第25話 移隠の儀

 俺はそもそも、の世界の住人であったらしい(な? 俺の言った通りだったろ?)。現段階では「異世界」と言った方が、俺にはしっくりくる。


 ざっくり言うと、こっちの世界で問題があったので、一旦隠界に身を隠し、頃合いになったので再びこっちの世界に呼び戻された、というわけである。


 その「こっちの世界の問題」についてだが、クーデターが起きたらしい。要は俺の暗殺計画だ。のっけから背筋が凍る話題で、異世界転移したことを早速後悔したが、話の続きを聞いた。


 新月の夜、俺が寝ていたところ、一人の賊が寝室に忍び込んだという。そしてその賊こそが、さっき俺を襲った猫獣人なのだ。どうりで殺気に満ち溢れていたわけだ。さっきの、俺を本気で殺そうとした、あの目と牙を思い出し、寒気がした。


 あの猫獣人はターク族という猫の獣人なのだが、ターク族は身軽さにかけてはこの世界でも並ぶ種族はいないとされている。


「ところで、僕はどうやって賊から逃げられたんですか?」


「それは……帝妃様が『移隠の儀』をお使いになり、隠界に逃れることができたからです」


「イインのギ……」


 ニニンがシ、という言葉が浮かんだが、黙っておいた。


「移隠の儀とは、隠界に移る、つまり隠界に逃れるための儀式のことです。賊に追われた帝妃様は聖堂へと逃げ込まれました。城で最も高い建造物です。移隠の儀はそこでのみ、行うことができますので、咄嗟の判断だったのでしょう」


「なるほど……」


 それはわかった。でも、そもそも気になってることがあった。


「俺は、どうして襲われたんですか?」


「それは、我々帝国が獣人連合軍との戦時下にあるからであります。獣人連合……いや、賊軍にしてみれば、……大変申し上げ難いことではありますが……、帝妃様を除くことによって、戦力的にも精神的にも大打撃を与えられると、考えているのでありましょう」


「そんなことは、このクイルク、命に賭けても、阻止してみせましょうぞ!」


 うるっせ……。その心意気はありがたいけど、車内で張り上げる音量じゃねぇな。ショボクレもほんの少しだけ、迷惑そうな顔をしたのを俺は見逃さなかった。


「しかし事実、帝妃様が移隠の儀を行って以来、賊軍は攻勢に出ております。兵器の面でこちらが優っているため、凌いではおりましたが、如何せん、数と身体能力では賊軍の方に分があります。そのため、いつまで凌げるものか、心許ない状況であります」


 話から察するに、獣人の攻勢は現在進行形であるらしい。


「しかも、口幅ったい申し上げ方となってしまいますが、帝妃様がなかなか御帰還なされないため、いよいよ状況は差し迫って参りました」


 ショボクレに軽くディスられた後、フォローするようにクイルクが話の後を継いだ。


「また、御帰還にお時間がかかっているということは、何か不都合が起きているのではないかという懸念も出てきまして、もしやと思い、我々二人、隠界へと赴き、お迎えに上がらせていただいた所存であります」


「え? 来たの?」


「はっ!」


「ウソ、いなかったじゃん」


 こんなのが二人もいたら、向こうじゃ目立ってしょうがない。


「いえいえ、共にこの世界へ戻るための出口を探したではありませぬか」


「いや、だって、お二人の姿は……」


「あぁ、そうでした。そのことについてもまた説明せねばなりませぬな」


 ショボクレが答えた。


「隠界に逃れている間、帝妃様にこちらの世界の記憶はなかった、と存じます」


「確かに」


「それは、隠界へ向かった者は、仮の宿りとして隠界に住む人の中に入り込むためです。隠界へと通じる入り口を通る時、人の肉体は精神体へと抽出され、その精神体が隠界に住む人物を依り代とするのです。そして、同じ肉体を共同で使うこととなります」


