幸せの色

才野 泣人

第1話

「幸せの色って何色だと思う?」


 教室のドアを開け、俺の存在を確認するやいなや、彼女はそう問いかけてきた。


「天ヶ崎さん、まだ帰ってなかったの?」

「それはお互い様じゃない」


 一学期の終業式が終わってもう二時間は経っている。他の生徒は皆帰ったか部活に行ってしまった。


「で、何色だと思う?」


 何の躊躇いもなく俺の前の席に座る。彼女の机の位置を覚えてはいないが、ここじゃないことだけは確かだ。


「話の意図も行く先もわかんないよ……」


 天ヶ崎寧音あまがさきねねはクラス内ピラミッドの最上部に位置する。平凡に命を吹き込んだような俺とは何の接点もない。話したことがあるのも数えるほどだ。


「怒りって赤っぽくない?」

「ああ、なんちゃって共感覚みたいな」

「それはよくわかんないけど。悲しいは青だね」

「なんとなく分かるかも。楽しいは黄色かな」

「そうそう! そんな感じ!」

 

 なんとなく話の方向性は見えてきた気がする。話の意図はまだ迷子だけれども。


「幸せって何色なんだろうね」

「そもそも幸せって感情なの? 喜怒哀楽からはちょっと離れてるよね」

「うーん……。でも絶対に色はあると思うんだ」


 彼女は考え込んですっかり黙ってしまった。

 短く切りそろえられた髪は肩の上で泳いでおり、長いまつげは暇な毛先を遊ばせている。横から見ると嫌みなくらい美人だな。この見た目で中身はフランクときたもんだから嫌われる理由が見つからない。


長内おさない君、夏休みは暇かね?」

「家で宿題をやる予定が」

「世間一般ではそれを暇と言うんだよ」

 

 世の中はひとりぼっちに厳しいらしい。


「私と幸せの色を探しに行かない?」


 人間と契約するときの悪魔ってこんな笑顔なんだろうな。なんとなくそう思った。






 長内薫おさないかおるは至ってごく普通の高校二年生だ。歴史好きの親に付けられた嫌がらせのような名前以外何の特徴も無い。目立たないが確かにいる。そんなポジションを確立するのは意外と大変なのだということをもっと皆に知って欲しい。


