第9話 凡庸

「何?」


「オギーはこの町、嫌い?」


 なんだか、綺羅星が父ちゃんに見えてきた。こんな綺麗な顔した父ちゃんは父ちゃんではないと思うが。


「いや、嫌いじゃないけど……」


 嫌いか、と正面切って聞かれると、それは決して嫌いではない。俺が生まれて育った町だ。この町のことはよく知っているつもりだ。そして、この町は自分にはどこか違うとも思うのだ。


「ボカァ、この町がすごく好きだ」


「へぇ……」


 綺羅星がそんなことを言うとは、意外である。地元愛とか、愛校心とか、そういうものには無頓着な奴なのだとばかり、勝手に思っていた。もっと言ってしまうと、何かを好きになるという感情が希薄なようにすら感じていた。それは彼の外見から来る印象によるところも大きいが、普段の彼の言動からも、そんな風に感じていた。


「四方を川に囲まれた町なんて、何ともロマンがある町じゃないか」


「まぁねぇ。それが売りだからねぇ」


 割と普通のことを言ったので、そこもまた意外だった。顔に似合わず、案外凡庸な奴なのかもしれない。


「ボカァ、子供の頃から両親の焼くクレープが好きでねぇ」


「うん」


 毎回遊びに来る時には頂いてる上、確かに美味いけど、言っちゃ悪いが、店舗で出してる味としては普通である。凡庸と言い換えても差し支えないだろう。


「だからね、僕はこの店を継ごうと思ってるんだ」


「え! そうなのか?」


「うん。不思議かい?」


「いや……、いや全然、大丈夫」


 大丈夫って何だよ、我ながら。正直不思議だったが、友人が親の店を継ぐことが不思議ということは、友人の親に対して無礼というものだ。なんだか今度は逆に俺が追いつめられてるようだ。形勢逆転である。


「え、それって……高校を出たらすぐにここで働くってこと?」


 取り繕うようにそう言ってみたのではあるが、何だか昨日俺が父ちゃんに言われた状況と似ていて、急に興味が出てきたこともまた事実だ。


「いや、さすがに今の味ではちょっと凡庸にすぎるからね。あ、これ内緒ね」


 急いでカウンターを振り向く。幸い、お父上と母上様は奥に引っ込んでいる。厨房に立っておられるようだ。綺羅星には、周りを気にするという能力が欠けているところがある。


「もちろん、好きではあるんだけど、子供の頃から食べてるからね。だけど、店を続けていくには心許ない。停滞は後退だからね」


「お、おぉ……」


 なんか、実の親相手にすげえ手厳しいなぁ……。俺は父ちゃんの仕事に関しては全く無関心だったが、逆に綺羅星の方は関心があると言えよう。


「だから、僕は高校を卒業したら、料理の専門学校に行くつもりなんだ。その後は、できれば本場のフランスに修行に行きたいと思ってるんだ」


「ふ、ふらんす!」


 シエーッ! そんなとこまで考えてたざんすか!


「ま、それはできれば、って話だけどね」


 と言って、綺羅星は笑った。


「だから、正直言って、オギーのパパがオギーにこの町の役場に就職してくれって言ったのは、僕にとっては嬉しいかな。二人でこの町を盛り上げていけるからね。もちろん、君は君でやりたいことがあるなら、強要はしたくないけどね」



 日が傾くにはまだ早い時間だったが、俺は綺羅星に暇を告げた。綺羅星は、もうちょっとゆっくりしていけば、と止めたが、俺は辞去した。気分が乗らなかったからだ。


 ぶっちゃけたところ、情けないようだが、恥ずかしい話、俺は同類相哀れむために綺羅星に声をかけたのだ。普段の彼の言動から類推するに、「高三の夏前、まだまだ青春を謳歌したい」「将来のことなんか考えていない」という志を俺と同じくする同好の士だと思っていた。ところが、である。


 彼は考えていた。俺とは違っていた。


 裏切られた気分……それとも違う(もちろん、綺羅星にしてみれば俺を裏切ったなんて、これっぽっちも思っていないにちがいないが)、なんとなく拍子抜けしたような、空虚な気分になってしまった。


 河川敷から白廻川を眺めてみる。心なしか、昨日より川面から見える砂の量が増えている気がするが、ゆるゆるとした流れは絶えず、恒久の時間を具現化したようだ。


「あいつ、考えてたんだなぁ」


 つい、口に出してしまった。誰かに聞かれはしていまいかと辺りを見回すが、幸いにして誰もいなかった。


 しかし、辺りにはいなかったものの、後方、まだ距離があるところに優紀がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。見えなかった振りをしてやり過ごそうとしたが、それより早く向こうが手を振って走って来た。


 優紀には申し訳ないが、今はあまり誰かと話したい気分ではない。


「おーぎくぼたあー!」


 そんな俺の気分を知ってか知らずか(知らないと思うけど)、大声で俺の名前を呼ぶ。優紀は今日も元気である。ぶっ倒れたのが遠い昔のようだ。しかし、元気になったことは何よりである。


 走って俺のところまで来ると、開口一番こう言った。


「今、無視して先行こうとしたろ?」


 鋭い。


「しないよ。するわけないだろ、バカだな」


「あー! 荻窪田のくせに私のことバカって言った」


「バカにバカって言って何が悪い」


「ムカつく。うらぁ!」


 またしてもヘッドロックをかましてきた。いや、ホント痛ぇんだよな、こいつの。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い! ……ふん!」


 しかし、もう十年以上も喰らい続けているので、いい加減外し方もわかるのだ。


「あ! 外しやがった。荻窪田のくせに……」


「ふふふ」


「ところでさー、何かあった?」


「何か、って何がさ」


「元気ないから」


「どー……どうして、そう思うんだよ」


「んーとね、なんていうか、かけ具合かな」


 会話とか表情ではなく、で人の気分を判断するとは……。しかも当たってる……。なんというか、野生を感じる。人と言うよりは動物に近い。猫のようだ。猫は野生ではないが。


「と、ところで、何で今日はこんなに帰り早いんだよ。部活はどうした?」


 いささか強引ではあったが話題を変えてみる。しかし、不思議に思ったのは本当だ。いつもなら日がとっぷり暮れたころに帰宅するはずだが。


「しばらく中止だってさ」


「え? 何で?」


「暑いんだって」


「え? あ、あぁ……」


 最近続いている日照りのせいか、気温は上昇の一途を辿っている。日に日に観測史上の最高気温が更新されているほどだ。この異常な暑さに、先日、気象庁からも不要な外出は避けるよう、勧告が出されたそうだ。そのことを言いたいのだろう。


 優紀は会話の半分くらいを省略することがよくある。こともしょっちゅうだ。


 だから、たまに優紀が何を言ってるのかわからなくなるのだが、「わからないから、どういうことか」と訊ねると怒るのである。相手の言うことを誠実に理解しようとして正直に聞くと怒られるのだ。これほど理不尽なこともなかろうというものだが、めんどくさいから類推して、そのまま会話を流すことがしばしばだ。だが、その類推が外れてしまい、優紀的には見当違いな返答をしてしまうと、これまた怒りだすのでめんどくさい。


「私が倒れた後ね、一人倒れたんだ」


「あ、そういえば言ってたな……」


「で、今日も気分悪くなっちゃった子が二人も出て……。先生たちが話し合って、しばらく中止にしようって」


「まぁ、しょうがないよなぁ……」


 白廻川を見ると、やはり川底が見える面積が広い。実は思った以上に状況は深刻なのかもしれない。

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