第54話 狂騒曲第十八番 ①【前】
「良い? よく聞いて」
前日の夜。すっかり寝静まった医療施設の片隅で、ベルディレッセは作業机に腰掛けながら集めた彼らへと小さく声を掛ける。
異様なまでに細い、黒に染まった装甲の全身は甲殻のように鈍い光を反射する。
身体のあちこち、装甲の隙間から黒い粘体を少しずつ垂れ流し続けているが、これといった臭いは無く、その粘体が床に落ちたところで汚す事も無い。
また、その液は床に付着すると直ぐに消失する為、気にする必要が無かった。
そんな姿形をしている人形もどきのそれらは、頭部と思しき箇所に取り付けられた大小様々なカメラを動かし彼女を見る。
待機、傾聴を命じられてはいるものの、雄々しい姿の割にその場で小刻みに震えている。
動きに落ち着きが無い彼らだが、ベルディレッセは何時もの事だと理解している為に、特段何も言わずに話を切り出す。
「あなた達のおかげで巨大戦艦の位置はだいたい絞り込めた。場所は王都より更に北西にある空軍基地。此処に現在5隻の巨大戦艦が保管されている」
コンソールを開き、展開した画面をフリック操作で反転させ、その空軍基地の5秒程の短い映像を延々ループで流し続ける画面を彼らに見せる。
尤も、その映像を撮影したのは他でも無い彼らだが。
彼らの視線はベルディレッセから映像の方に集中する。
「残りの3隻の行方は知れないけれど、あからさまな空きがあるし何処かしらに出撃している筈だわ。戻って来られてからでは面倒だから、そうなる前にけりを付ける。良い?」
その見た目とは裏腹に、まとまりの無い首肯の数々を得られたところで、ベルディレッセは続ける。
「よし。…それで、あなた達にやってもらいたい事は巨大戦艦のデータを盗む事と、一部武装の奪取。それから戦艦自身の無力化ね。もし行けそうなら、多少強引な手を使っても構わないわ。……したいでしょう、それがあなた達の本来の役割なのだから」
本来ならば此処で切り上げても良かったが、ベルディレッセは視線だけを逸らしつつ、部下達が見ている中で呟きを零す。
「それにしても……」
彼女にとって気掛かりなのは、今目の前で繰り返されている映像だ。
見張り番だけは身なりがしっかりしているようだが、倉庫内に遊んでいる様子の兵士達の姿が見えれば嫌でも目に付く。
巨大戦艦周りで点検を行っている整備員やそれに明るい兵士達の姿とは対象的であり、また、王国が警備を疎かにしている証明でもあった。
「王国って空軍の存在価値を理解しているのかしら…?」
困惑。最初にこの映像を見せられた時の彼女の反応がそれだ。
これで見るのは5回目になるが、それでも困惑出来てしまう。
まず、あり得ないのだ。
列強である事以前に、航空戦力そのものを蔑ろにしてでも無ければ現実的では無い光景。
フェイクを掴まされたか、とすら思える様子には頭を抱えたくなる。
尤も、映像は本物で。その上、王国に与する立場では無いため要らぬ心配だが。
”グリム・カラーズ並びにベントネティが、八傑の一人と行動を共にした事で起きている状況と仮定”
「それにしたって事が上手く運び過ぎ。多分これは王国軍の怠慢が招いた状況」
タイピングするように次々と彼女の目の前で表示される文章に、ベルディレッセが淡々と反論する。
確かに王国軍の情報を入手しやすくする為に引き付ける事を頼んだ。
だが、今現在彼がしている事は王国内に蔓延る違法薬物、それもごく一部の摘発であって、直接の関連性は無い。
尤も、どちらもが正しく、また、どちらもを引っくるめて起きている状況と言われたところで彼女は納得しないだろう。
「これを機に認識を改めてもらえれば。まあ、後の祭りだけれど」
こうした映像を入手出来る以上、事を起こすのも容易だ。
このような愚かさを見せる者達にはそれ相応の灸を据える必要があるだろう。
いずれ、王国側がしなければならない事で。寧ろ、善意を持ってやって見せても良い。
「ここまで出来てしまうからには、油断だけには気を付けて」
”御意”
余程の慢心さえ無ければ失敗しない。
少なくとも今の王国空軍に関しては論ずる価値は無いのかもしれない、と評価を改めつつ部下達に念を押す。
そして、その一言を皮切りにベルディレッセの部下達は、空中に浮かぶ文字が消えるより先に一斉に散る。
再び施設内に静寂が訪れ、彼女の虚ろな双眸は、穏やかな表情で寝返りを打つハーピーの姿を眺めた。
時は、その翌日。ある一人の男が見張り中に強烈な寒気を感じ取った頃に戻る。
ベルディレッセの指示に従い、それらは人影の中へと隠れ、隙を伺う。
影から影へ、肉眼では捉えきれない程の刹那で動く故、動き出す直前を目撃さえされなければ気付かれる事は無い。
仮にそれを見つけられたとして、次の瞬間には別の影に移っており、大抵が気の所為と解釈される。
間違った合理的判断だとは思わずに。
