第41話 塩味

 後で気付いたが、そもそもこの親父さんもあまり喋らない。喋っても、ひっそりと話す。隠者たちと同じだ。多分、やはり獣人はあまりお喋りではないのだろう。


 とにかく腹が減っている。親父さんとの挨拶はそこそこに(←)、フレーナさんに何か食べるものはないですか、と聞きにダイニングへ行ったら、テーブルの上には豪勢な食事が並んでいた。レティエヌが既にガツガツと食っていた。


「あ、起きたのね。よく眠れた?」


 フレーナさんが俺に気付くなり、声をかけてくれた。


「えぇ、おかげさまで……」


 ホントは寝足りないが。


「お腹空いたんじゃない?」


 図星である。


「さ、どうぞ」


 促されたので、一緒に入ってきた親父さんが、多分いつも座っているであろう席に着いたのを見計らって、俺は空いた席に座った。レティエヌの隣であった。レティエヌは俺に目もくれず、食いまくっている。


「私が作ったから、お口に合わないかもしれないけど……」


「え! これ全部フレーナさんが作ったんですか? すげぇ……」


 視覚だけで、もうすでに美味い。


「食材は良いと思うのよ。ここらへん一帯で獲れるものを使っているから。魚は湖、野菜はウチの畑、果物や木の実は森から獲ってきたの。あと、お肉はお父さんが狩ってきてくれた龍の肉ね」


 親父さんを見ると、心なしか、ちょっと誇らしげである。


「あ、では、いただきます」


 せっかくだし、腹も減ってるし、これだけの料理を目の前に出されては辛抱たまらん。早速料理に手をつけたが、もう、どれも美味い! 確かにやっぱり食材も素晴らしい。自然のものを使用しているからか、全体的にさっぱりとしつつも濃い味が特徴的だった。


 もちろん、フレーナさんの味付けは最高だった。ただ、城で食っていたものに味がちょっと似ていた(城のメシも最高だったなぁ)。やはり帝国出身だからだろう。若干気になることもあるにはあるが。


 こうして俺は、多分、割とはしたなく、フレーナさんの料理をいただいた。


 そして、食べてるうちに、何か、こう……。やばいやばい。もう、ダメかも。


「お前……、どうした?」


 そこへ隣のレティエヌが、抜け目なく、食べる手と口を止めることもなく、不思議そうな顔で俺を見て、そう言った。


「え? 何が?」


 俺はしらばっくれるが、あまり意味はないだろう。


「何が、って、泣いてるじゃん」


 それは自分でもわかっていた。目から涙が、とめどなく溢れてくる。なんだか美味しくて、嬉しくて、安心して、暖かくて……。喩えて言うなら、凍り付いていた全身が融けていって、柔らかくなっていく感じというか。


 これは、俺の中の帝妃の涙じゃない。正真正銘、俺の涙だ。それだけは、わかる。何で泣いてるのかはわからないが、それだけは、わかるのだ。


 とにかく、俺は涙が止まらなかった。そして食欲も止まらなかった。俺は目から水分を放出しながら、口からは水分と栄養を補給するという、生物としてはちょっと非効率的な行動をしていた。あ、鼻水も出ていたかもしれない。いや、出ていた。そういえば、料理にはちょっと塩味が効いていたかもしれない。



 食って、泣いて、食って、泣いて、泣いて泣いて、食って食って、結局食い尽くし、ようやく人心地ついた後、みんなで食後のお茶を楽しんだ。


 話を聞くと、レティエヌ家は基本的には自給自足の生活をしているという。そしてたまに村に出たレティエヌが帰省する際、色々と生活に必要な物資を買ってきてくれるのだそうだ。


「ありがたいんだけど、この子はなかなか親離れしなくてね」


 と言いつつ、フレーナさんはレティエヌの頭をなでる。そのレティエヌは並んで座る親父さんとフレーナさんの膝の上で甘えている。お前、幾つだ?


