけどねぇ。こればっかりは」

「そうですか」


 なるほど。つまり『アルメリアに囲まれて』で言っていたように、ケヴィンはネリーを妹にしか見えないままってことか。ふむふむ。


「だから、どのみち心配はいらないんだよ。それよりも、このまま立ち話ってわけにはいかないから、入ってちょうだい」

「あっ、はい。ありがとうございます」


 色々あって気がつかなかったけど、お店の入り口にずっといたんだった。


 私は奥に向かうキトリーさんの後を追った。


 赤みがかった茶髪のネリーもそうだが、金髪も様々な種類がある。

 薄いものから濃いものまで。光加減でさえも見方は変わってしまう。


 それなのに、キトリーさんの髪は本当に私と同じ色をしていた。長い髪をネリーのように後ろで縛っていたが、高さはだいぶ下。しかも縛った髪を前に垂らしている。


 思わず自分の髪を一房、掴んで確かめた。


 私の髪はお母様譲り……。お父様に平民の兄弟はいないはずだから、キトリーさんはやっぱりお母様の……。


 私は後ろを歩くニナに視線を向けた。ニナはただ、優しく微笑むだけだった。



 ***



 通された部屋は客間ではなく、どちらかというとリビングのような部屋だった。

 簡素な空間で、必要な物しか置いていない。それなのに、アットホームな雰囲気。


 転生前に使っていた部屋にどことなく似ていたお陰で、少しだけ緊張していた心がほぐれた。


 背の高いテーブル。そのすぐ傍にある椅子に促されて、私は座った。

 向かい側にはキトリーさんが。

 隣が寂しくて、ニナを見たが首を横に振られてしまったので諦めた。


 伯爵邸じゃないから、いいと思ったんだけどな。


「さて、どこから話そうか」

「キトリーさんがさっき『おば』と言っていたことについて。……詳しく聞かせてもらってもいいですか?」


 緊張した面持ちのキトリーさんには悪いけど、早々に切り出させてもらった。私の緊張は、少しだけ残っていたけど、キトリーさんほどじゃないから。


「そうだね。先に口走ってしまったから、気になるのも仕方がない」


 キトリーさんは一度目を閉じた。心を落ち着かせ、ゆっくりと開けた目に迷いはなかった。


「私は見て分かるように、お前さんの、マリアンヌの血縁者だ。十七年前に、カルヴェ伯爵家に嫁いだイレーヌ・カルヴェの妹、キトリー・エナンさ」

「だから、『叔母』様なんですね」

「様なんてやめておくれ。叔母さんが無理なら、キトリーさんで構わないから」


 苦笑するキトリーさんを見て、私は悩んだ。

 こんなしんみりした場面に出すのは不謹慎かもしれないけど。それでも、出させてほしい。選択肢を!


 1,素直に叔母さんと呼ぶ

 2,言葉に甘えてキトリーさんと呼ぶ

 3,一人だけ様を付けないのは変だから、叔母様と呼ぶ


 別に転生前は貴族でも何でもない平民だったから、叔母さんと呼ぶのに抵抗はない。

 でも、キトリーさんだけ、様をつけないのもなぁ。


 そういえば、キトリーさんは『アルメリアに囲まれて』に登場していなかった。マリアンヌの叔母という重要なポジションなのに、どうして……。


 あぁ、そうか。キトリーさんはネリーにケヴィンと結婚して欲しかったんだ。でも、マリアンヌの幸せも邪魔したくない。

 伯爵邸で使用人も同然の扱いをされていたことは、多分知っていたと思うから。

 だから余計、叔母と名乗れなかったんだ。ネリーの嫌味や皮肉を止めなかったのも、そのせいだろう。


 姪と娘なら、娘を取るに決まっている。母親なら当然の行為だ。


「分かりました。では、キトリーさんと呼ばせてもらいます。その、慣れないものですから」


 少しだけ残念そうに微笑むキトリーさんには悪いけど、私はそう言い訳をした。


 起きなかった事象に対して文句を言うのは筋違いだけど、マリアンヌの気持ちを尊重したかった。

 伯爵邸で辛い思いをした分、マリアンヌを受け入れてほしかったから。


「それでいいさ。マリアンヌとこうして話ができるとは思ってもみなかったからね」

「ケヴィンに探らせていたのに、ですか?」

「あれはケヴィンが勝手にしたことさ。エリアスがウチに来るようになって、私がうっかり口にしてしまったんだよ。そしたら、情報を集め出して、私に報告するようになったのさ」


 お世話になったキトリーさんのために。


「だから、エリアスとは何も関係はないから安心しな」

「えっ。あ、あれは、その……ネリーほど、深い意味はないんです。ただ……」

「ネリーと同じで、寂しかったんだろう。カルヴェ伯爵様に制限されたから余計に」

「はい」

「でも、娘の恋人が同じ家にいるとね。心配になるんだよ。ウチはケヴィンが相手にしていないから、ダンナもうるさいことは言わないけどさ」


 今度は私が苦笑した。


 そっか。ネリーも私と同じ立場だったのか。頑張れ、ネリー。


「それよりも、ショックじゃないのかい。自分に平民の血が流れているんだよ」

「気にすると思いますか?」


 私の恋人は、平民で孤児なんですよ。

 転生前のことを話すよりも、エリアスの存在が私を助けてくれた。


「いいや。どっちかっていうと、母親が平民であることをカルヴェ伯爵様から聞かされていなかったことに、ショックを受けていないか。私はそれが心配なんだよ」

「……ショックじゃない、とは言い切れません。でも、お父様も言い辛かったんだと思います」


 お父様は生粋の貴族だから。


「でも、お母様の存在があったから、お父様はエリアスを受け入れてくれた。そう思えば、ショックよりも納得する部分が多いんです」


『好きな相手ができたら言いなさい。どんな相手でも、後押ししてあげるから』


 あの言葉に、嘘偽りはないって分かったから。やっぱり私の大好きなお父様だって思える。


「姿だけじゃなく、中身まで姉さんに似ているんだね、マリアンヌは」

「そうなんですか? 私、お父様からあまりお母様の話を聞かないんです。時々、キトリーさんみたいに似ているって言われるんですが、具体的なことまでは……。だから、教えてもらえませんか?」

「いいよ。ただ、姉さんの良いところばかりじゃないからね、私の話は」

「むしろ、そっちの方が聞きたいです」


 美談だけじゃ、想像し辛いもの。


 そうしてケヴィンとネリーが戻ってくるまで私は、キトリーさんからお母様の話を聞いた。

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