目標とは着実に距離を縮めている。
後は、巨大戦艦の近く、駄弁りながらも作業を的確に進めるつなぎ姿の作業工達の影に移れば到着したも同然である。
「ここのパーツ、予備はありませんかね?」
小さなナット状の部品を摘む指で、小刻みに動かす青年が金網の足場の上からそう言うと、「これで合ってるか?」と髭を生やした中年の男が下から彼へと同じ部品を手渡す。
部品を受け取った青年が感謝を述べている間に、一体が影へ入り込んだ。
「やっぱ、『マジェスティ』の整備って楽しいっすね~」
「お前もそう思うか。こいつは数十年に一度は生まれる傑作機でな。構造の無駄が少なくそれでいて整備箇所が分かりやすい」
しゃがみながらの青年と中年の男が話している間に、影の中からその一体がおもむろに浮上する。
金網の上で起きているのにも関わらず、誰にも気付かれる気配が無いのは。
物音が一切せず、それでいて作業工達が自らの作業に集中している為か。
「俺、一生こいつの専属整備士でも良いくらいっす」
「たはは、言うなぁ。でも、そんだけ愛せるならこいつも嬉しいだろうよ」
会話をその辺りに、青年は作業に戻ろうとする。
まだ、気づかない。向かおうとする先に、直立し、『マジェスティ』の方を向いたまま沈黙を貫く異形が居るという事に。
前方不注意故の衝突が起こるのは、時間の問題だった。
軽い衝突ではあったものの、反動が強く。
仲間の置いた設置工具にぶつけたのか、と青年はぶつかった拍子につばが下りてきた帽子を被り直す。
「おぉ、悪い悪い。近くで作業してたんだ、な―――」
見上げるとそこに見慣れた顔は無く。独特な光沢を纏う細身の異形の姿が代わりにあった。
頭部と思しき部位からは眼球に似た何かが隆起しており、それだけが尻もちを付いた青年を見ていた。
それに対し青年は―――
「――あれ、誰も居ない……」
―――自分は何にぶつかったんだ、と言うように辺りを見渡した。
青年は今度は通路の脇をゆっくりと通る。
その姿を異形が静止したまま、それも間近で目で追うもやはり、気付いている素振りは見せなかった。
これは、どういう事か。
説明するには青年の判断、認識だけでは状況証拠が足りない。
続いて通路の下、先程パーツの受け渡しをした中年の男の方を見てみよう。
彼の目の前に、通路に居る異形とは別の個体、頭部に5つの目を備える、蜥蜴を立たせたような姿の異形が居る。
それがおもむろに、巨大戦艦の整備をする作業工へと近づいてみるが、男達の顔に気付いた様子は無い。
「それにしても『マジェスティ』って8機も必要あるのかぁ?」
「あるに決まってんだろ。こんな図体で空軍戦力の要だ。数ある事に越した事は無いし、それに、こいつを出す事自体が示威になるしな」
「だからってこんな重作業にする必要あったかね。年寄りの苦労ってもんを考えて欲しいよホント…」
愚痴りながらも工具で内部構造を弄る彼らは作業に没頭している。
気付いていないのが偶然ではない事を証明するべく、蜥蜴人型の異形は彼らの一人に、そのナイフのように細長い手で触れ、肩を揺らす。
「おいおい、自分の分が終わらねぇからってちょっかい掛けんなよ……」
それに煩わしさを露わにしつつ返事をする男。
彼の発言を耳にして、疑問を浮かべたもう一人が問いかけた。
「誰に向かって言ってんだ?」
「あぁ? さっき俺の肩を揺らした奴に――」
しかし、他の作業員はいずれも工具で両手が塞がれており、距離もある程度離れている。
肩を揺らす悪戯をして、すぐさま工具を持って持ち場に戻る、などという芸当は不可能だ。
よって、この場に肩を揺らした人物は居ない――というのが、彼らの視点での結論だった。
犯人である異形は、冷や汗を浮かべる男の姿を至近距離で、平べったい頭部に備え付けられた5つある目で伺っていた。
「お、おかしいな…幽霊にでも取り憑かれたか……?」
「疲れてんだろ。これ終わったらゆっくり休めな」
やはり、男達に異形の姿に気付いている様子は無い。
幽霊騒ぎでは埒が明かないと思ったらしく、釈然としないながらも肩を揺らされた男は作業に戻った。
その遠くで別の異形達が見張りや警備の者達にちょっかいをかけるも、それでも王国の者達に異形の姿に気付く様子は無かった。
異形達は作業工と警備兵達の動向を間近で伺う事が出来る。
一方の王国兵達は異形の姿に気付かない。いや、気付けない。
つまるところ、異形達によって認識する事自体が阻害されているのだ。
事を起こす前の確認としてわざと起こした行動なのだが、そのヒントすら彼らは放ってしまった。
その結果がどうなるかは、確信を持って行動を開始した異形を追えば嫌でも分かるようになってしまう。
”認識阻害は王国人に対し、正常に稼働しているものと推測”
”確証を得られた為、前提条件に適用”