「あー、言ってみれば同じ肉体を二人でシェアするようなもんですね」


「しぇあ……?」


 ショボクレがポカンと口を開けて俺を見た。


「いえ、……何でもないです」


 なるほど。こちらでは通じない単語もあるわけね。ショボクレは咳ばらいをひとつして、話を続けた。どうでもいいが、ショボクレでも分からない時はああいう間抜けな顔すんだなぁ。


「それで、なぜ隠界ではこちらの記憶がないかと申しますと、隠界にいる間は隠界の人物の人格の方がより強く意識上に現れるため、こちらの世界での記憶はなくなるのです。より正確に言うと、意識の奥底の方に沈んでいると言いますか。しかし、その意識下にある者の記憶や意思、願望に従って、隠界の者は行動するのです。つまり、意識の上では隠界の人物がその肉体を支配しているのですが、その実、意識下ではその肉体をコントロールしているのはこちらの者、つまり帝妃様となるのです」


「なるほどなるほど……」


 よくわからんが、つまり、体をシェアされた隠界の人間は、こっちの世界の人に操られている、ってわけだな。ってことは、俺が異世界に行きたいと願っていたのは……。


「また、依り代となる隠界の人物の選定なのですが、」


 ショボクレが続けた。


「偶然性によるものではございません。こちらの人間と相性の良い者、つまりこちらの人間の意のままに動く特性がより強い者が選ばれるのです」


「なるほど。じゃあ、お二人も向こうの世界では今とは違う姿だったんですね」


「はい。仰る通りでございます。大分記憶も薄らいできておりますが、私は、僭越ながら帝妃様の通う教育機関の師として、隠界にて現界しておりました」


「拙者は恥ずかしながら、帝妃様のご学友となっておりました」


 俺は帝国中に轟いたであろう音量で驚きの声を上げた。


 二人とも耳を塞ぐのを我慢したようだった。両手を上げかけたからだ。でも、必死でこらえたようだった。おそらく、帝妃の声に耳を塞ぐことは不敬なのだろう。悪い事をしてしまった。


「あ、ごめんなさい……」


「……ま、まだ、御記憶がお戻りになられないのであれば、驚きになるのも無理はありません」


「いやー、でも、まさか二人が原先生と綺羅星だったなんて……」


 ショボクレの方はまだ、なんとなく雰囲気はあるが(口が臭いところとか)、クイルクがまさかあんな美少年になってるとは。いや、でも待て。確か綺羅星は橋の上にいたはず。だから、異世界への入り口には……。


「いえ、拙者は男の子の方ではなく、女子の方のご学友でございました」


 俺は異世界中に轟いたであろう音量で驚きの声を上げた。


 二人とも耳を塞ぐのを我慢したようだった。


「あ、すみません。また……」


「……ま、まだ、御記憶がお戻りになられないのであれば、驚きになるのも無理はございません」


「そうか、クイルクさんは優紀だったんですね」


 どうりで、女子だけどゴリラなはずだ。これで合点がいった。いやー、驚いたら喉渇いた。


「いえ、そのような者ではなく、拙者が体をお借りした女子は、確か七という数字が名前に入っていたような……」


 俺は飲みかけたお茶を、前に座る二人に盛大にぶちまけた。特に、俺の正面に座っていたショボクレは、顔面に俺の口中にあった茶を受けてしまった。ちょっと口に入ったかもしれない。


「あ……、なんか、ホント、ごめんなさい……」


「いえ……。ま……、まだ……、御記憶が、お戻りになられないのであれば、驚きになるのも、その、ご無理はないかと、存じます」


 この試合後のレスラーみてぇなクイルクが、あの可憐を絵に描いたような銀河系美少女・葉月さんだったのか……。隠界に行くと相性の良い人物の中に入るというが……。綺羅星パパと言われたら即納得だが、異世界を越えた相性というのはわからないものだ。


 となると、気になるのは残り一人だ。


「あのぅ、優紀はどうなりました?」


 あいつは川に飛び込んで、俺の前まで来たけど、こっちに来たのか、隠界に留まったのか……。


「あぁ、あれでございますか」


 クイルクはこれまでになく、苦々しくそう答えた。って……。でも、口ぶりからすると、こっちに来ているようだ。


「今は荷台におります」

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