僕はこの夏、少女漫画家、翡翠ルビィ先生の家へアシスタントに行く事になった。

海猫ほたる

第1話 僕は漫画家アシスタント


「ここ……か……先生のスタジオ……てかっつ……」


 僕はちょっと古めだけどオートロック付きの5階建てアパートの前に立っていた。


 西武池袋線所沢を降りてからバスに乗って20分、バス停を降りて更に30分程歩いた所に先生の自宅兼スタジオはあった。


 僕は編集の黒曜さんから送られたメールに記載してある住所と、スマホの地図アプリを見比べて間違いがない事を確認した。


 ここの501号室で間違いない。


 僕は額の汗を拭うとアパートの自動ドアの前に立った。


 自動ドアの横にはインターホンが備え付けてある。


 僕は先生の部屋番号のボタン押した。


「はーい」


 インターホンから可愛らしい声が聞こえて来た。


「あの、こ、紅榴こうりゅうと言います。アシスタントに来た者です」


 僕はつい、焦っておどおとした言い方になってしまった。


 何せ学校を卒業してからこの方、同世代の女性と話すのは久しぶりなのだ。


 普段アシスタントで行ってる少年誌、月刊少年ジャスパーで連載中の漫画家、レッドタイガー先生の所はガッツリ男所帯である。


「あ、ち……ちょっとだけ待ってて!」


 とはいえ、インターホンの向こうの先生も何だか焦っているような声だ。


「は、はい……」


 僕は気のない返事をした。おかしいな……今日僕が行く事は編集の黒曜さんから聞いているはずなのだが。


 て言うか暑い。


 7月なのになぜこんな暑いのか。おまけにマスクをしていて息が苦しい。接触冷感タイプと言う触れ込みが目に付いて思わず買ってみたけと、他のマスクとどう違うのか分からない。

 はぁ、異常気象も大概にして欲しいものだ。


 少し待つと、「ごめんね、お待たせ。入って来て」と声が聞こえて自動ドアのロックが外れた。


 エレベーターで5階にあがり、501号室の部屋の前まで来た僕は、改めて大きく息を吸った。

 少し、いや……かなり緊張している。


 高鳴る心臓の音を抑える為に、手のひらに人という字でも書いてみようかな……と思っていたら、ガチャリと音がして501号室のドアが開いた。


 現れたのは、清楚な感じの黒髪ロング、小さな顔に不釣り合いな大きめの丸い眼鏡がチャーミングな美少女だった。


 上には胸元には世界的に有名なキャラクターの絵がプリントされたピンクのジャージを着て、下も同じピンクのジャージ、そして同じキャラクターのスリッパを履いていて、僕の知っている先生の年齢よりもかなり子供っぽくみえる。


 そして頭にはピンク色のヘアバンドをしていて、前髪を上げておでこを出している。


 化粧気は薄い……と言うか化粧してない様な気がするけど目元には思いっきりクマが出てて、あまり寝てなさそうに見えるけと、今は無理やり笑顔を作ってくれている様だ。


「黒曜さんから聞いてるよ、えと、助っ人アシスタントの琥珀こはく君……だっけ?」


「あ、はい。紅榴こうりゅう琥珀こはくです。今日はよろしくお願いします」


 僕はそう言って軽く頭を下げた。





 ……僕の名前は紅榴こうりゅう琥珀こはく



 アルバイトとプロの先生のアシスタントをしながら漫画家を目指して、出版社に持ち込みを繰り返している。


 昨日僕は、描いた漫画を持ち込みする為に出版社カルセドニーに行ったんだ。


 いつも僕の持ち込みを見てくれる月刊少年ジャスパーの編集者、瑪瑙めのうさんに見せた所、こんな事を言われた。


紅榴こうりゅう君、実は前から思っていたんだけど、君の漫画は少年誌にしてはやや繊細過ぎると思うんだけど、もしかしたら君は少年漫画より少女漫画の方が向いているのかもしれないな……」


 確かに、僕は昔から少年漫画より少女漫画の方をよく読んでいたんだ。


 妹に頼んで毎月少女漫画雑誌らぴすらずりを読んでいたし、コミックスも妹に頼んで少女漫画を買って来てもらって読んでいた。


 妹には代わりに少年誌の方を買って読ませてと頼まれていたから、少年誌も買って一応読んでいたけど、僕が夢中になるのはいつも少女漫画の方だった。


 そのせいだろうか、僕は少年漫画を描いているつもりでも、つい少女漫画的な絵柄になりがちだった。

 今の先生の所で直たつもりだったけど、編集の瑪瑙めのうさんには見抜かれていたみたいだ。


紅榴こうりゅう君、君にその気が無いならもちろん無理にとは言わないけど、一度、少女漫画の方で持ち込みしてみる気は無いかな?ウチの出版社は少女漫画もやっていて、このビルの上の楷が少女コミック誌らぴすらずりの編集フロアだから、今からでもすぐ行けるんだ。もし良かったら今かららぴすらずりの方に話を通してあげようと思うんだけど」


 瑪瑙めのうさんにそう言われた時、確かに無理に少年誌にこだわる必要はないかもしれないと思って、僕はお願いする事にした。


 瑪瑙めのうさんはその場で電話をかけて、らぴすらずりの編集部に持ち込みの話を通してくれた。


 そして少し待っていると、スーツ姿をした女性の編集者の人がブースにやって来た。


 瑪瑙めのうさんは、この人はらぴすらずりの編集者、黒曜こくようみどりさんだよと紹介してくれた。


 僕は早速、黒曜こくようさんに描いた漫画を見せたんだ。


 なぜか瑪瑙めのうさんも立ち去らずに、ブースに残ってくれた。


 僕の持ち込みがどうなるのか本当に心配してくれて残ってくれたのか、美人編集者の黒曜こくようさんに気があって残ってただけなのか……僕には分からないし、そうだとしてもとりあえず、今はこの件は横に置いておこう。



 でもそこから、話は変な方向に動き出したんだ。

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