「獣人の子は十になると大体親離れしていくんだけど……」


「お母さん、それ言わないでよ!」


 もう、ダメだ。こいつ、完全に甘えてやがる。ベッタベタだ。お前は当分親離れできねぇよ。


 色々とここでの生活について聞いた後、俺もここまで来た経緯を話した。


「帝妃だった頃の人格は……、まだ戻っていないようね」


 多分、俺の喋り方を聞いてのことだろう、フレーナさんが言った。


「断片的ではあるんですけど、記憶や感情は今の自分のものに加えられた感じはあるんです。でも、意識そのものは、まだ陰界の頃の自分で動いてる感じです」


「そう……。ひょっとしたら……、こっちの世界には戻りたくないのかもしれないわね……。だから、陰界のあなたの人格の後ろに隠れたまま、出てこようとしないのかも……」


 フレーナさんはレティエヌの頭を撫でながら話す。レティエヌは食い疲れたのか、寝てしまっている。猫かよ。あぁ、猫か。


「でも、あなたは帰ってきた。しかも、レティエヌを連れて……」


 俺はレティエヌを見た。安心しきった顔で寝てやがる。


「いつも、レティエヌがここを出て行く時、もう戻ってこないと覚悟しているの。獣人は親元を離れると、もうそれっきりだから。でも私は、元は帝国人だから、やっぱりそれは寂しい。だから、色々あったんだろうけど、あなたがレティエヌを連れてきてくれて、本当に嬉しいし、感謝してるわ」


「あー、いや、結果論ですよ」


「わかってる」


 そう言って、フレーナさんは微笑んだ。


「それでも嬉しいのよ。それに、レティエヌは向こうにあなたを留めようとしていた。でも、あなたはこの世界に来た。それって、あなたの意志じゃない?」


 それは俺も思っていた。陰界では、相性の良い人物の中に入り込むという。であれば、以前の俺、つまり陰界に行く前の、帝妃であることに嫌気がさした帝妃にとって、都合が良い人物と言えば、異世界なんかに絶対行きたくない人物、ということになるはずだ。


 しかし俺は異世界に行きたくて行きたくて仕方がなかった。そんな俺の中に帝妃が入るというのは、いかにも矛盾したことのように思える。


「だから、やっぱりあなたには感謝するわ。それに、実はね……、レティエヌには、友達がいないの」


「え? そうなんですか」


 意外である。なんとなく、友達は多そうな印象だった。隠者の家を転々としたり、傭兵で雇われたり、交流範囲は広そうだったからだ。


「やっぱり、帝国人の子と獣人の子って、違うのよ。獣人って、ウチの人もそうだけど、あんまり喋らないの」


 横でタイガーが頷いた。


「だけどこの子はよく喋るし、表情も豊か。だから、やっぱり友達はできにくくってね。やっぱり人は自分たちと違う人は、どうしても避けてしまう。それは帝国人も獣人も同じ。だから、あなたが友達になってくれて、本当に嬉しいわ」


「俺、友達なんですかね……」


 実際、殺されかけたし。


「無理にとは言わないけど、友達になってくれると嬉しいな」


「いや、無理じゃないです」


 自信はないが、この場はそう答えるしかないな、と思った。でも、フレーナさんは嬉しそうに微笑んだ。


 すると、タイガーが突然立ち上がり、俺の側に来た。なんだ?俺、気に障ること言ったか? レティエヌと友達になる自信がないのが、野性の勘とやらで、バレたか?


 しかし、タイガーは俺を抱きすくめ、顔を舐めた。何度も何度も。割とベタベタした。レティエヌは気持ち良さそうに寝ている。


 親父さんが俺を解放してくれた後、フレーナさんに気になっていたことを聞いてみた。いや、確認と言った方が正しいだろう。


「あの、お聞きしたいことが、あるんですけど……」


「なぁに?」


「フレーナさんは……、その……、帝妃……だったんですか……?」


「えぇ……」


 と言って一回俯き、


「そうよ」


 と言って顔を上げ、俺の目を見た。


 やはりそうだったか。というより、そりゃ見たら一発でわかるから今更の話なのだが。髪と瞳が俺と同じ「配色」だからだ。それは四つの属性を持つ者特有の風貌だからだ。


 だから、逆にフレーナさんは俺を見た時、俺が帝妃だとわかったのだ。


「なんで、……辞めたんですか?」

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