祭囃子

紫鳥コウ

 黒板に描いた正三角形をかたちづくるふたつの線分の先に傘をつけると、かなうはずのない恋があらわれた。いかなる方程式を用いても、正確な面積も内角も導きだせない、この正三角形を、なんと呼べばいいのだろうか。


 桜のはなびらがそよ風にさらわれて、青空を透かして飛んでいくのを、二階の教室の窓から見ている。この孤独めいた心境を、ひとつの言葉にあらわしてみたい。身震いするほどの冷たい空気にみちて、亀裂の走ることを知らない、この硬い土壌のうえにいる気配を、もし、ひとつの言葉に変えられるとしたら。この周縁、もしくはこの外延を、ひとつの言葉で。……


 白墨を消してしまうと、下校をせかすチャイムが鳴った。その音は、結婚式の日に明るい白雲のたもとで揺れる、あの黄金の鐘の音色に似ていた。


 茜色の空が、静かに寂しく、目を閉じた。うすら寒い風が、海のほうへと夕陽を追いかけてゆく。座席にすわる、彼、――彼のヘッドフォンから漏れ聞こえてくる音楽は、重くるしそうなその肩に、似あっていなかった。雷の日の稲穂のように、どこか、おびえているように見えた。窓にうつるぼくもまた、――雪の日の街灯のようだった。


 彼女はいま、どんな音を聞いているのだろう。そんな想像をしていると、夕焼けの音楽室で、窓をとおりぬける風になびく彼女の髪が、カーテンの影によってより色濃くなっているのが見えた。眠り心地に旋転する透明な音符を、真夜中の澄んだ湖のような眼で拾っている彼女。……


 ぎらぎらと太陽が照りつける大洋に、静かに浮かんだヨットを、高台から眺めるとき、――帆を操るだれかが、そこにいないように感じる、あのとき、うまれてきたことへの喜びに目をうるませてしまう。あの、どうしようもない、いじらしさ。まぶたの裏にある、むかし覚えたおとぎ話を、日焼けさせていくような、いじらしさ。


 いま、自分のいるこの場所は、そうしたものの陰にあるように思う。まるで、かさぶたになりきっていない、患部のほとり。 くるみわり人形にできた、さび。……


 眼をさますと、明けきらないもどかしい朝が、冷ややかな窓のむこうにあって、春の涼しい風にそよぐ稲の住処で、波紋をひろげているアメンボが、きたりくる祭りの太鼓の音に耳をすませている。


 花火が打ち上げられたとき、彼はきっと、冷ややかな宇宙のたもとを見上げる彼女の、暗く輝いた横顔に、暑苦しい夏が休暇をとって秋へとかけていくのをみつけるのだろう。


 ひどく憂鬱な朝は、山のふもとのうすぐらさが気になってしまう。死体が埋まっているように思えてしまう。雨後の土壌から白骨化した死体が掘り起こされて、桜の樹の下に埋めなおされる。


 桜の枝にはさまっていた、水晶のようにひかる、白鯨から産まれた感傷を、春のいぶきにかざして、目をあわせてほほえむ、ふたりの姿。


 祭囃子が、春を押し返しながらきこえてくる。秋への道を用意した勝手口を開きながら、ぼくを出迎える。 ……

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