第48話『毒』
体が言うことを聞かない。
頭痛が襲い、緊張する筋肉が体の動きを朦朧とさせ、ルイは胸を抑えながらパタリと尻餅をついた。
胸も苦しい。
心臓が脈打つ度に、強烈な毒が身体中を巡るようだ。
血が沸騰しているように肌が熱い。息が途絶えそうになる。地面に突き刺した刀を掴んで持ちこたえることも出来ず、崩れる。
(やっぱり、ダメか……ッ!!)
喘ぎ、痛みに耐えるが、体の中を蠢く痛みは容赦がない。息が詰まる。
ルイの隠し続けた痛みが、体の至る所を突き破って外に出ようとしている。
鎧を着た騎士が歯をガチガチと鳴らしながら歩み寄る。『煌神具』の装備が光に還り、元のワンピースへと戻った。
どれだけの研鑽を積もうと、超常の力を持たぬ人間など、毒野から生まれた荒くれものには餌でしかない。
死の足音が聞こえ、内臓が浮き上がるような寒気がする。こんな無防備な相手に情を移すほど相手は甘くない。
ルイの目前で、怪物が腕を振り上げる。それすらが、痛みにぼやけて見える。
(いつもこんなとき、アイツが……)
ハヤトの顔が過る。ルイがいつも一緒にいる少年。過去を共有し、ルイがこうなったときはいつも彼が助けてくれた。
「助けて」
風が虚空を斬る音がする。ルイは、目を瞑り、叫んだ。
「ハヤトッッ!!」
「―――――悪いね。ルイを守るのは、アイツじゃなくて俺だ」
ドン。何かが両者の合間を分かつように墜落する音。
ルイの体に刃は届かない。閉じた視界の中で、熱が、痛み渦巻く体を包んだ。
目を開くと、少年の背中がある。
マグマの如き熱を孕んだ刃を素手で握り締めた少年の纏う殺気は、ゾッとするほど凄んでいた。
「小、波……!!」
「じっとしてて、すぐ終わる」
熱を掻き消す極寒の怖気が、腹の底から湧いてくる。
到底、仲間に感じていいような感覚ではなかった。細く吐いた彼の息は、灼熱を孕みながらも絶対零度を思わせる。
神域の力を纏った彼の手に力が籠るのが分かる。
腕と一体化した剣がビキビキと音を鳴らし、怪物が悲鳴を上げる。そのまま、ついには腕がへし折れ、ひび割れ、もげた。
蒼は腕の先端を投げ捨てると、怯み後退した怪物に向けて腰を落とす。
そのまま、虚空に向かって掌底を叩きつける。解き放たれた炎が、大通りを埋め尽くすほどの幅を以って怪物の体を飲み込んだ。
もはや、波だった。
辛うじて焼け残った黒の塊が、両手を広げて天蓋を仰ぐように倒れる。その後、動くことは終ぞない。
(信じられない。亜種でない力で、一撃……?)
蒼はこれ以上の来襲がないかと空を見上げている。
その横顔を窺い、同じ瞳だと気付く。学年別トーナメントでハヤトと競い合ったあのときのものと。
蒼がルイに向かって振り返ると、その眼光は凡庸な少年のものに戻っていた。
手を差し伸べることなく屈み、蒼はルイの肩に恐る恐るながら手を乗せた。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫よ、放っておいて……」
ルイは痛みに耐えながら強めに蒼の手を払いのけてしまう。
この痛みを知られるわけにはいかない。小波のことだ、心配のしすぎでどうにかなってしまうかもしれない。
体を抉る毒は苛烈を極める。しかし、ルイは顔の筋肉に全神経を集中させて平静を保つ振りをし、それからゆっくりと立ち上がる。
「助けてくれて、ありがとう。ちょっと気分が優れないから、行かなきゃ」
「ちょっと待って、いい薬があるんだ」
「いいわ。そういうのじゃないから」
これは薬でどうにかなるものではない。言うなれば鋭利な剣をそのまま体の中に突っ込まれたようなものなのだ。
髪が額に流れる脂汗に張り付いて気持ち悪い。ルイは足早に去ろうとするが、後ろから追いすがる蒼の気配がある。
「ルイ。無理しないでいいんだよ」
「だから!! 放っておいてって言ってるでしょ!!」
肩に乗せられた手を苛立ちながら振りほどく。
だが。
「それは無理だよ」
その手を逆に掴まれ、男らしい強引な力で無理矢理に振り返らされる。
一も二も言わせぬ速さでルイの唇に蒼の人差し指と親指が触れた。
蒼が摘まんでいたカプセルがルイの口の中に入る。ルイはそれを、認識する前に飲み込んでしまっていた。
「その薬、よく効く。ただ、副作用で結構強烈な眠気が来るけど」
「何てもの、飲ませるのよ……そんなんじゃ、治らないって……」
ルイの体に鈍い眠気がくすぶり始める。効き目はないくせに、副作用だけは一丁前だ。
だが、蒼は慌てることもなく、ただ静かにルイを見つめている。
「いいや。その薬は、ルイには効くし、ルイ以外には効かない。特注で、ルイのためだけに作った薬だから」
気付く。眠気に紛れて、痛みが遠のいているということに。
蒼は労わりに満ちていながらどこか達観した視線をルイに向け、よろけそうになったルイの体を支える。
「どう、いう……こと……?」
「それは、特製の解毒薬。ルイの体内にある
蒼は優しく笑う。
あまりに重たい瞼を押し上げ、瞠目させそうになった。
彼の話しぶりは、まるで、あの炎の日に何が起きたかを、全て知っているようだった、
ハヤトとセナ以外が知ることのない、あの地獄の日を。
視界が心地よい眠気によって閉じていく。そのとき見上げた少年の顔は、誰か全く別の人間のようだった。
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