第42話 お風呂
「そうねぇ……」
と言って、フレーナさんは天井の隅を見上げた後、ややあって話しはじめた。
「先ずは……、そうねぇ、暗殺されそうになったからね」
「え!」
驚いたでしょ?という風に笑ってフレーナさんは俺を見た。でも、多分フレーナさんはなんで俺が驚いているのかについては勘違いしている。俺が驚いたのは、俺と同じだったからだ。
でも、暗殺されそう回数は俺の方が上だ。なんせ、俺は、以前の俺と合算すると、通算で二回殺されそうになっている。まぁ、そんな自慢で勝ちたくはないが。
「しかも、この人に」
と言って、尚も笑みを浮かべながらタイガーの肩に手を置いた。
「えーッ!」
今度は正真正銘驚いた。俗に言う、ぶったまげた、というやつだ。ド肝を抜かれた、と言ってもいいだろう。
親父さんは「ワホッ」という声を漏らした。多分、笑ったのだろう。
「驚いた?」
「それはもう」
「どういうことか、っていうとね、あれは新月の夜だったな」
やはり帝妃暗殺は新月の夜と相場が決まっているのだろう。そりゃそうか。
「私が自分の部屋で寝ていたら、音がしてね。ガシャーンって。それで目が覚めて、何かと思ったら、この人が立っていたの」
そう言って、またフレーナさんは親父さんの肩に手を乗せる。
「それで、この人が私に向かって剣を突きつけてね。無言で。あぁ、殺されるんだなー、って思って。殺してくれるんだなー、って。だから私、喉をね、こう、差し出すようにしたの」
やはりか。やはりこの人も、帝妃であることに疲れ果てていたのか。理由は聞かずともわかる気がする。隠界に逃げたまま俺の中から出てこなくなったり、殺し屋に命を差し出したり。帝妃って、何だ?
「そしたらこの人、私を抱え上げてね……。どうしたと思う?」
大体わかったが、俺は言った。
「さぁ……」
「帝妃の部屋って、今も同じところにあるの? お城で一番高いところ」
「えぇ、そうです」
「じゃあ、私と同じ部屋ね。私もそこにいたんだけど、そこの、割れた窓から外に飛び出したのよ! 生きた心地しなかったわ。最初、あ、この人こうやって私を殺そうとするんだ、って思っちゃった」
そう言って、フレーナさんはけらけら笑った。親父さんは困ったように頭をかいた。親子でやること全く同じじゃねーか。俺はレティエヌに抱え上げられたまま、聖堂の橋から飛び降りられた時のことを思い出し、身震いした。
「その後ね、どうやって降りたかは覚えていないんだけど、」
俺と同じだ。
「お父さん、私を抱えたまま、森の奥の奥の、そのまた奥のこの地まで逃げたの。それでね、言ったの。一緒に暮らさないか、って」
……なんだ? ノロケ話か?
「ねぇ、お父さん。なんで、あの時私を殺さずに、一緒に逃げたの?」
問われた親父さんは口に持っていきかけていたカップをゆっくりとテーブルに戻し、時間いっぱい、しばし思案した後、言った。
「なんとなく」
笑ってはいけない。
言葉というものは字面だけでは判断できない。書き言葉と喋り言葉では根本から違っているのだ。
俺は、これほど重い「なんとなく」を聞いたことがない。
喋り言葉というものは、筋肉運動を伴って出てきた音と、その言葉を発した者の表情、そして「気」とでも言うべき体から発せられる雰囲気をもって、出現するものだ。
親父さんの、シンプルな語彙力と、たっぷり置いた間、そして低く涼しいバリトンの声音、それにより、あの時親父さんが感じたであろう、なんとも言えない気分、気持ち、直感とでも言うべきものの一端を垣間見たように思った。
「え、それだけぇ? もぅー、お父さんったらぁ」
フレーナさんは親父さんの肩を叩いて笑った。
もしかしたら、なぜ一緒に逃げたかは、親父さんにもわからないのかもしれない。ただ、一緒に逃げずにはいられなかった。フレーナさんを助けずいはいられなかった。そこだけは確かなのだろう。
フレーナさんに肩を叩かれて、困ったような、でも嬉しそうな笑顔を浮かべている親父さんを見て、それだけはわかったような気がする。
「それで私は帝妃である自分を捨てて、代わりに自分をフレーナって呼んで、この地で暮らすことにしたの。ここなら人目を避けることができるし。そうやって二人で暮らすようになって、できたのがこの子なの」
と言って、フレーナさんは爆睡しているレティエヌの頭を撫でた。
何ィ!
