第十一章『後悔の焼け残り』

第74話『疼く前世』

 蒼を呼ぶ声が聞こえる。

 何度も反響し、重なりながらも蒼を――いや、重音を呼ぶ声だ。

 絶望するほどに乾いた、味のない青い空。

 近くで大人びた自分の途切れそうな呼吸が聞こえる。

 大破したバスに飛び散ったガラス。



「助、け……て」



 バスの側に横になって助けを求めるかつての想い人。茶髪が血に濡れ、ガラスの刺さった手を重音に向けて伸ばす。



「助けて――中原――」



 そこで、蒼は目を覚ました。

 息が荒い。辺りはまだ深夜の静けさが横たわっている。

 心臓の鼓動が気持ち悪い。


 夢だ。

 夢だ。


 そう言い聞かせて、何とか落ち着きを取り戻していく。


 前世の記憶。それは蒼にとって苦いものでしかない。


 そして、彼が見た寝覚めの悪い夢は、悪夢でありながら都合のいい妄想だった。



(清里が……俺に助けを求めるわけがない)



 あの日感じた後悔は、思い出すたびに胸を締め付ける。

 中原 重音は、独りで死んだのだ。

 それでも、思う。あの場に居合わせた清里 茜は、無事だろうか。

 そう考えている内に残った疲れが瞼を再び閉ざし、次に目を開けた時にはもう朝だった。


「蒼、おはよう」



 こうやって彼女たちの部屋に入り浸って何日目だろうか。

 刹那はいない。


 発覚したら即停学級の校則違反も、ここまで来ると罪悪感を覚えなくなってきている。


 霧矢が一人部屋を盛大に満喫しているのも、朱莉が元からの家族であるということも、入り浸る一因ではあった。

 甘えすぎだなと思うが、彼女たちの優しさにどれだけ救われたか。



「今日はお見舞い。忘れてないよね?」

「もちろん」



 朱莉は備え付けのキッチンでフライパンと睨み合いながら蒼に尋ねる。

 香ばしい肉の匂いが、蒼を完全な目覚めへと誘う。

 空のカップが二つ、机の上に置いてあった。





『突然ごめん。よかったら、会って話がしたい。都合つくかな』



 送信を押そうとする手が震える。

 躊躇い、押せない。そんな日々が続いていた。


 今日こそはと思っても、中々踏み出せなかった。


 ルイを、また苦しめてしまうかもしれない。八方塞がりな現状をどうにかしようと思っても、あの涙に溺れ、身動きが取れなくなる。


 せめぎ合う二つの相反する気持ち。喉が渇く。



「蒼、行くよ」

「あ……うん」



 女子寮の前で待っていた蒼に朱莉が声を掛ける。

 とっさに、携帯の電源を落としてしまった。じりじりと肌を焼く夏の日差しを見上げて目を細めてから、二人は歩き出す。


 この灰色の森のどこに住処があるのやら……蝉の声が、煩わしかった。

 歩くだけで汗が滲む。


 向かったのは、街中に堂々と構える総合病院。

 自動ドアが二人を迎え入れると、清涼で薬品の匂いに満ちた空気が二人をすぐに包み込んだ。


 朱莉が率先して受付を済ませ、二人は三階の病室へと向かった。

 そこには刹那が入院している。


 六人用の部屋らしいが、病室には刹那しかいなかった。丁度、空いて広々とした空間を満喫するように刹那が伸びをしている。



「あ、小波、朱莉ちゃん! お見舞いに来てくれたの?」



 よほど暇なのだろう。

 机には漫画やライトノベルが山積みだった。友人の見舞いに、刹那はにっこりと笑みを浮かべる。



「こんな情けない姿でごめんね……」

「もう。訓練で無茶しすぎて骨折るなんて。蒼じゃないんだから」



 照れ笑いする刹那。


 確かに左足が吊られた彼女は少し不恰好だ。と同時にあからさまな皮肉に蒼も刹那のような表情を浮かべた。


 怪我をしたときの状況とか、世間話とか、他愛のない会話をしているとすぐに一時間ほどが経っていた。


 病院の外の並木が風に揺れている。


 蝉の声は窓に遮られて程よいBGMになってくれていた。

 カラカラと点滴を運ぶ音や看護師の声が廊下を行ったり来たり。空調の利いた場所にいると、あれだけ鬱陶しい外の日差しや熱も爽やかな夏の趣だ。


 担任が見舞いに持ってきてくれたフルーツの盛り合わせを三人で摘み、日が中天に差し掛かったころ、朱莉が不意に立ち上がった。



「実は、他にも入院してる知り合いがいるの。そっちもお見舞い行ってくる」



 刹那は感謝を述べながら朱莉を笑顔で見送り、蒼もそれに倣った。



 病室には刹那と蒼の二人が取り残される。ふっと静かな間が訪れるが、居心地は良い。


 太陽が陽気に泳ぐ雲に遮られ、穏やかな日陰がやってくる。



「ねぇねぇ、小波」



 刹那が、窓の外を眺めながら静かに口にした。

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