「お待たせ! 待った?」

「いや、全然」


 それがどうしてこんなことになっているのだろう。


「駄目だね。そこは『ううん、今来たとこ』って言わないと。基礎も固めずに応用にはいけないよ」

「俺は一体何を怒られているんだ」


 駅前に午後一時集合。昨日彼女はそう言い残して帰っていた。


「早く行こっか。一時半からだし」

「結局何するのさ。聞いてないんだけど」

「あれ? 言ってなかったっけ? 映画観るの!」


 ベタな恋愛映画だった。不治の病のヒロインに男が恋をする。なんやかんやあって男が告白して、付き合ったところで彼女は亡くなる。泣かせの定番だな。

 おい嘘だろ。横で鼻をすする音が聞こえるぞ。

 あえて横は見ないでおいた。


「ヒロインの子は結局幸せだったのかな……」


 映画館近くの喫茶店でアイスティーのグラスを傾けながら彼女は呟いた。


「最後はそうだったんじゃないかな」

「生まれてからずっとベッドとお友達で、やっと幸せになったと思ったら死ぬなんて、人生やるせないねぇ」

「彼に出会うまでが不幸だったとも言い切れないし。もしかしたらベッドの上での楽しみもあったかもよ? 幸せって人それぞれだし」

「それを言っちゃあお仕舞いよ。まずは一般的な幸せの形を見つけないと。じゃないと色なんて見えてこないよ?」


 からん、と音を立てて俺の珈琲が薄くなっていく。彼女は氷だけになったグラスの中をストローで掻き回していた。


「天ヶ崎さんはどうなんだよ。彼女は幸せそうに見えた?」

「うん」

「それで何色だった?」

「わかんないよ。結局あれ創作だし。もっとリアルに肌で感じないと」


 まだ少し目を赤くしている奴が何を言っている。


「じゃあ何で観たのさ」

「お勉強だよ。まずは幸せの外形を掴まないと。基礎固めは大事だよ?」


 へいへい。




 幸せ(の色)探し二日目は遊園地だった。昨日の映画でも楽しそうに回っていたからそれに影響されたのだろう。

「遊園地にスカートで来る女の子ってどうなんだろうね」

「どういうこと?」

「アトラクション乗るとき色々と大変じゃん。特に絶叫系とか。私は絶対にパンツだね」

「天ヶ崎さん、遊園地関係なしにスカート履かないでしょ」


ジェットコースターの待機列が少し進む。次には乗れそうだ。


「なにおう? お前私の私服見たの昨日が初めてだろう?」

「高一の時、文化祭の打ち上げで」

「そんなん覚えてるの!? きもっ!」


 傷ついた心はジェットコースターの落差と共に吹っ飛んでいった。晴れ空のどこかに落ちているだろう。


「楽しかった!」


 帰りの駅に向かう途中。一日中歩き回った後だというのに彼女の足取りはまだ軽やかだった。これが運動部の体力か。


「そりゃ良かった」

「でも“楽しい”なんだよね。これが幸せかって言われるとうーん……」

「確かにな。天ヶ崎さんはなんかないの? これをやってるときは幸せ! みたいなの」

「パンケーキ食べてるときかなぁ」

「なら最初からそれをやれよ!」




 言わずもがな三日目はパンケーキ巡り。巡るといっても二軒だけなんだが。

 お金を使うような人間関係もなかったし、お小遣いもある程度貯まってはいたのだが、こうも連日出費が続くと流石に寂しくなってくる。


「幸せぇ~」

「女の子ってほんとにパンケーキ好きだよな」


 顔より大きなパンケーキを嬉しそうに頬張っている。こう真正面から見るとかわいさが割り増しして見えるな。


「どう? 何色っぽい?」

「じふんのいおあん」

「一旦飲み込め」

「自分の色なんて自分で見えないよ。長内君が幸せになってよ」

「今日一日全否定だな。無駄足じゃん」


 すると彼女はナイフとフォークを置き、じっとこっちを見つめてきた。


「無駄じゃない。無駄なこと何て一つもないよ」


 その瞳がやけに真剣で、目をそらすことができなかった。





「なあ、本当に来るのか?」

「本当だって」


 確かに寝ることが幸せとは言ったよ。でもまさか家にまで来て寝るとこを見るなんて言い出すとは思わないだろう。


「大体さっきまで寝てたのにすぐに昼寝しろとか無理だと思わない?」

「大丈夫だよ。小山内君寝付き良さそうだし。ほっといたら何時間でも寝れそうだし」


 間違っていないのが腹立つ。


「起きて天ヶ崎さん駅まで迎えに行って、家に帰ってまた寝るとか非効率的だろ……」

「しょうがないじゃん。私君の家知らないし」


 四日目の記憶はここで終わっている。目が覚めると既に夜更けだったし、部屋に一人きりだった。


『おはよう! すやすやで気が引けたから起こさずに帰ったよ! お母さんにご飯美味しかったですって言っといて!』


 彼女は一体何をして帰ったのだろうか。






 思い返せばこの夏休みは色々なことをした。プール、美術館、動物園、猫カフェ、カラオケ、ボーリングと全部行ったし、かと思えば家で漫画を読むだけなんて日もあった。


「明日から学校なんて嫌だねぇ」

「あっという間だったな」


 公園の中の日除け付きベンチに座り込んで、さっき自販機で買った炭酸飲料を一口飲み込む。


「わかんなかったね。幸せの色」

「別に探索も今日で打ち切りって訳でもないし、明日からも探し続ければいいんじゃない?」

「確かに。一理しかない」


 一ヶ月前に比べると蝉の声も大分減ったように思える。暑さはまだ和らぐ気配はないが。


「一つ聞きたいんだけどさ」

「ん? どした?」

「なんで俺だったの?」


 彼女がモテることなんて言うまでもない。こんな低中層の男に声なんかかけなくても引く手はあまたのはずだ。


「理由なんかないよ。あの日教室にいたのが長内君だったから。たまたま」


 彼女は笑いながらそう言った。


「あ! でも別に誰でもいいわけじゃないよ! 小野田君とか嫌だし」


 小野田君はどこか鼻につくイケメンのクラスメイトだ。


「そっか」


 幸せは無色透明で、サイダーの味がした。


 


 









 






 



 







 


 

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