第47話 飛龍

「何が悲しくて、朝からお前の食べ残しを食べねばならんのだ」


「お言葉ですが、食べ残しではございません。毒味です」


 当初、毒味係には侍女のロージが指名されたが、ショボクレに変えさせた。用心深いショボクレが自ら毒味役となれば、より一層料理に注意するようになるだろう。それに、ロージに「毒」など食わせられるか。


「状況としては同じことだろう」


「仮にそうだとして、これだけの量の食べ残しは、もはや食べ残しとは呼べません」


「フン。減らず口を」


 俺は、ゆで卵を手に取った。小龍こりゅうの玉子だが、ゼラチン状になっていてとても美味しい。プリンに、なんというか、もうちょっと野性味が加わった味、とでも言おうか。もしそういうのがあれば、の話だが「天然もののプリン」というとしっくりくる。


 俺はこれが大好きなのだが、ショボクレが食した跡がある。まぁ、良い。


 スプーンで一口すくって食べる。うまい。ただ、若干ショボクレのが残っている気がする。むしろショボクレの口臭こそが毒のような気がする。


 少しだけ、いやもうちょっと、いやもう一声、毒味役はロージの方が良かったか、と後悔する。


「帝妃様、最近の気になる情勢なのですが、」


 朝食の時間は、ショボクレからの所感を聞く時間も兼ねている。


「何だ?」


「反乱の蜂起の数が増えてきております」


「些事に過ぎん」


「ですが、元より多かったものが更に増えております。このまま増え続けますと、やがて鎮圧するための兵士の数が足りなくなります。その……、何か民衆の不満を逸らす政策を用意してはいかがかと……」


「必要ない」


「しかし……」


「力で押さえつければ良いだけの話だろう。兵士の数が足りないのであれば、朕が直々に出向けば良いだけの話だ。元より、そのための存在だっただろう? 帝妃というものは」


「あ……、いや……。しかしまた、気になることもございまして……」


「なんだ?」


「民衆の中に蜂起を扇動する者がいるということでございます」


「それこそ些事に過ぎんだろう」


「いえ、それが、かなりの影響力を有しているようで、元より多かった蜂起が、その者のために加速度的に増えていると考えられます」


「……どんな奴だ?」


「なんでも……仮面を被った者らしく……」


「仮面?」


「はい。その者は猫系の旧獣人であることはわかっているものの、目の周りに布を巻いているので、その正体は判然としないのですが……。抜群の運動能力を持ち、一人で数人の兵士を圧倒するそうです」


「一人で……」


「そして弁舌巧みに民をかどわかし、帝国への反乱蜂起を呼びかけているということです」


「旧獣人なのにか? 弁舌を?」


「はい。そのようで……」


「陛下……! 失礼致します!」


 クイルクが入って来た。極力静かに入ってこようという意志は見えはしたが、焦燥感は隠しようもない。駆け込みたいのを必死で堪えたのだろうことは一目でわかる。


「何だ?」


「は……! 申し訳ございません。ですがッ、逆賊が現れまして……」


「些事ではないか、くだらん。それほどのことで、最高指揮官というものは朝食の邪魔をするのか?」


「いつもの反乱戦闘ではございません! 刑務所から、政治犯を次々と脱走させている輩がおるのです!」


「何ィ?」


「もう、半数ほども脱走したかという報告も……」


「それを早く言え」


 俺は、少し名残があったが、ゆで卵を皿に戻して立ち上がった。


「朝食前の良い運動だ」



 刑務所という施設はそもそもは旧帝国時代には存在しなかった。法を犯した者は城の地下の牢屋に投獄していた。


 しかし、俺がこの帝国を治めるようになってからは罪人、特に政治犯が圧倒的に増えた。従って、城の牢屋では足りなくなり、急遽建設の必要に迫られた。


 高い塀に囲まれたその建物は、急ごしらえの割には堅牢な作りだ。本当は城の近くに作りたかったが、まとまった土地がないため、商業地域と農村地域の間の比較的空いた土地に作らざるを得なかった。


