Parola-01:唐突……そレは、図らずも傍ラに。
図書委員の、会だという。
そんなものあったのか、とは思うだけに留めておいた。今まで部活のことしか考えて来なかったから、知らないことの方が多いわけで。クラスにも話す奴はいるものの、弁当も部室で掻っ込んですぐに筋トレとかにいそしんでいたから、改めてみるに昼休みは持て余し気味であり。何するでもなく窓際の席で参考書を開きながらぼんやりしていた俺に、縁がこれ以上は無いのではと思われるほどのべっこう色でべっこう質の眼鏡をかけた奴が、今日、か、代わってもらえるとありがたいのだけど、と消え入りそうな声を放ってきた。
何か、誰かに焚きつけられたような、そんな背後に誰かいるような雰囲気を背負っていたけど、まあいいやと思ってOKした。部活でいくら輝いていようと、いや輝いていればいるほど、「普通」とか「一般」に降りてきた人間には親近感が沸く……ってことはもちろんあり得なく、むしろ逆のざまぁ的な感情を如実に感じなくも無い。が、それはそれ。殊更フラットに振る舞ってべっこうの奴の神経質そうな背中を見送ると、教室に居残ってる面子を見渡してみる。こちらに分かるくらいの目線を送ってくるのが数人。意識しないように意識しているのが数人。邪魔者とまではいかないでくれと願いたいけど、まあ異分子以上の存在であることは自覚は出来た。ので壁と机の間に挟んでおいたアルミの松葉杖を引っ張り抜きながら席を立つ。
「……」
歩くのはそれほど支障なく出来る。階段を下るのだけがしんどいだけだ。よって杖があっても左膝を降ろした時の鈍痛は和らげることは出来ないわけで、何のためのか、って言うと周りへの俺ケガしてますアピールなのだろうか。左脇に杖を挟んだままゆっくり廊下を歩く俺に、すれ違う違うクラスの女子二名が何とも言えない視線を送ってからお互い交わし合わせている。同情を買いたいってわけでは無いと言えるが、じゃあ何だよ自虐的な何かを満たそうとしているのかよ、とかつっこみをセルフで入れてみたりするも、いやそれは自分でも良く分からない。さりげないフリをしてるけど構ってほしい、みたいな度し難い自意識でもあるんだろうか。期待も重圧も掛けられなくなった空虚さを、そんな事で埋めようとか考えでもしてんだろうか。分からない。走らなくなってからの俺は、自分でも考えとか行動とかが良く把握も理解もできない。身体までもわずかにブレているかのような、ズレているかのような。まるで別のキャラ、アバター、あるいは「人間」を俯瞰するように頭上から見ているようなくらいまである。
何気なく歩いている時でさえ、いや何か他のものに興味を移せないそんな移動の時ならなおさら、杖の先で床とか地面に向けて叩いたり突いたりしてないと、左膝から浮かび上がってしまいそうなそんな心持ちがある。いや心は通ってはいないから、何と表現したらよいかは分からないが。とにかく刻む。コツコツという規則正しいビートを。まるでその「演奏」が目的ですよ、みたいに。いや本当に思考がぐずぐずだな……
本校舎の一階、普段は閉め切りの非常口しかない側に図書室はある。ので行こうと思わなければその存在も定かではないし、現に俺もまともに入るのは初めてかも知れない。入学時のオリエンテーションで学内を一通り巡った時に訪れたか訪れなかったか、くらいの認識だ。その、何となく薄暗く感じる一角、冷水器の奥に入り口は見える。ごつい金属の枠に嵌まった一面ガラス戸の把手を引くと結構重かった。暖色の光。開けた空間の右手にはカウンター、左手側には書架がずらりと手前から奥へと整然と並んでいる。そして紙の、インクの、本のにおいという奴か、落ち着くと共に催す感も与えてくる空気が徐々に体を包んでくるようでもある。見渡すと、思っていたより広い。照明を絞ってある手前の書架スペースの奥には四人掛けの正方形に近い形のテーブルが十はある。三方向ある窓からの緑を含んだ陽光が、ほんのりと照らすその空間は、「静謐」と言って差し支え無さそうなほどの静けさを感じさせた。
ここで勉強したりするのもいいかもな、とか今更な考えをやはり半歩ズレたような意識に浮かばせていたら、後ろのカウンター側から声を掛けられた。3Bの代理のヒトですよね? 昼の定期会始まるんで、こっちへどうぞ、とその黒髪眼鏡の女子に誘われるまま、貸出カウンターの隣の薄い扉をくぐると、蛍光灯の白い光が無遠慮に照らしてくる結構な広さの会議室のような大部屋に直結していることが分かった。ロの字に組まれた長机。その周囲に配されたパイプ椅子に座っている面々の数は十人以上はいる。明らかにやる気なくだらり座っている奴と、明らかにやる気を見せつつきちり背を伸ばしている奴の二極。何となく、部活での雰囲気と似てなくも無い。ただ一様に今は、新顔である俺に向けて隠し切れてない興味と装い切れてない無関心という両極の視線を皆が送って来ているように感じられた。奥側の一角、ひとつだけ空いていた席に会釈も何も無く無言で座る。松葉杖は股の間に、座面に立てかけるようにして両手で保持した。案内してくれた眼鏡女子は入り口に近い辺の中央の席について早速切り出してくる。仕切りはこの子か。