”報告。巨大戦艦『マジェスティ』に効果は無いものと確認”
”未だ沈黙している為、その結果を無視。任務遂行の妨害に至らないと判断”
”了解。作戦の二段階目に移行”
彼らだけに見えている文章のやり取りが、王国の人間達を気にせず行われていく。
ただ自らの仕事をしていたり、警備を疎かにしていたりする者達など、居ないも同然だから。
そして、異形達はある程度の頭数を揃えた5チームに分かれ、各自巨大戦艦の元へ散開した。
”第1より第5班の全てがそれぞれ、担当の『マジェスティ』の元へ到着”
”第1班は陽動を開始。第2班は解析の開始。第3~第5班までは陽動の成功を確認次第、武装の解除作業を開始”
”総員了解。こちら第1班、拡音フィールドの展開を開始”
振り分けは格納庫の奥に配備されている『マジェスティ』から順となる。
第1班となる異形達は3体が物音の音量を強化する、球体状の特殊フィールドを展開し、それを確認した他の2機がマジェスティの装甲へと手を伸ばす。
その細長い指は溶けたバターに触れたように、いとも容易く装甲の中へ沈み込んでいく。そして―――
べりっ。べりべりべぎっ。
装甲の裏側から、意図的に不快な音を立てて、一機、『マジェスティ』の装甲を薄く剥がしていく。
その音に気付いた作業工達が目にしたのは、虚しく響きを奏でる、ひしゃげて放り捨てられた装甲の残骸だった。
「ああっ! 大変だ! 奥の機体が!!」
「整備不良か!?」
当然ながら、これが認識できない怪物の仕業だとは思わない。
既に数人が持ち場を離れて、急いで一番奥の『マジェスティ』へと向かっているが全員が来ている訳では無い。
もうひと押し、などと思いつつ装甲を引っ剥がした異形は次の手を打った。
”装甲の耐久能力を確認。推測サイズと反属性への耐性からジェネレイザ基準の場合、必要水準を大きく下回るものと仮定”
”航空能力に支障は無く、また、この世界に広く普及されている魔法にて補強されるものと推察。周辺国家が王国水準の技術力を有しているかは不明。ただ、この格納庫の警備態勢から『マジェスティ』は戦力より存在そのものが重要視されていると思考。よって、反属性による攻撃を想定していないものと判断”
”同意。続き調査は第2班に委ねる。第1班は陽動の強化を実行”
”総員了解”
最適化の施された思考プログラムによって、作業工達の身動きが遅く見える程の速さでやり取りを終える。
放り捨てられた装甲の元へ彼らがたどり着くより早く、異形はまたも『マジェスティ』に手を突っ込んだ。
次に標的にするのは、装甲の更に奥の内部回路。
ぶちぶちぶちぶちっ。
音が大きくなる状態を維持したままで、青く発光する太い導線を手前の装甲ごと引き抜き、千切っていく。
先程は皮膚を軽く剥いた程度だが、今度は血管を引きずり出して裂いたようなもの。
となれば、一番奥の『マジェスティ』が悲鳴を上げるのも時間の問題だった。
スリープ状態だったのか、速やかに起動した『マジェスティ』の制御システムより声とも思える騒音が鳴り響いた。
そうなれば、惚けていた警備兵達も慌てて駆けつけてくるのは必然。
「『マジェスティ』から悲鳴が!!」
「お前達、今やってる作業を引き上げて今すぐ一番奥の奴に来い!!」
装甲に近づきつつあった作業工達が怒鳴りつけ、他の戦艦を見ている者達を招集する。
目撃者が居なくなったと同時に、異形の第5班から内蔵する武装の取り出しを始めていく。
”こちら第2班、解析の完了を報告。急ぎ第1班の援護を実行”
”提案。想定の戦闘能力と実際の能力とでは乖離がある可能性を想起”
”提案を受理。検証も兼ね『マジェスティ』の利用を実行”
作業工達が次々と、慌てて一番奥の『マジェスティ』に向かっていく中、その一つ手前の『マジェスティ』へのクラッキングが実行される。
おもむろに機体腹部のハッチが開いていき、内部の細長い筒状の物体が一台、露わになる。
それは、魔力回路を循環する魔力の一部を動力とする、『マジェスティ』の副砲の一つ。
向かって右から左へ通り過ぎようとする一人に狙いを定め―――。
―――そして、その男の肉体は、巻き起こった閃光と爆発の中に消え去った。
直後、轟音が鳴り響いた事で慌てていた者達も、警備の兵士達もそれに気付く。
やがて、それが何によって生じたものなのかも理解し。
「―――うああぁぁっ!!!?」
一人から、情けない程の悲鳴が上がる。そんな男すらも続く副砲の射撃に消し飛ばされた。
遠方より警備兵達が救助に駆けつけようとするも、『マジェスティ』の剥き出しの主砲が牙を剥く。
砲口より光の粒子を収束させると共にエネルギーの充填が完了した主砲が格納庫の天井を貫き、落ちてきた瓦礫に人々は押し潰されていく。
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