第40話 「まだ口の中、苦い?」

 何だろう。近くに人の気配がする。

 というか、顔触られている!? やだ、ちょっと怖いんだけど!


 私は目を閉じたまま、顔を横に向けて、触れてくるものから逃れようとした。が、次の瞬間、顔の位置を元に戻される。


「んっ」


 我慢できずに私はそっと目を開けた。すると、至近距離で緑色の瞳と目が合った。


「はぁ……良かったぁ」


 驚いた表情が次第に安堵の色へと変わっていく。エリアスの手が私の両頬を掴み、顔が段々と近づいて、互いの額が当たった。


「マリアンヌ」


 エリアスの呼びかけに、私も応じようと一度口を閉じた。


「っ!」


 途端、私は口元を手で抑えた。けれど、その手をすぐに掴まれてしまう。だから、もう片方の手で、再び塞いだ。


「マリアンヌ?」


 私の不可解な行動を訝しげに見た後、エリアスは「あぁ」と声を上げた。


「口の中、苦くて仕方がないんだろう。取ってあげるから、手を退けて」


 起きたばかりの私は、エリアスに言われるがまま、手を横にずらした。すると、顎を掴まれて……。


「んんっ!」


 キスされた。唇を離された時には、何が起こったのか頭が理解できなかった。


 確かに、口の中にあった苦味はもうない。ないけど! え、何? 何で!?


「まだ口の中、苦い?」


 私は首を横に振った。


「なら、水は飲める?」


 今度は頷くと、背中に腕を回された。一瞬、さっきのことが頭をよぎり、鼓動が速くなる。

 だけど背中にクッションを置かれただけで、エリアスは離れていってしまった。私は咄嗟に腕を掴んだ。


「大丈夫。水を取ってくるだけだから」

「あっ、うん」


 ほんのちょっとの距離なのに、離れたくないと思ってしまう。さっきはあんなに恥ずかしかったのに。それと同時に、なぜか少しだけ既視感を覚えた。


 ベッドの近くにいるエリアス。水が入ったコップを手渡されている間に、さりげなくかけられるショール。すぐに飲もうとしない、マリアンヌ。


「『ちゃんと確認したから、飲んでも大丈夫だ』」


 優しくかけられた言葉に『アルメリアに囲まれて』にあった場面だと思い出した。


 そうだ。エリアスルートで、オレリアに毒を飲まされた後、バルニエ侯爵家の一室でマリアンヌが目覚めた時の場面そのものだ!


 でもあれは今から四年後、マリアンヌが十八歳の時に起こる出来事だ。乙女ゲーム『アルメリアに囲まれて』の舞台の年。


 確か、マリアンヌがエリアスと恋人同士になった直後のこと。

 オレリアがカルヴェ伯爵邸の一室に、マリアンヌを監禁。それを知ったユーグが、いち早くエリアスに助けを求めたのだ。けれど、駆けつけた時にはすでに、毒を飲まされた後だった。


 ん? 冷静になってみると、今と状況がよく似てない? 恋人同士になったことで、本格的にエリアスルートに入ったってことなのかな。いやいや、いくらなんでも早いでしょう。


 まだあと数年はあるし、攻略対象者たちの立場や性格も、徐々に変わってしまったから、油断していたけど。


「『オレリアは?』」


 私は水を飲んで一旦間を置いた後、ゲーム時のセリフを口にした。


「領地に帰った。もう着いた頃だろう」『気にする必要はない。ここは侯爵邸だから』


「『何も心配することはないよ。今はただ、あいつらのことなんか気にせず、体を休めることだけを考えてくれ』」


 違う返答と重なるセリフ。


『アルメリアに囲まれて』をやっていなかったら、きっとエリアスの意図に気づけなかっただろう。それを阻止するために、私は選択肢を出した。


 1.誤魔化さないで、と怒る

 2.諭しながら口を割らせる

 3.諦める


 怒るのは逆効果かな。目が覚めた時のエリアスの顔を思い出すと、むしろ気が引けた。

 なら、二番目だね。三番目は『アルメリアに囲まれて』のルートそのものになるからできれば、いや絶対に選びたくない。


 実際ゲームでプレイした時、この場面に選択肢は出現していない。エリアスはマリアンヌに内緒でオレリアを処理しようとするからだ。


 バルニエ侯爵家全体に箝口令かんこうれいを敷いて、マリアンヌの耳に入らないように徹底していた。けれど、簡単に発覚してしまう。エリアスの些細な変化にマリアンヌが気づくのだ。


 今のエリアスもそう。誤魔化しているのが、手に取るように分かる。私に教えるつもりがないことも。それなら、別方向から攻めるまでのこと。


「お父様は?」

「執務室にいらっしゃる」

「どうして? そんなに忙しいの?」


 私がこんな状態なのに、仕事を優先しているの? とあんにそう尋ねた。もしも本当だったら、仕事を優先してほしいけど、エリアスが明らかに嘘を言ってるから、そう言うしかなかった。


「忙しいことは忙しい」

「……オレリアのことで?」

「あぁ、問題を起こしたから、アドリアン様に苦情を言いに……」

「問題? それにお父様は執務室にいるんじゃなかったの?」


 意外とボロを出すのが早かった。


 二十一歳で侯爵として権力も持っているゲーム時のエリアスと、十七歳で従者でしかない今のエリアスだと、経験値に差が出るのかな。まぁ、私としてはこっちの方が今は都合がいいけど。

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