「二〇二五年度、第二回定期図書委員会を始めます。議題は六月の選書の投票。時間が無いので今から始めます。手元の資料をご覧ください。そのリストに挙げられた二十五の候補から、今月は十冊選びます。今から読み上げますので、各自五回まで、自分が推したい本に挙手をしてください」
つらつらと、書いてあるものを読んでいるかのような感じで眼鏡女子は落ち着いた低音でそうのたまってくる。内容は今どき珍しいほどのアナログ感を醸してくるが、それはそれでこの場所というか場にそぐうものであるような気がして却ってしっくり来ている自分がいた。適当に手を挙げてればいいだけで、抑揚の無い話を一方的に聞かされるよりはよっぽどありがたいわけで、であればちょっとくらいそのリストに目を通すだけは通して、自分の薄い意思でも伝えようかなとか殊勝な感じで机に置かれていた資料というか一枚の紙ぺらを上体だけ伸ばして摘まみ上げつつ書いてある「二十五の候補」とやらに目を走らせようとした、その、
刹那、だった……
「あ、その前にちょっとお知らせしたいことがあるんですが、よろしいでしょうか」
俺の右横の空気が、ふわりと、動いた。それと共に香ってきたのは何だろう、透き通るような、花の香りと表現したらいいのか。いや、善し悪しはどうでも良かった。白い花を想起させる涼やかながら甘やかさも内包した、こちらの神経を落ち着かせるようで揺さぶってくるという矛盾さを有無を言わせず呑み込ませてくるというか、とにかくグラリとさせる芳香。そして鼓膜を痺れさせてくるんじゃないか的な、凛としていながら
「……」
視線の先には、この枯れ果てた場にはそぐわないような、可憐に上気した小顔があったわけで。背中くらいまであるストレートの黒髪の艶、迷いなく真っすぐを見つめている
「ミササギさん、時間無いんで」
「ほんの一分。いいでしょ、エナ?」
進行の眼鏡女子はすげなくそんな風に遮ってくる。そして周りも今の発言を無かったことにするかのように、今まで手に持ってただけの紙片にわざとらしく目を落とし始める。それにも全く動ぜず、右隣の「ミササギ」と呼ばれた峰の女子はそのような可憐な言葉で抗うものの、周りは居心地の悪い沈黙が支配している。何だってんだよ。
「……発言くらいいいんじゃね? そういうのの場だろ?」
とか思った瞬間には声が出てた。久しぶりに不特定多数の誰かに向けて声を発した気がした。部活やってた頃は、こんな風に腹から声出してたよな……ふわりとまた俺の右横が揺れるが、その揺れるのが何かを絶対に確認しないようにしながら、真面目一辺倒の表情で何とか眼鏡女子を見やる。と、その真面目ぶった顔が俺に何か言いたげに歪むのだが。え? なんだその必死さは。
「……じゃあ本当に一分だけ、測るからね、ミサ」
眼鏡女子の言葉と共に、俺の右肩がつんつんとつつかれる。ブレザーを着て来なくて本当に良かった。薄いワイシャツ越しに伝わったのは、熱い感触。気の無い素振りを保ちつつ、気だるげにまた見上げてはみたものの、思ってたより接近していた上気顔の前には右手が既に手刀のように添えられていて。
「ありがとございますっ」
鼓膜よりも先に、甘い呼気が俺の鼻腔を貫き、おうふと言ってしまう一歩手前の、お、おう……という気の利かない返しをするにとどまらせる。何だってんだ。
何だって……こんな僥倖が。
諸々を咀嚼しきれないまま、ミササギってどういう字を書くんだ? 見たこと無かったけど何年何組だ? それより図書委員このままべっこうの野郎から完全に引き継いでもいいんじゃねどうせ暇な身だし……とかの思考がぼこぼこと沸点間際の湯水の如く湧きだしてきた、その、
刹那、だった……
「あ、じゃあ『コトノハ部』についての勧誘なんですけど七月に大会を控えていてでもその団体戦に出るには一人足りなくてもし良かったらどなたか短期の助っ人でもいいので参加いただけたらと。練習は週二回火金でおやつも毎回出ますよ? ルールは少し難解かもですけど、デッキはこちらで最低限のものは用意しますし、一発勝負だったらルーキーがベテランを喰う展開っていうのも割とままあることですし、何より『世界一』目指せる部活ってそうは無いと思うんですよ、もちろん全国の高校生ってだけじゃなく、まさにの『世界一』。私達と一緒にそれを目指してみませんか?」
物凄く饒舌で、前のめりな発言は声質や喋り方はこれまでと変わらなかったものの、直感でヤバいと感じた。推して知るべきだった眼鏡女子や周りの反応に、つい反発してしまった結果がこれか。俺は固まった半笑いのまま少しだけ尻を左側にズラしていくものの、頭頂部に注がれているだろう熱いまなざしを、我がつむじは確かに感じている。
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