 近くはない道のりを兵を率いて急ぎ、家並の向こうに見えてきたのは先ず煙だった。


 刑務所がある方角から幾本かの灰色の筋が空を目指して伸びている。そして商業街を通りすぎ、刑務所が見えてくると、塀が無惨にも破壊されているのが確認できた。


「なんだあれは……。どういうことだ!」


 壊れた塀から、わらわらと囚人どもが逃げていくのが遠目でもよくわかる。


「警備の兵は何をやっていたのだ! あそこまで破壊されるまで指をくわえて見ていたと?」


「ハッ……! それがその……、上からの攻撃に、対処の仕様もなく……」


「上……?」


 クイルクの返答に、見ると刑務所の上空には巨大な飛龍が翼を上下させ、旋回している。そして首をもたげたかと思うと、勢いをつけて口から火球を吐き、塀を破壊した。


「なっ……!」


 普段、龍は町を襲わない。彼らなりに縄張り意識があるからだ。町は人間の縄張り。だから普段、姿も現さない。


「逆賊ではなく、飛龍ではないか! 一体なぜ……」


「実はそれが……、」


「うぬぅ……! 遅い!」


 我々が乗っているのはエウキニッカレクポットである。遅いのである。牧歌的ですらある。


「続けぇ!」


 俺は地面に飛び降り、駈け出した。


「ハッ!」


 クイルクをはじめ、兵士たちが続いた。



「吹雪吹雪氷の世界!」


 先ずは破壊された塀を氷の壁で塞いだ。簡易的な応急処置ではある。火属性の囚人に破られるであろうことは確実だが、時間は稼げるし、それなりの厚さも施したつもりだ。


 しかし、その氷の壁が一瞬にして蒸発した。炎の塊、巨大な火球が。人間が出せる火力ではない。


 見上げると、飛龍が悠然とこちらを見下ろし、ホバリングしている。


「チッ……。まぁよい……!」


 俺は素早く両の手を上空の飛龍に突き出した。


不思議の海ブルーウォーター!」



 水の塊が飛龍目がけて飛んでいく。火属性には水だ。しかし、その水が雷鳴と共に砕けた。


「なっ……!」


 飛龍は涼しい顔して、尚も悠然と飛んでいる。そして旋回し、再び塀目がけて、俺を挑発するように火球を放った。


「……不思議の海ブルーウォーター!」


 俺は更に水の塊を放った。しかも連続で。しかし、水の塊は二つ共、先ほどと同じように雷鳴と共に砕けて散った。


「どういう……?」


 基本的にこの世界の生物が持つ属性は一つだけだ。二つ以上の属性を持つ生き物など、俺たち帝妃しかいないはずだ。まさか……、新種の飛龍なのか? だとしたら厄介だ。


「吹雪吹雪氷の世界!」


 俺は、今度はブリザードを放った。雷属性には氷攻撃だ。しかし、当然のように飛龍は口から火を吐き、そのブリザードを吹き飛ばした。氷は火に弱い。


「帝妃様の攻撃が……」


 クイルクが声をもらした。


 属性の相関図で言えば、火と雷は対角線にある。つまり、一つの属性の弱点を攻める攻撃に対し、もう一つの属性でその攻撃を打ち消すことができる。いくら俺でも一度に二つの属性の攻撃を放つことはできない。これでは攻め手がない。


 飛龍は勝ち誇ったようにゆっくりと旋回した後、刑務所の屋根に降り立った。


 近くで見ると(それほど近くというわけでもないが)飛龍は大きい。空を飛んでいる時は比較物がないのでその大きさをうまく実感することは難しいが、こうして刑務所の上に降りられるとよくわかる。


 降り立った屋根はひしゃげて可哀そうなくらいだし、翼を広げたその姿は建物の屋根と見紛うほどだ。


 そして飛龍は勝ち誇ったように一際大きな咆哮を上げた。


「飛龍が反乱を起こしたとでも……?」


「それがその……、」


 クイルクが声をかける。


「あの飛龍は、」


 そして、見ると、飛龍の大きな翼の向こうから、人が軽やかに屋根の上へと降り立った。


「……人が操っているのです」


「バカな……!」

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