あの春の答え.

Yuma.

答え

‘SONATINEN ALBUM’が二冊目に到達した時、ピアノを弾いている自分の心が少しも躍っていないことに気が付いてしまった。



高校生になりかけの春だった。


振り返ると、それまでコンクールや演奏会に出させてもらい、様々な経験をさせて頂いたという思いであった。


ピアノを習い始めた当初から指導をして頂いていた先生も変わっていなかった。



しかし、


「確たる目標もないのに続けていても、果たしてこれ以上上手くなれることはあるのだろうか。」



──そういった疑問が突然私の中に現れ、徐々に身を苛んだ。叔母から譲り受けたピアノを弾き始めてから十数年という年月が経っていた。


 自分から習いたいと言って始めたピアノは、“自分を表現できるもの”からいつしか日々の中のルーティーンの一部でしかなくなってしまっていた。


──実を言えば「第一志望」の高校に行けなかった私は、やりきれない気持ちを引きずったまま“何か”と向き合おうという気持ちにはなれなかったのである。


 春休みの最終日、ピアノ教室で長らくお世話になった先生と院長に別れの挨拶をし、私のピアノ人生は呆気なく終わりを迎えた。


 その時、辞める理由など問いただされることはなかったが、斜め後ろに母がいなければ気まずくてどうにかなっていたと思う。




──木曜日に行っていた練習もなくなり、目の前から鍵盤も、五線譜もあっという間に去ってしまった。


ーーーー


 それから私は、音楽との繋がりを絶ちたくない自分がいると気づき、その場の考えでipodを買ってもらった。それからは、家にある親のPCを借り、暇を見つけては音楽を聴き浸っていた。


 そうすることであの春の停滞感は日を追うごとに薄れていっている気がした。高校で会った友達とはよくカラオケをした。


 それで大体の不平不満は解消していると感じた。


 しかし、学年を追うごとに私は勉強への熱意が薄れていくのも感じていた。


 自分でも何故行き詰っているのか最初分からなかった。もともと勉強は苦手ではなかったが故、悔しさだけが自分の中に蓄積されていくばかりであった。―― 中学生の時は色々な知識を得ることも、試験でいい点を取ることにも余念がなかった。


 しかし、勉強の難易度が本格的に上がっていく中で、数式が積み重なっていく中で、どうにも‘それ’が面白いとは思えなくなっていた。


 音楽を聴きながら勉強が捗っていた時期もあったが、それではどうにもならなくなってきた時、私は国公立の大学に行くことをやめた。


 そうしている間にも受験の日が近づいてきたが、目標もなく、ただ押し流されるように寒々しい通学路を行き来していた私には他人事で、第一志望と称しただけだった地元の県立大学の試験もよく分からないまま自分の中を通り過ぎていった。――流石に過ちを犯したな、と思ったのは、初めて実家を離れ右も左も分からない土地の大学にきて、生活能力のない自分が独り暮らしを始めた時だった。


引っ越し初日、その次の日は柄にもなく夜に独りで泣いた。


ーーー


‘勉学’に何も見出せない日々が続き、大学二回生の中頃に私は怠惰となりきった。


高校の時感じた勉強への疑念が拭い去れなかったのもあった。




―― しかし、そんな私にも転機が訪れた。


それは、ある1人の教授との出会いだった。



彼――森教授は大学では相当に問題児のように扱われていたらしいが、私にはそんなことは関係なかった。


 初めて森教授の話を聞いた時、ありていな表現こそすれ、「身体に電撃が走った」ような自分がいた。


そして、本当の『学び』とはこういうことだと思った。



その時私は違うゼミに入っていたが、次の学年のゼミ志望理由は第一志望以外空欄にしかならなかった。


 結果から言うと、私は彼のゼミに受かった。


 学びたいと思える師の下で思考し、議論しあうのはとても楽しかった。そこで私は自由に自分の探求したいことをやらせてもらえ、彼には感謝しかない。興味の薄れていた学びにも再び熱が入り、それと同時に私は'客観的な視点でモノを書くことが好きだ'と気付くことが出来た。遙か昔、成績が良いことだけを日々の糧にしていたあまりにも純粋で、蒼かった自分から脱皮したが‘正解’への泳ぎ方すら分からない私に、教授は大事な道標をくれたのである。


------- 


―― 最後になる。


‘音楽’は今でも好きだ。

 しかしそれはあくまで自分の一番の核ではなかったというだけで、“大切なもの”に変わりはない。ピアノに情熱を注げなくなっている自分に酷く落胆した時期もあったが、その代わり“文章を書く”という素晴らしいことに出会えた。



 大きな変化は時として無謀に自分を途方もない気持ちにさせることもあるが、それが契機となり、全く新しい道を開くこともあると気づいた。

 


 私はそれを、そして己の気持ちをありのままに受け止め、納得の行くまで‘答え’を追求する(何かに没頭する)ということも大切なのではないだろうかと強く思っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あの春の答え. Yuma. @meemo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