実の娘だったのか!
俺はまたてっきり、親父さんの連れ子で、育ての親だとばかり思い込んでいた。
てことは、レティエヌは獣人ではなく、正確に言うと半獣人ということか。ひょっとしたら、レティエヌがよく喋り、表情もアグレッシブなのは、帝国人の血が半分混ざっているためかもしれない。
それはそれとして、やはり気になることがあった。
「あの、フレーナさん、」
「なぁに?」
「なんで、フレーナって名乗るようになったんですか? やはり名前には、何か願いみたいなものが込められているんですか?」
「ううーんとね……」
フレーナさんは、しばし何かを思い出すように天井を見上げた後、教えてくれた。
「なんとなく」
笑っていいぞ。
食後、フレーナさんにお風呂を案内してもらった。
お風呂は湖にあるのだが、湖の一角が岩で仕切られており、そこから湯気が立っている。なんでも、フレーナさんが火属性を使って湯にしているらしい。
さすが元帝妃。四つの属性を有効活用している。本来はこうやって平和的に使うものだと、なんだか妙に納得してしまった。
早速、湯船に浸かってみる。あぁー、こりゃあええわい。夜、月明りに照らされて、だだっ広い湖を眺めながら露天風呂としゃれこんでいると、なんだかものすごい解放された気分になる。
ただ、少しぬるいかも。俺はもうちょっと熱い方が好きだ。というわけで、俺も火属性を使用して温度を上げた。俺だって元帝妃だ。職場放棄しただけで(いや、正確にはリストラか)、能力自体は健在なのだ。これで大体四十一度くらいだろう。いやー、これだよ、これこれ!
「あふー……」
やっぱり、良い湯に浸かってると、声出ちゃうよね。
四つの属性の有効活用といえば、フレーナさん、料理も火属性や水属性をうまい具合に使ってやりくりしてるんだろうなぁ。なんとなく、あれだけ美味かった理由の一端のような気がする。
思うのだが、フレーナさんの料理の味付けが城で食ったものと似ていたのは、フレーナさんが城以外の料理を知らないからではないだろうか。料理自体は独学で覚えたって言ってたので(案外器用なのだ)、どうしたって味付けは帝妃時代に食べたものになってしまうのだろう。言ってみれば、それが我々帝妃のおふくろの味なのだ。
おふくろと言えば、カテナはどうしてるだろう。
カテナの息子さんは、俺が起こした洪水に流されたという。
カテナの、俺を見る目を思い出す。
「うわあああぁぁ……」
思わずうつむき、そして声が出てしまった。誰もいないのに、思わず当たりを見回してしまう。
「何気持ち悪い鳴き声上げてンだ?」
急に声がしたので、湯船の中で飛び上がってしまった。着地した時、したたかケツを岩にぶつけた。とんがっていた。
「あ痛ぁ!」
響く尻の痛みに耐えながらも、何奴っ!と振り向いた。レティエヌだった。
「おおお、お前ー! いいい、いたのかよ!」
「私に黙って風呂とは良い度胸だ」
「お前のお母さんに、勧められたんだよ」
「ふん」
全く愛想のない奴だ。こいつの友達になんぞ、なれるんだろうか? と思っていたら、レティエヌは何のてらいもなく服を脱ぎ始めた。
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